4話:——あたしだけが知っている 1
——今でも。今まで。忘れたことなんて、ない。
◇
数日後。俺たちは、ダンジョンの新しい層にいた。赤土の地面と壁には等間隔でランプが焚かれている。道は数人が並んで歩ける程の幅だが、分岐が何箇所もあり、分かれる度に道幅は狭くなっていった——突き当たりに来た俺たちは引き返すことにした。
第七十九層の攻略が始まって一週間程。本日はボスフロアを見つけることはできなかったが、このままマッピングを進めていけば、辿り着く日はそう遠くないだろう……決戦は近い。
「——ッ(だが……ッ)」
ありえない。俺は暗澹たる気持ちで、本部から家に帰る支度をした。レベル五〇〇超え——四季咲がいる限り、俺たちが正攻法でこのダンジョンを攻略することは不可能と言える。レベルの値は基本的な強さの基準で、四倍以上の差があるのだから絶望的だ。
そして、それは実現不可能な値でもある。レベルとは鍛錬の成果ではなく与えられた権限。その正体とは——権限とは、制御された天災の力。
仮に、この力を『X』と呼ぶ。ダンジョン内には自然界には存在しない『X』が満ちており、この力は制御することができる。しかし無限にあるわけではなく、限られた量の『X』はダンジョンという天災を収束するため、レベルやスキルというシステムで割り振られる。
「——(何故だ? 足りないッ。絶対に帳尻が合わないのに)」
総量には限りがあるのだ。咲のレベルはその限界を超えている。だが、そこにどんなからくりがあろうと、俺のすることは変わらない。
ダンジョンの最終層を攻略し、やり直す。詳細な条件で言うなら——『最終層ボスが討伐された時点でそのフロアにいて、ボスに一撃でも加えていること=討伐パーティーの一員であること』。可能性は、ゼロじゃない。
————
——
「あれっ? もう⁉︎ 今日、帰る準備早くないですかっ、もう着替えてる……」
御調緋花が玄関ホールに現れると、昇降機の前にいた風梓雛蜂に声をかけられた。夏らしい浴衣姿にライトパーティクルを纏うオレンジの髪で周囲が明るい。少しだけ短い裾から浴衣の合わせのスリットに沿って、見えるほっそりした脚が綺麗で、目の前に立つと、そういえば自分は今日ラフな格好だったなと思った緋花は短い袖がレースのシースルーになったサマーニットとショートパンツだった。
「うん。今日はほら——」
「あ! そっかっ、今日はレッスンですよね。雛は続けられませんでした……っ。すごいっ、大変じゃないですか。アイドルするの」
きらきらと大きな目を輝かせながら、お祭りではしゃぐ子供のような無邪気さで、ちょっと恥ずかしそうに尋ねてくる雛蜂を見て、今日も今日とて緋花はしみじみ思うのだった。
これで好きになってしまうと、人は死ぬんだな——と。一生懸命、一緒に話そうとしてくれている感じがとてもかわいいけど。
「緋花ちゃんさん……?」
「うわぁ⁉︎ ——あ。ごめん、考え事しててっ……」
「何の考え事?」
「それはっ……れっ、恋愛観とか? 死生観とか」
「難しいですね⁉︎ 雛はまだっ、恋愛とかはわかんないですけどっ。でもやっぱり、好きになった人と死にたいですよね! ……っ⁉︎ 大丈夫ですかっ。何だか、すごく疲れてるみたいですよ⁉︎ 雛の元気わけてあげますっ、あ——エレベーター」
御調緋花は、幼い頃からアイドルグループで活動している(※雛蜂はかわいいので一瞬だけ、同じ事務所にいたことがあった。一緒にいた時にスカウトされて)。人気的にはけっこうなもので暗殺者なのもその正体を隠蔽するため。地上への昇降機に乗り込む。今週のスケジュールを聞かれて話すと、雛蜂は驚いた顔で目を丸くした。
「詰め過ぎですよっ、これ本当に全部やるんですかっ? どうしたらそんなに頑張れるんですか……?」
「え⁉︎ あたしはっ、別に」
「別に? そうなんだ……。別に何でもないんですね……。そうですよね。できて当たり前ですよね。雛できなかったけど、雛が特別なんですね。特別ダメなんですねっ。雛が雛が雛が——」
「えっとね‼︎⁉︎ あのね強いて言うならっ、えとその——⁉︎ 目的があるから続けられるのかな。うん、それが大きいと思う! 忘れられない思い出がっ」
思い出?
「そのっ、あって——」
「?」
◇
久しぶりに家(やや大きめのマンションだ)の前までやって来ると、俺は強烈な眠気を感じた……。ある事情により俺は家にはあまり帰らないが——