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夜半



 私の故郷には、御祓の森という場所がある。そこは吐き出した罪を洗い流すとされていた。

 私が初めて森に入ったのは十歳の時、母に連れてこられた。そこで母は、この森の言伝えを教えてくれた。

 

 大昔、黒蛇が村を襲い暴れていた。全てが壊され、荒らされ、村は廃れていった。その様子を見た天界が黒蛇に楔の鱗を貼りつけた。


 『人の罪を受け入れなさい。人の罪を赦しなさい。人の罪を浄めなさい。

 琥珀色の雫が葉の先から滴る。その一つ、次の一つ、そしてまた一つの時間を濃縮したあの一瞬に、あなたが人のために想えたのなら、黒蛇よ、あなたを天界へと誘おう』


 これにより、黒蛇は一つ一つの人の罪と一緒に自身の罪も洗い流し、白蛇に変わり、天へと昇った。



 母はなぜ私にこの話をしたのか。

 ここへ来たということは、母も何か洗い流したい罪があったのか、私がそれを知ることはなかった。

 ノアが湖で母親の話しをしていた。

 その時、御祓の森で跪いて祈る母の横顔を思い出した。

 磨り減った日常に埋もれていた、彩りの失われた過去の中で唯一、鮮明な母の横顔が胸に残っていたからなのか。

 いや、きっと、ただの私の罪だ。

 




 日は落ちて、灯りのない部屋はその暗さよりも静けさが際立つ。さっきまでの雨はノアの言っていた通り、すぐにやんだ。


 鳥の姿になり耳をすますことをしない。人の時とは五感が違った。だから目を凝らすことや耳をすます、そういったことに神経を注がなくても、自然と体に感覚を刺激する情報が入ってくる。


 静かだ

 空気すら止まっているみたいだ

 ノア、風邪をひかなければいいが


 雨宿りをした後、私を庇いながら城まで戻ったのだ。

 しばらくして、廊下の方から近づく足音がした。そして、肌の感覚と言えばいいのか、誰が扉を開けるのか分かった。

 扉が開くと廊下の明かりが尖る朝焼けのように部屋に入り込む。

 ノアの髪は濡れていた。


 あれ? 外から戻って時間が経つのに


 そう疑問を浮かべていると扉を閉めた時に花の香りがした。


 ああ、風呂をしてきたのか


 ノアは部屋のランプに灯りをつけるとベッドに腰掛けた。


 静かだ

 

 頼りない灯りは部屋の隅々まで照すことはなく、揺れた火に合わせてほんの少しノアの影を歪ませる。

 気がつけば部屋には、ノアの小さな息づかいだけになった。

 影が揺れる。

 ランプの火が時折チリチリと音をたてる。

 変わらぬ調子の息づかい。

 全てを置き去りにしたような静寂が心に余白を生むようで、こんな時間がずっと続けばと、そう思った。




 私の祖父が子どもだった時に戦争が始まった。何がきっかけだったのか、確か領土と資源を奪い合うためだったと聞いたことがある。

 しかし、国と人は争い過ぎた。

 争う意味が磨耗するくらい、長い時間をつかい過ぎた。だから、私が兵士として戦争に出た時には『国のため』という曖昧な大義のみしか残らず、しかもそれは、家族を奪われた、先祖が殺された、その憎しみを表に出さないための張りぼてになっていた。

 敵国の人間を見つけたらすぐに殺せ。

 死んでも殺せ。

 戦地を踏み締める足がふらついた。

 

「いいか! 今日を生き延びろ! そうすれば明日がくる。明日がくるということは一つ、国に希望が生まれた証だ! 俺たちの戦いが国に残る人々の明日になるのだ!」

 私の前に剣を差し出す。それを受け取ることしかできなかったが、兵長は満足そうに頷いた。


 いつ、・・・いつか終わるのでしょうか。この戦い


「終わる! いや終わらせるんだ!」

 私の胸に拳を当てる。俯いた顔を上げると、兵長は力強く赤い瞳を向けていた。熱が伝播するようだった。


 私は、でも、もう殺したくは、ありません。味方が死ぬのを、人が死ぬのを見たくありません


「・・・お前は、良い奴だ。・・・お前には妻はいるか? 子は?」

 兵長は頬を少し緩めて言った。いつもの活気ある言葉とは違う、語りかけるようだった。


 いえ、どちらもいません


「そうか、俺はいる。・・・息子だ。8つになる」

 兵長は胸元からロケットペンダントを出して中を見せる。丸く切り取られた写真には子どもが写っていた。


 胸が詰まりそうになった。


 ・・・だったら、こんな所にいてはいけないじゃないですか!

 いつ死ぬかもわからない、こんなところじゃなくて、子どもの傍にいるべきだ!


 そう叫ぶ私の肩に、兵長は手を置いた。


「だから俺は戦うのだ。守るものがあるからな! 俺は、妻と息子の明日を作るために、戦うんだ!」



 誰かのため

 守るために・・・

 風が通り過ぎて、母の顔が浮かぶ。


 ・・・今日を、生き延びて、明日を迎える。私のために、大切な人のために、それが終わりに向かうために。

 

 兵長をもう一度見ると、目を細め頷いた。

 私は剣を強く握り直した。




「おい! それ埋めるからさっさどけてくれ!」

 

 え?

 

 冷や水をかけられたかのようにハッと顔を上げた。


「さっきから死んだの見て何ブツブツ言ってるんだ。早くそれ剥ぎ取って埋めないと腐って臭いが酷くなる。烏も寄ってくる。おら、どいてくれ!」


 片目の潰れた男は面倒そうに言い捨てて、私にぶつかりながら屈むと、慣れた手つきで死体から防具を乱暴に剥いでいた。

 男の左手の甲が赤く爛れていた。その手をジッと見つめ、少し眺めたあと、フラリと立ち上がった。


 ああ、そうだった。兵長はとっくに死んでいたか


 そうだった


 そうだった


 ああ、あとそうだ。

 返り血が兜や鎧の隙間に入るととても不快だったな。

 あと、気を抜くと全身を振り回して反発しそうになる心を無理やり抑えたこともあった。

 あと、それが収まらず怒りに任せてまた敵を切り殺した。

 そして、一気に虚無感が襲った。

 自分が何を見ていたのか忘れた。

 考えずとも敵の死体が転がるようになった。

 足元の死体が敵か味方かわからなくなった。

 首もとの痒みに苛立った。

 早く終われとそればかり頭に渦巻いた。

 それでも敵を殺した。

 また、どうでもよくなった。


 思い出した。


 思い出した。

 

 掌にペンダントがある。

 

 ゆっくりと、それを、開けた。







 うわあああああああああああああああ


 

「どうしたのフェニ!」


 気がつくと鳥籠の中で地面に落ちた。私は羽をバタつかせて、首を回し、爪で床を引っ掻いた。体を起こしてそのまま籠の網にぶつかる。自分の羽を嘴でつつきながらむしりとる。

 その様子にノアが慌てて駆け寄ってきた。それを私は、どこか遠くで見ているように把握しながら、一方でこれは夢だとも思った。視界は不確かで、体の震えが止まらなかった。

 ノアは急いで鳥籠を開けて私の体を掴むと両の掌で優しく包むが、私は足を踠いて、その手に爪をかけた。


「大丈夫よ。フェニ。なにも怖くないからね。大丈夫だから。大丈夫、大丈夫よ」


 手で包み込んだ私を顔の近くに寄せて言った。まるで、慰めるようにだった。


 聞こえている

 聞こえているよ

 

 そう答えようとした私は、壊れた笛の音のような鳴き声を上げることしかできなかった。


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