使者たちが運ぶもの
湖畔の前の焚き火が消えぬように枯れ木を継ぎ足した。
ノアは地面に横になり眠っている。木々の奥の方から朝陽が昇り始めていた。
「大丈夫だよ」
ノアの言葉がこの場に残っているようで、私はスッと立ち上がった。湖の前まで歩く。
また、やってしまった。
昨夜の私は、愚かな私であった。
どうしようもなくなって、ノアを困らせてしまった。
剣を抜き、何もない空を斬った。
二度、三度と斬りつけた。
何もないものを斬っていると、次第に靄のような、淡い灰色の集合体が人の形になっていく。
幻影が、何やら私を見て話している。
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なあ、あいつ、おかしくなっちまったよ。
この前あいつ故郷に妻と子が待っているって言ってたぜ。
大事そうに写真見てたな。
知ってるか? あの写真、この前死んだ兵長の家族のやつだよ。あいつそれを持ち歩いて、いつも見てやがる。
たまにその写真に話しかけてるんだ。
・・・気味が悪い。
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私は、斬りつけた。
「フェニ? 何をしているの?」
手を止めて振り返ると、ノアが起きていた。スーッと朝陽の光がノアに降り注ぐようで、煌めいて見えた。
「いや、何も」
「そう。・・・おはよう!」
眩しい笑みであった。
「おはよう」そう、返そうとして目の前がチカチカと狭くなった。
「え!? フェニ!?」
まるで信じられないものを見ているような表情で、思わず自分の手を見ると、粒子状に溶けていた。
自分は、消えるのか?
ノアが駆け寄ってくると、私の視界は暗闇になり、そして目を開けると目の前にはノアの顔があった。
ああ、よかった。自分が消えたのかと思った。と、その矢先に私はスッと体が持ち上げられた。
え?
そう声を上げたのだが、聞き知っている小鳥の囀りであった。
「フェニ、また鳥の姿に・・・」
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私たちはまた、山を越え森を抜けていった。日が昇りきると、日差しも強くなり、ノアの額には汗をかいている。
私は肩に乗りながらバランスを崩さぬようにしっかりと掴まりながら考えていた。
私はいったい、どうやって人の姿になることができ、いつ鳥に戻ってしまうのか。
その方法が分からないもどかしさがあった。
教えてくれ。
頭の中で願ってみたが、誰も教えてはくれなかった。
「ねえ、あれなんだろう?」
ノアが何か見つけた。山を下る途中、森が途切れ何もない平地が見え、まだ遠くではあるが、細く煙が伸びていて、あれはテントだろうか。それが何個か並んでいた。
ここからでは、何か分からないな。
ノアは地図と見比べて位置を確認している。しかし、私の目から見ると、ここの地形と合致していそうな場所は地図上にはなかった。当てもなく歩いてきたせいで、地図から外れているようだ。
「たぶん。今はここよね。だから、あっちに行けば駅の裏側に着くから。・・・よし、あっちに行ってみようか」
ノアは地図をたたむと、そのテントがある方向へ歩き出した。
いや! ちょっと待て! そっちではない!
私は慌てて羽を動かしたが、肩に乗る私の頭を撫でながら「大丈夫よ。落ち着いて。私がついているから」と、私の忠告は届かず、歩み進んで行ってしまう。
今の私には制止する力はなかった。
森を抜けて平地を歩いていくと、徐々にさっきのテントが見えてきた。そこには十人ほどの人がいた。その身なりから兵士ではないと分かったが、危険性がないようには思えなかった。
さらに近づくと、数人が火を囲んでいた。
「ん? 女? おいおい、どこから来た」
その内の一人の男が気がついたようだ。四十くらいの痩せた男、頭には布を巻いていて、腰にはショーテルが差して携えている。私の知らない不思議な装いであった。
男の後ろ側に一際大きなテントがある。声を聞いて何人か出てきた。
「あ、あの、すみません。道に迷ってしまいまして、そのー、あっそうだ。今ってここで合ってますか?」
そう言って地図を取り出し広げて見せた。
指で位置を指し示すが、男の目は明らかに不審なものを見る目であった。
「おい、ちょっと待て、その前に何者だ? ここは俺たちがキャンプにしている場所、ここを勝手にうろついて、まさかスパイか? それとも盗人か?」
「へっ! ち、ちがいます。私たちはその、ただ道に迷っただけで」
「おいっ! 身ぐるみ全部出しやがれ! じゃないとやっちまうぞ!」
男はショーテルを構えノアに向ける。
「あの、話を聞いてください!」
ノア、逃げろ!
羽を動かし声を上げる。チラリと男は私を見るが、すぐに無視してにじり寄ってくる。
男以外の仲間も同じようにノアを睨みつけていて、少しずつ追い詰められているようだった。
「おい、何してる?」
すると、男の後ろにある大きなテントが開いた。皆が一様に振り返る。
「あっ、団長! すいやせん。いや怪しい奴がうろついていたんで、問い詰めてました」
男は慌ててショーテルを仕舞うと、その人物に近寄った。
「あんまり騒ぎ立てるな。・・・で、その女は?」
「あーいや、それが道に迷ったとか言いやがりますが、こんなとこ、一人でいるなんて怪しい奴ですぜ。スパイか盗人じゃないかと」
「ふうん」
曇った声ではあったが、その体型や話し声から女だと分かった。周りと同じように頭に布を巻いて、土色のコートを羽織っている。
しかし、顔は見えなかった。妙な仮面のようなもので覆っていたからだ。
団長と呼ばれる女は、私たちに近づく。
ノアを頭から足先までじっくりと見て、最後に私をチラッと見ると、「名前は?」と言った。
「・・・せ、セイラと申します。
勝手に足を踏み入れたこと、お詫びいたします。ただ、怪しい者ではなく、山を歩いていたら道に迷いここへ来てしまいました。
すぐに立ち去りますので、どうかお見逃しください」
ノアは誠意を込めて頭を下げた。
「セイラ? ・・・ふむ、見たことのない面だな。前に見たリストにもいない名だ」
「団長! そんなの偽名ですよ。何か情報もってかれたら事です。やっちまうか、縛りあげときましょう」
「ちょっと黙ってな」
感情的に声を荒げる男は、しかし、グッと堪え一歩退いた。
その様子を見ていると、この女が長なのだろう。
「おい。セイラと言ったな。ちょっとこっち来い」
そう言って、人差し指でノアを呼び出した。
ノアは着いていくべきか、迷っているようだった。私を横目で見るが、私もどう振る舞い、選択することが正解なのか、分からず考えていると、「ほら、早くしな」と呼ばれる。
「あっ、はい!」
その威圧に急かされるように、ノアは女の後を着いていった。
大きなテントに入ると、中には仲間が何人かいて、その全員に、外に出ているように命令した。仲間は一様にノアを睨み利かせている。ノアは肩をすぼめて小さくなる。
仲間が全員外に出ると、女は中央に置かれている箱に腰かけた。
「それで? 本当の名は? なんての?」
ノアは一瞬、肩を震わせた。まっすぐに飛んできた言葉に、動揺を感じた。何か誤魔化せるように助けたいが、何もできない。囀りだけしか鳴くことができなかった。
「いっいえ。私は、その・・・」
ノアは言葉が続かず、黙ってしまった。
その沈黙は、ジリジリと締めつけられるようだった。
「わかった。まあ、シラを切るのもあんたの勝手だ。ただ、隠すんだったら、着てるもん、全部脱ぎな。お前を示せ。そうしたら、・・・一旦、信じてやろう」
「え!? 服、ですか?」
「こっちはね。あんたより優先すべきことが山ほどあるのよ。なんであれ、その時その時の一瞬で判断しなきゃならねえ。
まあ、女同士だ。ちゃちゃっと脱げ、脱がなきゃ・・・」
女は懐から短刀を抜き出すと、座る箱に突き刺した。口では言わず、ただ物で語っていた。
「わかり、ました。・・・フェニ、目を瞑っていてね」
覚悟を決めたように、ノアはそっと私を床に置いた。
「それ、あんたの鳥? ずいぶん懐いてるな」
ノアはまっすぐに女を見て「はい」と短く言うと、首もとのホックを外しだした。
私は言われた通りに目を瞑った。
すぐ横で、衣がスルスルと音を立て、床に落ちたようだ。
「ははーん。綺麗な肌ね」
足音が近づく、革靴の音だ。
「私の名前は、カーリナ。
カーリナ・リクスシーだ。もう一度、聞く。お前の本当の名は?」
テントの中が、静かになる。裏手側から物を運ぶ音がする。
「・・・泣いている場合か? 早く答えろ。
別に私は辱しめるために裸にしてるわけじゃない。
お前は、私の前で肌を晒して尚、自分の名を偽れるのか? どうなんだ?」
ドク、ドクと、心臓の音が聞こえそうなほど、空気の針が痛々しく、責め立てられ、私は飛び立ちたかった。
飛び立ち、女へ飛びかかりたかった。
ノアを泣かせるな者へ、嘴を突き立てたかった。
ただ、ノアは震える声で言った。
「私は、セイラです。そして、この子はフェニ。私は今、何もないただの人です。
駅を探して、道に迷い着いてしまいました。
それが、今の、私の真実なのです!」
風が吹いて、乾いた土が顔の前を通り過ぎて、テントの外が何やら賑やかな声がする。
「・・・服を着ろ」
女は、カーリナはそう言うと、私の体がスッと持ち上がり、驚いて目を開けてしまった。目の前に、奇妙な仮面があった。
思わず羽をバタつかせ、跳び跳ねた。
「おお、小さいが元気だな。・・・フェニか、良い名だな。由来は、フェニックスからとったのか?」
カーリナの声は、少し柔らかく、笑みを含んでいるように聞こえた。
そして、手荒に私の羽を押さえながら掴み「賢そうな鳥だ」と、ノアの前に差し出した。
目の前に、ノアがいた。
その姿は、なにも身に纏わず、白くなめらかな裸が露なままで、濡れた瞳が大きく見開き、見る内に顔が紅潮していった。
私は急いで目を瞑った。
「ひゃああっ!!」
目を瞑ったのだが、ノアの悲鳴がテントの中で響くのだった。
心の中で、すまないと詫びながら、すぐそばで「何をそんな、急に恥ずかしがる」と、カーリナは笑っていた。




