バスボールの人形
本編の第68話「コレクション」より、天夏視点のお話。
哉斗とのデートを満喫した天夏は、足取り軽く帰宅した。
リビングのソファーに座ってテレビを観ていた妹に、買ってきたものを差し出す。
「秋凪、猫のバスボール買ってきたわよ」
「ありがとう! 黒猫だといいなー」
「そうね」
言葉を交わしながら妹の隣に座った。そして、出先で会った人のことを話題に出す。
「瀬輝もそれを集めているみたいよ」
「瀬輝くんも!?」
想い人の名前を出した途端、秋凪の瞳の輝きが増した。前のめりになって訊いてくる。
「瀬輝くんと会ったの?」
「そのバスボールを買いに行ったお店で偶然ね」
「瀬輝くんはどれが欲しいって言ってた?」
「あー、そこまでは聞いてなかったわ」
「そっかぁ。瀬輝くんも欲しいのが出てくるといいね!」
「そうね」
妹の言葉に頷きながら、瀬輝が求めているのはどの猫だろうかとぼんやり考えていた。
その日の夜。
天夏は秋凪と二人で風呂に入った。一緒に湯船に浸かり、バスボールを入れる。青リンゴの甘い香りが広がった。
しばらくすれば人形の姿が少し見えてくる。すると、秋凪が人形から入浴剤を剥ぎ取った。出てきたのは三毛猫の人形。
「三毛猫、二匹目ね」
「うん」
声をかけると、妹は人形を見つめたまま頷いた。同じ人形があたって不満げな表情をするかと思いきや、そうではない。何かを考えている顔。
「どうしたの?」
「もし瀬輝くんがこの子を欲しがってたらあげたいなーって思ったの」
「いい考えね。お風呂から上がったら瀬輝にメールで聞いてみるわ」
「うん!」
眩しいくらいに輝く妹の笑顔は、本当に彼のことが大好きなんだと改めて教えてくれる。
風呂から上がった天夏は、手のひらに乗せた三毛猫の人形を携帯電話のカメラで撮影した。その写真を、文字とともに瀬輝にメールで送る。《バスボールの三毛猫、一個持ってるからいる?》と。
返事はすぐにきた。
《いる!!》
彼が求めていたのはこの人形なのだろうと分かる文面。天夏は笑みをこぼし、リビングのソファーの近くに座る妹のもとへ行く。
「瀬輝、三毛猫『いる』って」
「本当!? ちゃんと渡してきてね!」
「もちろん」
妹の言葉に頷き、三毛猫の人形をテーブルの上に置く。
「さ、髪を乾かすわよ」
「はーい」
天夏はドライヤーを手にし、秋凪の後ろに座った。
後日。
学校に登校した天夏は、窓際の席に座る咲季と話しつつ、瀬輝が来るのを待つ。
いつもより少し早い時間に、彼が教室にやってきた。
「ちょっと瀬輝のところに行ってくるわね」
「うん」
咲季に声をかけ、その場を離れる。瀬輝のもとへ歩み寄りながら、スカートのポケットに入れていた三毛猫の人形を取り出した。
「はい、約束していた三毛猫」
差し出すと、彼の瞳が輝いた。
「おっ、サンキュー! 全種類コンプリートするのにあと三毛猫だけだったんだよー!」
「お役に立てたみたいでよかったわ」
「いや本当ありがたい。すっげー嬉しい!」
人形は、天夏から瀬輝に渡る。
それを大事そうにリュックサックのフロントポケットに入れる彼の表情は、満面の笑み。
(あの時、瀬輝とばったり会って良かったわ)
「そういやさ、秋凪ちゃんって黒猫が欲しかったんだよな?」
「そうよ」
「これ、秋凪ちゃんにあげる」
三毛猫と入れ替わるように、リュックサックのポケットから黒猫の人形が出てきた。
思ってもみないプレゼントに天夏は目を丸くする。
「えっ、いいの?」
「うん。黒猫はもう一匹いるからさ」
「ありがとう。秋凪、絶対喜ぶわ」
断言する脳裏には、妹の屈託のない笑みが浮かんでいた。早く秋凪に届けたい。その気持ちを抱きながら、スクールバッグの内ポケットに人形をそっとしまった。
夕方。
家の玄関のドアを開けて「ただいまー」と声をかけると、小さな足音がバタバタと近づいてきた。
「おかえり! 瀬輝くん受け取ってくれた!?」
「ええ。ちゃんと」
「やった!」
ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表現する姿は、何とも愛らしい。今日は兄が遅く帰ってくる日でよかったと思いつつ、天夏はバッグのポケットに入れていた人形を取り出した。
「そんな瀬輝から秋凪にプレゼントよ」
腰を落として秋凪と同じ目線になり、両手の上に乗せた黒猫の人形を見せる。
すると、彼女の目が一層輝いた。
「黒猫だ! いいの?」
「『もう一匹持ってるから』ってくれたのよ」
「瀬輝くんとお揃いだ!」
声を弾ませる秋凪が、人形を手に取った。優しい眼差しで黒猫を見つめる。
(あとで秋凪の様子を瀬輝に教えよう)
微笑んで妹の笑顔を見ていると、大きな瞳と目が合った。
「お姉ちゃん、瀬輝くんに『ありがとう』って言いたい!」
「じゃあ電話してみるわね」
天夏は携帯電話を取り出し、瀬輝へ電話をかける。幸いすぐに出てくれた。訳を話し、秋凪に代わる。
想い人と話す妹の笑顔は飛び切り明るい。
天夏は上り框に腰掛け、妹の様子を穏やかな表情で見守った。