瀬輝の初恋
瀬輝が四歳の時のお話。
デパートの一角に設けられた花屋。
そこへやって来た瀬輝は、母の日の特設コーナー前で足を止めた。
「母ちゃんにはどれがいいかな」
ピンクや赤、緑などの色とりどりのカーネーションを見ながら呟く。
すると、隣にいる父がしゃがんで優しく声をかけてきた。
「この中で、お母さんっぽい花を選んでみたらどうかな」
「母ちゃんっぽい花……」
父の言葉を繰り返し、並んでいる花をじっくりと見ていく。そうしていると、ピンときたカーネーションがあった。一際カッコよく見える花。一輪を手に取る。
「これ」
「うん、いいね。じゃあお金払いに行こうか」
「うん!」
満面の笑みで頷き、カーネーションをレジへ持っていく。
「いらっしゃいませ」
カウンターから声をかけてきたのは、二十代前半くらいの女性店員。茶色の長い髪を後ろで一つに束ね、穏やかな表情を浮かべている。
彼女と目が合った瞬間、瀬輝の胸が高鳴った。運動をしたわけではないのに、心臓がバクバクとうるさい。
(何だろ、この感じ……)
「瀬輝、お花を店員さんに渡して」
「えっ!? あ、うん……!」
父に促され、持っていたカーネーションを店員へ手渡す。
「ありがとう」
女性店員の優しい声と笑顔に、瀬輝の顔が赤くなった。
「こちらラッピングしますか?」
「はい、お願いします」
父と店員のやり取りがある一方、瀬輝は彼女から目が離せなくなっていた。二人の会話は、何となくしか耳に入ってこない。
「──瀬輝、ラッピングの包装紙の色はどうする?」
「えっ」
父に顔を覗き込まれ、ハッとする。
「えっと……あ、赤……!」
あたふたしながら、最初に視界に入った色を言葉にする。そうして再び彼女と目が合うと、今度は恥ずかしさが込み上げてきた。咄嗟に体ごと後ろを向く。バラやマーガレットなど、色鮮やかな花たちが綺麗に並んでいるのが目に映った。
「……」
しばらくそれをぼんやりと眺めていると、彼女がカウンターから出てきた。瀬輝の近くにしゃがみ、同じ目線になる。
驚いた瀬輝は、一歩後ずさった。
すると、包装紙とリボンでラッピングされたカーネーションが差し出される。
「お待たせしました。喜んでもらえるといいね」
瀬輝は、間近にある優しい笑顔と目を合わせられずにいた。震える手で花を受け取る。
「あっ、ありがとう、ございます……!」
声を少し上擦らせ、急いでお辞儀をした。彼女の「ありがとうございましたー!」という明るい声を聞きながら、逃げるように歩き出す。
その後を、父が追いかけた。
「……」
息子の様子がいつもと違う。あの店員さんに一目惚れでもしたのだろうか。きっとそうだろうと、父は考えた。優しい微笑みを浮かべて息子に声をかける。
「瀬輝、どこに行くの?」
「……分からない」
問われ、瀬輝は立ち止まった。心臓の騒がしさは少し静かになったが、顔や体は熱い。父を見上げる。
「父ちゃん、アイス食べたい」
「うん、じゃあ食べに行こうか」
行き先が決まり、歩き出す。
瀬輝はこっそりと後ろを振り返った。人混みの隙間から、花屋が見え隠れする。しかし、彼女の姿までは見えない。もどかしさを感じながら、前を向く。
その後もデパートに行った時には、花屋を前を通るたびに彼女を見ていた。目が合ったり、話しをすることはない。だが、姿を見られるだけで嬉しかった。
そんな淡い初恋は、しばらく続いた。