同じ場所で
高校生になった秋凪のお話。
桜舞う四月。兄と姉が通っていた仄和高校に、秋凪も入学した。幼い頃に通うと決めた高校に入れたこと、仄和高校でやりたいこと、姉が着ていた制服を着られていること。
それら全てが、彼女の心をウキウキとさせている。
入学式が終わって放課後になると、秋凪は真っ先にとある場所へ向かう。
「何でお兄ちゃんもついてくるの? お母さんとお父さんと一緒に先に帰ればよかったのに」
「変な奴が秋凪に近づいてこないように警戒しているんだよ」
「変な奴って……」
「誰かに何かされたら、ちゃんと俺に言うんだぞ。絶対助けるから! お兄ちゃんは弁護士なんだからな!」
「はーい」
耳にタコができるほど聞いてきた言葉に、秋凪は軽く返事をした。
兄が「弁護士」を強調するのは、周囲の男性に向けた牽制であることは理解している。しかし、様々な場面で言っているせいか、それが少しだけ恥ずかしく思い始めていた。
「というかさ、今日は部活やってないんだろ? 何で弓道場にいくわけ?」
「仄和高校で弓道を始める前にちゃんと見ておきたいの!」
話していると、弓道場が見える廊下に辿り着いた。向かって左側に射場、右側に的場がある。
秋凪はじっと射場を見つめた。
今は誰一人いない場所に、長年の想い人──瀬輝の面影を重ねる。
瀬輝が弓道をしているところを初めて見たのは、高校一年生だった彼が大会に出場した時だ。秋凪は射場に近い場所で姉と一緒に観戦していた。
普段とは打って変わって、真剣な眼差しで的を見つめながら矢を放った彼の姿は、今でも鮮明に覚えている。
「……カッコよかったなぁ」
「誰が?」
「瀬輝くんに決まってるじゃん」
「あぁそう」
若干不機嫌になる兄を気にせず、秋凪は携帯電話で弓道場の写真を撮る。
(やっと、瀬輝くんと同じ場所で弓道ができる!)
大会で目にした彼を見た時から「瀬輝くんと同じ高校に入学して、弓道をやる!」と決めていた。それは、試合が終わった後に本人にも伝えている。
「あ〜、早く弓道がしたい……!」
「部活は明日からだっけ?」
「うん。明日、新入生歓迎会があるからその後からね」
「秋凪の袴姿、絶対可愛いよなぁ……いや待て。そうしたら秋凪の可愛さに男が寄ってきてしまうんじゃ……そんなの絶対に許さねぇ!」
(また始まったなぁ)
いつものことかと聞き流す秋凪は、弓道場に視線を送り続ける。射場から見る景色はどんな感じだろうか。矢を放つにはどれくらいの力が必要なのだろうか。様々な思いが巡り、期待に胸が膨らむ。
すると突然、体が空腹を訴えてきた。
未だに一人でブツブツ言っている兄を見上げる。
「お兄ちゃん、お腹空いたから何か食べに行こう」
声をかけると兄の独り言はピタリと止まり、満面の笑みがこちらを向いた。
「よし、行くか! 秋凪は何が食べたい?」
「そうだなぁ。カレーが食べたい!」
「お、いいねー」
どの店のカレーを食べに行くか話しつつ、その場を後にする。
兄が運転する車でやってきたのは、家族でよく行くショッピングモール。
降車し、入り口の方へ向かう。
すると、店内から一人の男性が出てきた。秋凪の胸が高鳴る。
「瀬輝くん!」
名前を呼びながら彼に駆け寄った。驚いた顔と視線が合う。
「秋凪ちゃん!……と、冬也さん……!」
「どうも。お父様にはお世話になってます」
「こちらこそ……!」
冬也が軽く会釈をすると、瀬輝が深々と頭を下げた。
実は冬也が所属しているのは、瀬輝の父が設立した事務所。何も知らずに入所したため、後に知った時は動揺を隠せずにいた。
そんな巡り合わせを素敵だと感じている秋凪は、前のめりで瀬輝に話しかける。
「偶然だね! お買い物してたの?」
「あぁ、うん。明日幼稚園の入園式なんだけど、飾りの材料が足りなくなって買いに来たんだ」
瀬輝の手には袋に入った折り紙などがあった。夢を叶えて保育士になった彼の姿はとてもカッコいいと、尊敬の眼差しを向ける。
「入園式、明日なんだね」
「うん。秋凪ちゃんは今日入学式だったの?」
「そうなの! この制服、お姉ちゃんのお下がりなんだ! どう? 可愛い? 似合ってる?」
秋凪はその場でくるりと回った。腰の辺りまで真っ直ぐ伸びている黒髪と、制服のスカートがふわりと舞う。
「天夏のお下がりなのか。可愛いし似合ってるよ。入学おめでとう」
「ありがとう!」
瞳をキラキラと輝かせる秋凪は、ぴょんと軽く跳ねた。
「それから、わたし弓道部に入るからね!」
「えっ、本当に? 有言実行だ」
「うん! 瀬輝くんと同じ場所で弓道がやりたかったからすごく楽しみなんだ!」
話に耳を傾けてくれている瀬輝の表情は穏やかだった。久しぶりに会えた嬉しさも相まって、つい喋りすぎてしまう。
すると、背後から低い声が飛んできた。
「そろそろ仕事場に戻らなくていいの?」
秋凪はとりあえず振り返る。兄の作り笑顔が瀬輝に向けられていた。
「もっ、戻りますよ……!? じゃあ秋凪ちゃん──」
「待って! 瀬輝くん、一緒に写真撮って!」
「写真……?」
「そう! いい?」
「いいけど」
「やった! じゃ、お兄ちゃんよろしくね!」
「お、俺!?」
戸惑う兄に自分の携帯電話を渡し、瀬輝の右隣に立つ。
「ちゃんと撮ってね。じゃないと金輪際一緒にお出かけしないから」
「それはないよぉ……」
兄の悲しそうな声を気に留めず、秋凪は満面の笑みでピースサインをする。付かず離れずの距離にいる瀬輝も、空いている左手で同じポーズをする。
「……はい、撮ったよ」
兄から携帯電話を受け取り、すぐさま写真を確認する。ちゃんと撮ってもらえていた。撮り直しも必要ない。
「瀬輝くん、ありがとう! 引き留めてごめんね。お仕事頑張って!」
「うん。またね」
手を振ると、瀬輝が手を振り返してくれた。そして、彼の口から発せられた「またね」が、秋凪の心を優しく包む。
「幸せだぁ」
そっと呟き、携帯電話の画面に目を向ける。大好きな人とのツーショット。また宝物が増えたと、顔が緩む。
「秋凪〜、早くカレー食べに行こ〜」
「あっ、うん!」
兄の声にハッとし、携帯電話をスカートのポケットにしまう。
「お兄ちゃん、写真撮ってくれてありがと!」
「どういたしまして。さ、カレー食べるぞー」
「うん!」
秋凪は足取り軽くショッピングモールの中へ入る。入学初日から瀬輝くんに会えるなんてすごくラッキーだと、喜びを噛み締めながら目的地へ向かった。