09.Pax intrantibus, salus exeuntibus.
訪れるものに安らぎを、去りゆくものに安全を。
ユキが身構えた瞬間、変な生き物―――パラサウロロフスが、大きさに似合わぬ俊敏な動きで向きを変え、一声嘶いた。
同時に群れの大部分が走り出していた。
しかし、それは既に遅かったといえよう。
その時、再び地面が震えたのだ。
ユキが体を震わせるよりも早く、それは現れた。
木の陰から姿を現したティラノサウルス-レックスは、彼らの一番近くにいた一頭に風のように襲い掛かると、一気に首筋に噛み付いた。
「あ!」
息もつかぬ間に巨体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
首の骨が砕けた音がした。
ユキはとっさに目を背けたが、リュオはそれを食い入るように見つめている。
再びレックスが咆哮をあげ、大地が震えた。
二人ともが震えていた。しかし、それは全く別の種類のものだった。
ユキは恐がっていただけだったが、リュオはうれしさに震えていた。
「リュオくん」
しばらくすると、モーティスが言った。
「時間だ。いいかね?」
「……うん」
リュオは名残惜しそうに、史上最強の肉食獣を見上げていた。
「3……2……1……0!」
また、先ほどのように、地面に押し付けられるような感覚が走った。
しかし、リュオはじっと壁のほうを見ていた。
「……怖く、なかったの……」
光が行過ぎる中、ユキは尋ねた。
「全然」
リュオは満面の笑顔だった。
また“アーティキュロ・モーティス”の中が暗闇に戻った。リュオはため息をついた。
「……ねぇ、お姉ちゃん」
「……ん?」
「……ホントに、あれは現実だったの?」
リュオは真剣だった。表情は見えなくても、ユキにはそれが十分に感じられ、思わず微笑んだ。
「……多分、ね。でも、大事なのは、リュオ君がどう思うか、なんだと思うよ?」
そして、扉が開かれ、光が差し込んできた。
「楽しんだかい?」
二人には、逆光の中、笑顔でそう言う男が、妙に恐ろしいものに見えた。
「……う、うん。ね、リュオ?」
リュオは頷くと、モーティスの脇をすり抜け、すぐに母親に駆け寄った。その姿は、実に微笑ましかった。
「それで?どうだった?」
「ティラノって、ホントにいた恐竜だったんだ……。すっごい怖かった……」
「ハハ!まぁ、一般的に女の子は恐竜なんて別世界のものだからな」
モーティスは明るく笑った後、すぐに真剣な顔になった。
「何か問題とかは?」
「……問題も何も、私はあれ、初めてだよ?」
「実のところ、誰かのイメージであれを使ったのはお前が始めてでな。問題がなけりゃいいんだ」
彼は軽い調子で言ったが、ユキは聞きとがめた。
「あのさ、そういうことは前もって言うべきだと思うんだけど」
「そうか?」
モーティスはそれしか言わなかった。
その時、「客」の二人が近づいてきた。
「あの、ありがとうございました」
「いえいえ。リュオ君、また来るといい。お小遣いをためて、ね」
「うん!」
すると、母親は表情を曇らせた。
そうして、ユキの最初の時間旅行は終わった。
不思議なことに―――といっても、モーティスの予想通りだったが―――、ユキの身にもリュオの身にも、何も起こらなかった。
二人が“アーティキュロ・モーティス”の中にいた、15分間。リュオの母がモーティスに語ったことがある。
―――実は、あの子は心臓に問題があるんです―――
―――手術すれば、治るのですが……成功する確率が4割といわれまして―――
―――どうなるか分からないので、最期に息子の願いを叶えたかったんです―――
この話に直接の関係はないが、一応記しておく。
手術は成功した。
こういう話は書いていて楽しく、ついつい長くなってしまいました。
今回登場した“リュオ”は、私の処女作「恐竜アドベンチャー」(←題名考えるの本当に苦手で……汗。ちなみに原題は「Fly Over the Time」)の主人公の名前です。
直接本人というわけではありませんが、「恐竜見に行くのに他におらんだろ!」と勝手に思い、登場させました。
蛇足ですが、ルーツは「遼」→「RYOU」→「RYUO」→「リュオ」。
ま、このくらいの遊びは許してくださいませ。笑
では。
田中 遼