未来を奪われる
――影が弾け、森に静寂が戻った。
しかし、すぐに分かる。この静けさは勝利の余韻ではなく、嵐の前触れだ。
息を切らしながら剣を構え直す僕に、リンカが声をかける。
「セージ君……今の、倒しきれたの?」
「いや……まだだ。視線を感じる。奥に“本体”がいる」
森の奥から、じわりと圧が滲み出してくる。
無数の目に見下ろされているような錯覚――いや、錯覚ではない。
実際にどこかから“覗かれている”のだ。
「やれやれ。気味悪いったらないね」
ルミナスが火花を指先で弾き、周囲を照らした。
「ほら、まだ煙の奥で蠢いてる。まるで――舞台の幕が開く前みたい」
セレスは胸に十字の印を結び、静かに祈る。
「神よ……どうか私たちに試練を越える力を」
僕は一歩、森の奥へ踏み込む。
すると木々の隙間から、黒い靄が渦を巻きながら立ち上った。
――視線が絡みつく。
無数の眼が開き、僕らを見下ろす。
(……来る。これが、本番だ)
剣を握る手に力を込める。
まだ姿は定かではない。けれど、そこに潜む存在は――今までの尖兵とは比べ物にならない。
背後で仲間たちが並び立つのを感じながら、僕は深く息を吸った。
「――準備はいいか?」
リンカが矢を番え、ルミナスが炎を纏い、セレスが祈りを重ねる。
僕たちは視線の奥、まだ名も知らぬ“敵”を睨み据えた。
鬱蒼とした北方の森に足を踏み入れた途端、胸の奥をじりじりと焼くような違和感が走った。
(……見られている)
どこからともなく、何百もの視線が肌を刺す。冷気でも瘴気でもない。ただ、監視されているという感覚が、背骨を氷のように凍らせていく。
「セージ君……なんだか、森が生きてるみたい」
リンカが矢筒に手をやり、耳をそばだてる。
木々の幹に――瞬きする“目”が浮かんだ。
枯れ木の裂け目、苔むした岩の隙間、果ては地面にまで、ぎらぎらと光る眼球がじっとこちらを追っている。
「おいおい……気味悪い。全部こっち見てる」
ルミナスが炎を指先に灯すや否や、周囲の影がわらわらと蠢いた。
「神よ……これは」
セレスが祈りを口にするより早く、ルミナスが火球を投げ放った。
――ドカンッ!
爆ぜた炎に焼かれ、木々は一瞬だけ光に包まれる。だが……残骸は残らなかった。影は霧のように散り、また別の幹に目が浮かび上がる。
「消えた……いや、移動した?」
僕は剣を抜き、周囲を警戒する。
リンカが矢を番える。「狙いを定めれば……!」
矢が放たれ、一直線に“目”へ――だが、寸前で幻影のように揺らぎ、空を切った。
「嘘……! 確かに射ったのに!」
リンカの声が震える。
僕の耳元で、不気味な囁きが響いた。
(――すべて見えている)
風の音に紛れたはずなのに、その声は明確に僕の鼓膜を震わせた。
「……今の、聞いたか?」
「ええ……セージ様以外にも、私の耳に届きました」
セレスが蒼ざめた顔で頷く。
見えぬ相手。届かぬ攻撃。
森全体が一つの巨大な敵に変わったかのような圧力に、喉が乾く。
(これは……ただの魔物じゃない。間違いなく、魔将クラスの術だ)
僕は剣を構え直し、仲間たちを見渡した。
「……気を抜くな。奴は、俺たちの一挙一動を見ている」
その瞬間――木々の影が揺らぎ、視界の端で数百の目が一斉に瞬いた。
(……来る)
数えきれないほどの“目”が、枝や幹、地面に浮かび上がっては消える。
その視線にさらされているだけで、心臓を握られるような圧迫感があった。
――その時。
耳の奥に、不気味な声が直接流れ込んできた。
(……リンカ。お前はまた、大切な人を失うのだ)
(……ルミナス。誰もお前を認めてはいない。仲間ですらな)
(……セレス。祈りなど無意味だ。救えなかった声を、忘れたのか)
仲間たちが揃って息を呑み、表情を歪めた。
「うっ……!」
「な、なんだこれ……頭に直接……」
「やめて……お願い……」
森そのものが囁いているかのように、過去の痛みや不安を掘り返す声が途切れず襲いかかる。
(……俺の心にも届いてる。だが――これはただの幻影だ)
僕は剣を振り払い、声を張った。
「聞くな! これは心を惑わす幻影だ! 本物じゃない!」
叫んだ瞬間、セレスが両手を胸の前に組み、光を放った。
「――神よ、御身の光で、この迷妄を祓いたまえ!」
聖なる祈りの声が木霊し、森を覆っていた不快なざわめきが一瞬だけ掻き消える。
仲間たちの顔に正気が戻り、リンカが息を荒げながらも矢をつがえ直した。
「ありがとう、セレス。助かった」
「いえ……まだ、完全には……」
再び目が浮かび上がる。だが、もう僕らは怯えてはいなかった。
次に襲いかかってきたのは、無数の幻影。僕らの動きを先読みしたかのように、すべての攻撃が空を切る。
「ちっ……狙っても、必ず外れる……!」
「炎も、避けられた……?」
――未来を封じられている。そう確信した。
だが、僕には【ためて・放つ】がある。
(“暗視”を……限界まで)
世界が反転するように視界が鮮明になり、森の影の奥に潜む異様な存在が浮かび上がった。
幹の影、岩の狭間に潜んでいた瘴気の塊――そこに、すべての視線が収束している。
(いた……! 本体を見つけた!)
息を呑む間もなく叫ぶ。
「ルミナス! リンカ! 同時に撃て!」
ルミナスの炎が轟き、リンカの矢が閃光の尾を引く。
二つの攻撃が影を貫き、覆いを剥がすように闇を削ぎ落とした。
――ズズッ。
森の奥から、痩せ細った老人のようなシルエットが姿を現した。
だが、その体には無数の“眼”がびっしりと浮かび、ぞっとするほど蠢いている。
幻影が一斉に消え、森は不気味な沈黙に包まれた。
「……やっと姿を見せたな」
僕が剣を構えると、その異形はゆっくりと顔を上げ、かすれた声で名を告げる。
「――千眼の魔将、ヴァルナ」
その瞬間、仲間たちが一斉に武器を構えた。
森を震わせる気配が広がり、決戦の幕が上がろうとしていた。
ざわり、と空気が裂けるような感覚。視界の端にまで無数の眼がにじみ出て、どこを見ても“視線”を浴びせられている気がした。
(……こいつの力か)
剣を握る手に自然と力がこもる。僕の一挙一動は、あの不気味な眼に映されている。
ただ立っているだけで、体の奥まで覗かれているような錯覚に陥った。
「……セージ君、まずい!」
リンカの耳が震え、弦にかけた矢が宙で止まる。
撃とうとした矢筋を、ヴァルナは一瞬早く身体をずらして避けていた。
「見えてる……私の矢が、射る前から……!」
「予測じゃない。未来を……見ている」
ルミナスが低く唸り、両手に炎を集める。だが、炎が形になる前にヴァルナの眼がぎょろりと動いた。
次の瞬間――地面が裂け、黒い触手のような影が伸びて炎をかき消した。
「くっ……!」
「セージ様!」
セレスが急いで祈りを唱えようとした瞬間、ヴァルナの声が森に木霊する。
「無駄だ……癒やしも、祈りも、すべて視えておる」
直後、セレスの口元を狙うかのように闇の棘が伸び、詠唱を妨害した。
(やっぱり……! 一手先、いや数秒先の未来を読んで、全部を潰してくる……!)
焦燥が胸に広がる。こちらの行動は、すべて“未来”に覗かれている。
僕は剣を振り下ろしたが、ヴァルナの身体はすでに数歩先へと逃げていた。
ただ一言、囁くように。
「無駄だ……未来は、すべて我が眼に映っている」
その言葉が、森全体に染み込むように響き渡った。




