淡い想い
哉斗たちが中学一年生の時のお話。
夏休みを二日前に控えた日。午後の授業の時間を使って、学期末の校内清掃が行われていた。毎日放課後に掃除をしている教室はもちろん、普段は手をつけない場所も、手分けして全校生徒で綺麗にしている。
哉斗は、咲季と天夏と一緒に、一階から二階にかけての階段を掃除していた。今は、ステンレス製の滑り止めに付着している汚れを雑巾で取っている最中。
「ブス邪魔」
「そんなこと言ったら可哀想だってぇ〜」
背後から、心ない言葉が聞こえてきた。思わず振り返る。
二年の女子生徒二人が、笑いながら階段を上がってきていた。その視線は、階段の上り口で作業をしている咲季に向けられている。
状況から察するに、彼女たちの言葉は咲季に対するものだろう。
(嫌だな、こういうの……)
哉斗の胸が騒つく。階段を上がってくる二人は、何故そういう言動をとったのか。咲季に対するやっかみかもしれないし、単純に虫の居所が悪かったのかもしれない。どんな理由にせよ、見聞きして気持ちの良いものではない。
「あの──」
「あ?」
「何?」
「いっ、いえ、何も……!」
近づいてきた二人に声をかけたが、鋭い目つきと声に怯み、慌てて視線を手元に戻した。
「何あれ、ダサ〜」
「ダサいのはお二人の方だと思いますよ」
凛とした声が耳に届く。顔を上げると、踊り場で天夏と二年生が向かい合っていた。
「そういうの、やめた方がいいですよ」
「何? いい子ちゃん気取り?」
「大切な友達が傷つけられているのに見て見ぬ振りはしたくないだけです。それに、そんなことをしても稜秩には相手にされませんよ」
天夏の一言に、二人の女子生徒の眉間に皺が寄った。
「は? うざ。あんたには関係ないじゃん」
「ちょっと顔が良いからって調子に乗ってんじゃねーよ!」
そう言いながら女子生徒たちは上の階へと上がっていった。その様子を、天夏が睨みつけている。
哉斗は彼女に惹きつけられた。友達を守る姿は凛々しく、輝いている。
(カッコいい……)
「天夏ありがとう! もう大丈夫だよ」
踊り場まで階段を駆け上がってきた咲季が話しかけてきた。
「ああいうのは気にしちゃダメよ」
「うん、ありがとう。哉斗くんもありがとう!」
「えっ!? いや、僕は何も……!」
手を横に振りながら訂正しようとしたが、咲季は踵を返して作業に戻った。
「あの人たちに何か言おうとしていたんでしょ?」
天夏の声に振り返る。嬉しそうにしている瞳と目が合った。
哉斗は目を伏せる。
「でも、結局何もできなかったし……」
「行動できなかったとしても、その気持ちが咲季にとっても嬉しかったのよ」
そう言って、天夏も作業を再開させた。
哉斗は、階段の上り口にいる咲季に視線を送る。雑巾を手に、汚れを取っている彼女の表情は明るい。それに安堵したあと、踊り場から続く階段の掃除をしている天夏に、少し気になったことを問いかける。
「……あの上級生って、稜秩のことが好きな人たちなの?」
「多分ね。前に稜秩の部活を咲季と一緒に見学した時に見かけたのよ。稜秩のこと『カッコいい』とか言ってて」
「あぁ、なるほど」
言葉を交わした後、哉斗も作業に戻る。
(天夏はすごいな。ああやって物怖じせずに言い返せて。すごくカッコいい)
友達想いの彼女の言動が、心をときめかせた。
(好きだなぁ)
湧き上がった気持ちに笑みが浮かぶ。心なしか、動かしている手も軽やかになった。
「……」
しかし、ぴたりと手が止まる。
(すっ、好きっていうのは友達としてだよ!?)
心の中ではあるが、誰かに対して説明する。
(そう、友達として。友達としてだから……! 仮に恋愛対象として好きだとしても、僕は相手にされずに友達止まりだから……!)
うんうんと頷き、再び手を動かす。そうしながら、控えめに天夏に視線を送った。
手すりの柵の向こうにいる彼女は、黙々と作業をしている。
(……今は掃除に集中しよう)
哉斗は手元に意識を向けた。滑り止めの黒ずんだ箇所を雑巾で擦る。黒ずみは徐々に消え、綺麗な銀色が顔を出した。その作業を続けていく。
自分が担当している範囲の半分くらいが綺麗になった頃には、淡い想いは鳴りを潜めていた。