堪えぬ冬の疼き
朝陽が窓ガラスを美しく透写している。
砕いた宝石の乱反射が淡い道筋となり、滲みながら伸びている。
その光の先に、眠るノアの横顔があった。
ノアの手には短く線を描いたような傷があった。昨晩のことが無理やり頭に過る。それは夢を思い出す時に似ている。薄く靄のかかった自分が遠くにいた。
すまない
すまなかった
そう謝罪したい。伝えたかった。だが、私の言葉は鳥の囀ずりにしかならない。
すると、ノアの眉がピクリと動いた。
私は足を止めて見つめる。ノアの首がむずりと動き、瞳がゴロゴロと鳴る。薄い瞼がもどかしげに開いた。まだ覚醒していないのだろう。言葉 ではなく、唸るような声と一緒に甘酸っぱい香りが嗅覚をついた。
すまない
私はもう一度、言葉のない謝罪をした。
「・・・おはよ。フェニ」
そう言うと、ノアは人差し指で私の頭を優しく撫でる。
私は、愛玩になる資格はないよ
「ふふ、昨日は驚いちゃったね」
だが、ノアは微笑んでいる。
とても、嫌になるほど綺麗な瞳だった。
「フェニ、自分を傷つけてはいけないのよ」
ああ
そう、だな
ノアは体を起こすと、そっと私を掬い上げた。ベッドから立ち上がりそのまま窓の方へと行く。外を見て、二人で朝陽を浴びながら、ノアは何も言わず、しばらく眺めていた。
昼前に獣医師がやってきた。
自分では痛みはなかったのだが、心配したノアが急ぎで呼び寄せていた。
羽が少し傷ついたものの大きな怪我はなかった。消毒と小さな包帯で処置を受けた。
「これで大丈夫だろう。傷口を気にするだろうが包帯はそのままで、もし外れたら巻き直すように。まあ、二、三日で良くなるよ」
獣医師はそう言うと手回りにある包帯や消毒薬の入った瓶を鞄に入れ始めた。
「本当ですか! ありがとうございます」
ノアは両手を合わせて喜んでいた。
「自傷行為は、おそらくストレスか何かだろう」
「ストレス・・・。あの、それは一体どうしたらよいのでしょう?」
「うーむ、まあそうだな。十分な食事と睡眠・・・とは言っても、既にきちんと面倒はみているだろうからな。まあ、あまり構い過ぎず、気にし過ぎず、ほどほどに接してあげなさい」
獣医師は柔和な顔でそう答えると、鞄を持ち扉の方へと向かった。ノアは見送る為か、急いでその後を着いていくと、一緒に部屋を出ていった。
遠くで楽しそうな笑い声が聞こえた。
部屋に一人残される。
遣る瀬ない私は鳥籠の内で止まっている。動かないことを要されている気がしたからだ。私は自分の意思を強くもって、動かないように注意した。それは、ノアが、私の絵を描く時と同じようにだ。もしかしたら、呼吸も止めていたかもしれない。
そうしないと、いけないと思った。
そうしていた時間がいくつか経った頃に、部屋の扉が開いた。それはノアではなく、侍女であった。
辺りをゆっくりと見回して、またゆっくりと扉を後ろ手で閉めた。
侍女は普段、ノアの身の回りを世話する者だと認識している。ノアの傍で甲斐甲斐しく、そして慎ましくそこにいる。
ただ、部屋に入る動きは、静かであれど、どこか不可思議で、何故自分がそう感じているのか、すぐには見当たらなかった。
侍女は、私に軽く視線を向けたあと、迷いのない歩みでベッドサイドにある中腰くらいの高さの棚まで行き、そこで再び辺りを見回した。何かを探るようで、その姿が過去に見た戦禍の物盗りに似ていると思い出した。
何をしている?
侍女は引き出しを開けているようだった。しかし、私からはその背中しか見えない。
「こんなもの、・・・こんのものさえなければっ!」
よく見れば侍女の背中は震えていて、小さな声は、怒りを含んでいた。
侍女を見続けていると、クルリと踵を返したことに驚いた。そんなことはないのに、目が合ったと錯覚するほどだった。
だが、侍女は何故か私の所へ、鳥籠へ近づいてくる。
気づかれた?
いや、何にだ?
私が見ていたこと?
私が訝しいと思ったこと?
全身がカッと熱くなる。
しかし侍女は、鳥籠を覗くように私を見ると「可哀想に」とだけ呟き、部屋を出ていった。
向けられた言葉と一緒に取り残された私は、妙な不安に襲われた。
そして、その不安は、遠くで確実に足音を鳴らしていたのだった。