新しい弁当箱
本編の第2話「動物と話せたら」の後日談。
学校の屋上の隅、瀬輝は咲季たちと輪になって昼食を食べていた。みんなで動物園に行く約束を交わし、食べかけの弁当を食べようとした時。
空から何かが降ってきて、自身の食べ物にポトリと落ちた。
「……」
その場にいる全員の顔が青くなる。
瀬輝はすぐさま空を見上げた。上空で旋回していた鳶が鳴き声を上げて、あらぬ方向へ飛んでいく。
他に飛んでいる鳥は近くにいない。その状況が、あの鳶がフンを落とした犯人だと教えている。
「俺の弁当ぉーーっ!!」
鳶に向かって感情任せに瀬輝は叫ぶ。
しかしその声に反応することなく、鳶は優雅にどこかへと飛んでいってしまった。
「俺の昼飯が……! 俺の弁当箱がぁっ……!」
絶望する瀬輝は泣き崩れる。母が朝早くに起きて作ってくれた弁当、そしてお気に入りの弁当箱が台無しになってしまった。
「よりにもよって大好物のエビフライにも落とされるって……!」
「瀬輝くん」
優しい声が耳に届く。涙も鼻水もそのままに顔を上げると、咲季と目が合った。目の前には、彼女の弁当がある。
「好きなの取っていいよ」
「えっ、でも……」
思わぬ気遣いに躊躇してしまう。すると今度は、天夏が弁当を差し出してきた。
「次の授業は体育だし、お腹空いた状態だとしんどいわよ」
「俺のも食べていいよ」
「遠慮しないで何でも食え」
二人に続き、連朱と稜秩も弁当を差し出してきた。瀬輝は四つの弁当と、持ち主たちの顔を交互に見る。
「みんなありがとう……!」
四人の厚意に甘え、玉子焼きやミートボールなど、複数あるものをそれぞれから少しずつ分けてもらった。
被害を免れた弁当箱の蓋の裏に並んだおかずたち。それを見つめる瀬輝は、さっと携帯電話を取り出す。
「どうした?」
「記念に写真撮ろうと思って」
稜秩の問いに答えつつ、カメラのシャッターを切る。
その様子を、四人は優しい表情で見ていた。
写真を撮り終えた瀬輝は携帯電話を横に置き、おかずたちをいただく。嬉しさを噛み締めるように、ゆっくりと味わった。
完食後、瀬輝は糞被害に遭った弁当箱を見つめていた。
(これどうしよう……中身も弁当箱も捨てるの申し訳ないし……うーん……)
考えあぐねていたが、これでは埒が明かない。横に置いていた携帯電話を手に持ち、立ち上がる。
「俺ちょっと母ちゃんに電話してくる」
「いってらっしゃーい」
咲季の声を背中に受けつつ、輪から少し離れた場所に移動しながら母へ電話をかける。出てくれるだろうかとソワソワしていると、数コール内に出てくれた。
「どうした?」
「あー、それがさぁ──……」
瀬輝は訳を話し、母に判断を仰いだ。
「それはもう捨てるしかないな」
「やっぱりそうなるよなぁ〜……」
「とりあえず中身入ったままでいいから弁当箱をビニール袋か何かに入れろ。家で処分するから」
「は〜い……」
返事をする声は暗い。高校に入学する前に買ってもらった弁当箱。一目惚れをして「これがいい!」と即決したが、別れの日がこんなにも早く来るとは予想もしていなかった。
(短い間だったけど、さようなら、俺の弁当箱……)
「今日は部活ないんだっけ?」
「ないよ」
「なら、学校が終わる頃に迎えにいくから」
「何で……?」
「新しい弁当箱を買いに行くためだ。明日も使うだろう」
「うん、分かった」
まだ気持ちの整理がついていない中、 瀬輝は母との通話を終わらせて輪の中に戻った。
「どうだった?」
「弁当箱は家で処分することになったんですけど、学校が終わったら母ちゃんと一緒に新しいのを買いに行くことになりました」
「そっか。新しいのを買ってもらえるのはよかったね」
「はい」
連朱と言葉を交わしつつ、お別れすることになった弁当箱の蓋を閉める。
(こんなことになっちまってごめんな)
弁当箱をそっと撫で、心の中で謝る。
放課後。
車で迎えにきた母とともに、ショッピングモールへ向かった。
店内のランチボックスコーナーに行き、全体を見渡す。真っ先に目に飛び込んできたのは、先ほどまで使っていた弁当箱と同じもの。
「まだ売っていた……!」と手を伸ばすが、不意に昼休みの出来事が頭をよぎる。
「……」
瀬輝は、苦虫を噛み潰したような表情で手を引っ込めた。
「……同じ弁当箱にしないのか?」
「そうしたいけど、見るたびに思い出すからやめた」
「あー、それはそうだな」
「悲しい話だよ……」
「ま、ゆっくり選べばいいさ」
「うん」
陳列されている弁当箱たちひとつひとつに目を向ける。無地のものからアニメのキャラクター、花柄や星柄があしらわれた弁当箱など、様々だ。
いくつもある中、藍白の二段弁当箱が瀬輝の心をときめかせた。
四角形の蓋の左側には黒猫、右側には白猫が正面を向いて座っているイラストがプリントされている。シンプルだが可愛らしいデザイン。特に、二匹のつぶらな瞳に瀬輝は心惹かれた。
迷わずそれを手に取る。
「これにする!」
「はいよ」
手を伸ばしてきた母に弁当箱を渡す。
「ここで待ってな」
「はーい」
レジへ向かう母の背を見送り、ランチボックスコーナーへ目を向ける。
(可愛い弁当箱に出会えてよかった〜)
幸せな気持ちに浸りながら、店内で流れるBGMに合わせて鼻歌を歌う。
そうして待っていると、母が戻ってきた。新しい弁当箱が入った袋を手渡される。
「母ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。明日からは頭上も気をつけろよ」
「言われなくても」
袋を持つ瀬輝は胸を躍らせていた。早く使いたいし、みんなにも見せたい。今から楽しみだった。
(大切に使うからな)
心の中で断言する。
言葉通り、その弁当箱は高校を卒業してからも愛用し続けた。