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ひごろこと*番外編*  作者: 冬月 聖


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10/10

小さな水族館

本編の第18話「心、揺さぶられ」の後日談です。

 放課後、咲季(さき)稜秩(いち)は小さな水族館に来ていた。館内はそこまで混んでおらず、ひとつひとつの水槽をゆっくりと見て回れるほどだった。東西南北、様々な場所で生息している生き物たちが展示されている。


 フグやカサゴが泳いでいる水槽から次の展示へと進んでいくと、ふれあいコーナーが設けられていた。カニやヒトデなどを直接手で触れるのだが、咲季(さき)の目に止まったのはドクターフィッシュだった。不意に、先日放送があったバラエティー番組のワンシーンが思い出される。

 それはリニューアルされた水族館をリポートするロケで、父が水槽に足を入れてドクターフィッシュに角質を食べてもらっていたシーンだ。あまりのくすぐったさに、父は笑い転げていた。

 ここの水族館では手を水槽に入れるタイプなのだが、咲季(さき)もやってみたくなる。


「ドクターフィッシュって、この前律弥(りつや)さんがやってたよな」


 稜秩(いち)も同じことを思い出していたようで、番組の話題が出てきた。咲季(さき)は笑みをこぼす。


「そうそう! 観てて楽しそうだったから、あたしもやってみようかなって」

「やるか」

「うん!」


 二人は壁に貼られたポスターの案内に従って、近くに設けられた手洗い場で手を洗う。その後、ドクターフィッシュが泳いでいる水槽に近づいた。

 咲季(さき)は右手を、稜秩(いち)は左手を同じ水槽の中に入れようとする。

 すると、魚たちが水面に集まってきた。


「人間の手って分かってるんだね」

「『エサが来た!』ってなってるんだろうな」


 手を水につけた瞬間から、ドクターフィッシュたちが勢いよくそれぞれの手に群がってきた。


「わっ、すごい……!」

「あっという間に魚だらけだな」


 驚きも束の間、僅かなくすぐったさを感じた。素早く動く魚たちの口は吸盤のよう。


「吸いつきがすごいな」

「ね。これだと、足はもっとくすぐったいよね」

律弥(りつや)さんがああなるのも頷けるな」


 番組の放送を一緒に観ていた父曰く「誰かに足をくすぐられるよりも、くすぐったかった」とのこと。

 その感覚も味わってみたくなった咲季(さき)は、今度は足の角質を食べてくれるドクターフィッシュに会いたいなと思っていた。


 数分間触れ合ったあと、再び手を洗い、次のコーナーへと足を運ぶ。


 通路を進むと、薄暗く静かな空間が待っていた。そこにはクラゲたちがいる。ふわふわと浮かぶように水槽の中を漂っていた。

 天井を照らす青い照明と、スピーカーから流れてくるピアノの落ち着いた音色が、クラゲの優雅さと相まって幻想的な世界になっている。


「き──……」


「綺麗だね!」と言葉にしたかった咲季(さき)だが、ふと隣を見上げると、声が出なかった。水中に浮かぶクラゲたちを見つめる横顔が、あまりにも美しかったからだ。

 青色の照明に淡く照らされた顔を、静かに見つめる。幼い頃から目にしているが、何度見ても好きなことに変わりはない。

 不意に、稜秩(いち)がこちらを向いた。


「どうした?」


 静かに問いかけてきた顔は怪訝そうにしている。


「いっちーの横顔、好きだなーって見てただけ」


 素直に伝えると、稜秩(いち)の顔が少し意地悪げに笑った。


「……横顔だけ?」

「横顔も正面も後ろ姿も、性格も仕草も声も全部。全部好き」

「──……」


 偽りのない言葉を口にしたが、稜秩(いち)からの返答はない。咲季(さき)は少し戸惑う。


(あたし、変なこと言っちゃったかな……?)


 小さな不安を抱き始めた時、大きな手が頭を優しく撫でた。


「知ってる」


 目に映る表情は柔らかい。一瞬で不安は消えた。

 咲季(さき)もつられて笑みをこぼす。

 言葉を交わさず静かに笑い合った二人は、どちらからともなく手を繋いだ。

 稜秩(いち)の温もりが伝わってくる。優しく、安心感のある温かさ。咲季(さき)の胸に〝好き〟が溢れる。今すぐにでも彼に抱きつきたい。しかし今は人目があるため、それができない。

 咲季(さき)は歯痒さを感じつつ、ほんの少しだけ強く稜秩(いち)の手を握った。



 一通り見回って出口を抜けると、近くに小さな売店があった。そこでは館内にいた生き物のイラストがプリントされた生活雑貨や、ぬいぐるみなどが売られている。


「可愛い〜」

「何か買うのか?」

「買おうかなぁ」


 咲季(さき)は瞳をキラキラとさせながら、陳列された商品を見つめる。


(ぬいぐるみもいいしヘアゴムもいいなぁ)


 迷いながら見ていると、横から稜秩(いち)の手が伸びてきた。彼はプラスチック製の取っ手がない青いコップを手にした。コップの側面には、貝殻とヒトデとクラゲのイラストが描かれている。


「いっちーはそれ買うの?」

「うん。ちょうどプラスチック製の新しいコップ探してたからさ」

「……あたしも同じのにする」


 色は他にもピンクやオレンジもあったが、咲季(さき)稜秩(いち)と同じ色のコップを手に取った。


「完全にお揃いだな」

「うん」

「他に買うものあるか?」

「ううん、これだけ」


 答えると、稜秩(いち)が手を差し出してきた。


「買ってくるから貸して」

「うん。あとでお金払うね」

「いや、いいよ。ここは俺が払う」


 そう言い切った稜秩(いち)の手がさらに伸びてくる。これは絶対に主張を曲げないだろうと、咲季(さき)は言葉に従うことにした。


「ありがとう。お願いね」

「ん」


 二つのコップを手に、稜秩(いち)が会計へ向かった。咲季(さき)は彼の背中を見つめる。


(いっちーとお揃いがまた増えた)


 彼とお揃いのものを買う時は、いつも特別な気持ちになる。頬を緩ませながら小さく鼻歌を歌う。

 しばらくして、会計を済ませた稜秩(いち)が戻ってきた。手にしていた袋のうち、一つを差し出してくる。


「はい」

「ありがとう!」


 満面の笑みで受け取った咲季(さき)の声は弾んでいた。


「そろそろ帰るか」

「うん。でも、もうちょっと一緒にいたいから少しだけ遠回りして帰ろう」

「そうだな」


 まだまだ稜秩(いち)と一緒にいられる。あまりの嬉しさに咲季(さき)は飛び跳ねたくなった。しかしそれは出来ないので、代わりに「へへっ」と小さく笑う。

 二人は再び手を繋ぎ、足取り軽く小さな水族館を後にした。

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