夢みたいな日
咲季と稜秩が中学一年生の時のお話。
夏休みが始まって数日、稜秩の家に咲季が遊びにきていた。
「いっちーの携帯カッコいいね!」
「だろ?」
稜秩は満足げな表情を見せた。その手には新品のシルバーの携帯電話がある。昨日、母とショップへ行き、買ってもらったものだ。
それを目にした咲季が、カバンから自分の携帯電話を取り出す。まだ新しい淡黄色の機種は、中学の入学祝いのひとつとして両親から贈られたもの。
携帯電話を手にしている彼女の瞳は輝いている。
「それじゃあ早速!」
「ん」
咲季に促され、連絡先を交換する。
まだ家族しか登録されていないリストに、大切な人の名前が並んだ。稜秩は嬉しさを噛み締めながら、じっと彼女の名前を見つめる。
「これで、いつでもどこでもお話しできるね!」
顔を上げると、無邪気に笑う咲季と目が合う。途端に稜秩も笑顔になり「だな」と優しく答えた。
その日の夜。
咲季はベッドの上でくつろぎながら、稜秩とメールのやり取りをしていた。今は今日の夕飯についての話を互いにしているところ。
(この時間までいっちーとお話しできるの、夢みたいだなぁ)
そう思う心に、ひとつの気持ちが顔を出した。
「……声、聞きたいなぁ……」
咲季は気持ちを言葉にしたあと、携帯電話の時間を確認する。
22時半過ぎ。さすがに今から電話は迷惑だろうかと考えてしまう。
「……うーん……んー……」
迷いながらも、文字を打つ。
《いっちーの声が聞きたいから、電話していい?》
メールを送り、携帯電話を枕元に置く。
数秒後、受信音が鳴った。
すぐに内容を確認する。
《良いよ。》
短い一文だが、胸が躍るのには充分な言葉だった。
咲季は早速電話をかけることにする。
しかし。
「……何か、緊張する……」
稜秩と電話で話すのは今回が初めてではない。家の電話で、ちょくちょく話している。メールから電話に変わるからなのだろうかと考えつつ、深呼吸を何度か繰り返した。
「……よし」
意を決して、稜秩に電話をかける。
2コール目が鳴る前に繋がった。
「……」
「咲季?」
「あ、えっと……出るの、早いね……」
「あー、まぁ、待ってたからな」
彼の言葉に咲季の口元が緩む。携帯電話の画面を見ながら、いつでも電話に出られる態勢でいたのだろうか。稜秩のそんな姿を想像すると、小さな笑い声が漏れた。
「……何で笑うんだよ」
耳に届く声音は優しい。しかし、どこか照れ臭そうにしている雰囲気があった。
「嬉しいなぁって」
「……そうか」
笑ったことで、緊張も解れた。明るい口調で問いかける。
「いっちー、明日も会える?」
「特に用事がないから会えるよ」
「そうしたらさ、数学の宿題で分からないところがあったから明日教えて」
「いいよ。今日は俺ん家だったから、明日は咲季の家にするか?」
「うん!」
咲季は弾んだ声で頷く。
そこから二人は、いつものように話し始めた。
話すことに夢中になっていた咲季は、時間のことなどすっかり忘れていた。
「それでね──」
ふと、部屋に置いていた時計が視界に入る。時間は午前0時を少し過ぎたところ。
「えっ、もうこんな時間!?」
思わず声が大きくなってしまう。
「全然気付かなかったな。ごめんな、こんな遅くまで」
稜秩の申し訳なさそうな声に反応し、咲季は慌てて首を横に振る。
「ううん、あたしの方こそ気付かなくてごめん!」
「それじゃあ寝るか」
「そうだね。おやすみ」
「おやすみ。また明日な」
「うん」
電話を切り、携帯電話の液晶画面を見つめる。通話時間は2時間弱。長く話したなと思うと同時に、心を満たしている幸せを感じて顔を緩ませる。
「へへ」
咲季は部屋の電気を消し、ベッドに潜る。その際、枕元に置いているウサギのぬいぐるみを抱き寄せた。
(今日はいっちーといっぱい話せたなぁ。明日も楽しみだ〜)
期待に胸を膨らませる咲季に、眠気はまだこない。稜秩とのメールや電話でのやり取りを思い出しつつ、明日のことを想う。
そんな状態がしばらく続いた。
次に目を開けた時は朝だった。いつの間にか寝ていたらしい。抱いていたぬいぐるみを元の場所に戻し、上体を起こす。
明るくなった部屋をぼんやりと眺めていると、メールの受信音が鳴った。
枕元に置いていた携帯電話を手に取る。稜秩からのメールだった。
《おはよう。》
タイミングの良い言葉に咲季は笑みをこぼし、すぐに《おはよう!》と返信する。起床直後に挨拶を交わせただけで、喜びで胸がいっぱいになった。
ベッドから起き上がり、鼻歌を歌いながらカーテンと窓を開ける。透き通った青空と爽やかな風が、さらに心をウキウキさせた。
すると、メールの受信音が耳に届く。咲季は弾ける笑顔で携帯電話を手に取った。