二階で踞る小鳥たちよ
日が暮れ始めた。
ノアは頭を下げて礼を言った。目の前にいるトナスは照れているのか、頭を掻きながら言った。
「まだゆっくりしてもいんだけどなあ。・・・まあ、俺も話せて楽しかった。また気が向いたら寄ってくれ」
トナスは包みを渡してくれた。中にはパンと乾燥肉が入っているから、道中で腹がへったら食べろと言った。
「それにしても、あの騎士さんは大丈夫なのか? 結局帰ってきてないが・・・」
「はい。あとで合流することになっています」
その言葉に頷きながらも、トナスは心配なのか、途中まで見送ると言うが、念を押すようにノアは大丈夫だと断った。
トナスは手を差し出した。
「ふむ、それじゃあ、達者でな」
時間にすれば一日も経っていないはずなのに、色濃く感謝の気持ちが湧いてくるのは、それほどにトナスに世話になったからだろう。
・・・しかしそれは、別れの言葉を遮った。
何かが私の羽を伝った気がした。
気配だった。
全身が強ばり、その気配は、次第に匂いへと変わり、そして確信となる。
兵士だ。
ガールディアの兵だ。
それに気がついているのは私だけだ。ノアは、トナスの手を握り返している。
私は声を張り上げた。
大変だ! 兵が来たぞ! 急げっ!
ノア、逃げろ!
私の叫びは鳥の鳴き声へと変わる。
それが意味のない鳥の声にしか聞こえないことは分かっている。だが、それでも伝えなくてはならない。
それに、今までの私であればできなかったことでも、今の私とノアであれば、その異様さをノアが感じとってくれるはず。
「どうしたのフェニ? ・・・っ! もしかして」
ノアは何か合点がいったように、すぐに窓に目を向けた。
草木ばかりの景色に、落ち始めた夕陽が強い橙色を染めようとしている。隣にいるトナスは「どうした? 鹿でもいたのか?」とノアの視線を気にして一緒に窓を見てみるが、気づいていない。
ノアは目が離せないのか、じっと外を見つめ、そして緊張が体を走った。
確実に近づいている。
こちらに向かって、金属がぶつかる微かな音がしたからだ。
「ん? 誰か来たか? あっ、もしかしてあの騎士さんが迎えに来たか!」
そうかそうかと、トナスは嬉々とした表情で扉を開けて外へと出てしまった。
「待って!」
ノアは呼び止めようとしたが、それを押し返すような怒声が先に飛び込んできた。
「おいっ! そこのお前!」
「こんな森奥に? おい! 聞きたいことがある!」
兵士は武器に手をかけながら寄って来ている。トナスはすぐに二人の兵士に挟まれる形になった。
「どうしよう。どうしようフェニ!」
ノアは混乱している。どうすればよいのか分からず掌の私に問い続けた。
落ち着け!
トナスは事情を知らない。
私たちのことを聞かれたら答えてしまうだろう。であれば、すぐにこの家を出て離れるのだ。すぐの裏口は危険だ。二階へ行こう。少し危ないが二階の窓から丁度、大きな木に飛び移れるはずだ。
「・・・どうしたら、このままでは、見つかってしまう。どうしよう」
駄目だ。伝わらない。
伝えたいっ! しかし、この姿では、伝えられない。
だが、諦めてはっ・・・。
私は階段を見て、そしてノアの掌から真下を見た。そこは断崖かと思うほど高い。
しかし、臆する時間もなかった。
意を決して、ノアの手から飛び上がった。
懸命に、羽を動かした。
自由に飛べなくても良い。
何か、伝わってくれ!
すると、感じたことのない風を体に浴びた。奇妙な浮遊感だった。腹のあたりが冷めたくなり、地に足は着いていないのに、視界が水平のままだった。
「え? フェニ! 飛んでる!?」
その言葉に私は驚いた。
私は、飛んでいるのか!?
そう自覚した瞬間、体が重くなり、急降下して階段の手前で床に叩きつけられた。
「フェニ! 大丈夫!? どうして」
ノアがすぐに近寄るが、打ちつけられた痛みを振り払い、急いで起き上がると階段を一段、飛び乗った。私にとっては壁のようだが、足に力を溜めて羽に勢いをつけて飛び乗る。すると、手で掬い上げられた。
「こっち? 二階なの?」
首を縦に振ると、ノアは頷いて階段を駆け上がった。二階に着くと、外からトナスの大きな声が聞こえてきた。
「この家には、俺しかいないよ。二年前に妻が死んでからずっと一人さ。家を見るのは構わないが、年寄りの寂しい一人暮らしだからねえ。何ももてなせないよ。
それでもいいかい?
ああ、そうだ。その前にこれ、見てくれよ。前に腰を痛めてから薪割りも大変でなあ。噂で聞いたんだが、街に軽い斧が売られてるってなあ。
どうなんだい? もし本当ならこの年寄りに一本買ってきてはくれんか? 礼はするぞ」
「ああっ! ベラベラとうるさいぞ貴様っ! いいから家に入れろっ!」
扉が勢いよく開く音と、固い金属の足音がして、家に入ってきたのだと分かった。
兵士たちは詰め寄るように問いだした。
ノアの居場所と、一緒にいる私についてだ。
「これがノア・フィーンデルテ、現在逃走中だ。この顔を見かけなかったか? あるいは傷だらけの兜を着けた男は見てないか?」
「・・・ノア・フィーンデルテ。・・・そうか。フィーンデルテか」
「おいっ! どうなんだ」
「いや、知らんなあ。見てないよ。・・・なあ、何かあったのか?」
「おい! 知らんのか、ガールディアがどうなっているのか!」
兵士の口調は強くなる。苛立ちなのか、卓を叩く音がする。
「ったく、こんな森の奥に引っ込んでるから、何も知らんのだ。老いぼれの上、世捨て人みたいに」
「へへ、悪いねえ。で、どうなんだい?」
私は、ノアの手を軽くつついた。ハッと顔を向けて、静かに頷くと音をたてないように窓をゆっくりと開けた。外を見回して、誰もいないことを確認した。
「ノア・フィーンデルテとその従士の二人は、ゴート国王を殺し、逃亡している」
「んなっ! そんな、なんてこと。・・・いや、しかし、信じられんなあ。確かフィーンデルテ家と言えば、ミストリア王国を代々守りぬいてきた王家であろう。そんな、恐ろしいこと・・・」
「実際に殺したのは従士の方だ。赤黒い鎧にボロボロな剣を持っている。顔は、・・・兜を被っていて見たものはいない。
クソッ! あの野郎、見つけたらぶっ殺してやるっ!」
トナスの口から名が出てきた時、ノアはまた止めてしまった。兵士という威を昂らせた言葉に足も止まり、そしてガクンと項垂れて屈み込んでしまった。
逃げる機を失わないためには、急いで離れなければならない。また手をつついてみたが、ノアはこちらを見なかった。
窓の冊子に置かれた手が強く握り締められて、その俯く横顔は、痛みを堪えているようだった。
唐突に、物が激しく倒れた音がした。それと、トナスの苦しそうに呻く声だった。
「貴様っ! 汚ない老いぼれが知ったようなことをぬかすな。叩き斬るぞっ!」
兵士の苛立ちがそのまま剣の抜かれる音に表れていた。ノアの顔がサッと蒼白くなり、おそるおそる足音を消して隠れながら下を覗き見た。
そこで目に飛び込んできたのは、苦しそうに体を丸めるトナスであった。
「フンっ! ジジイが。隠居だか知らんが、国に尽くさない貴様が我々帝国兵士に向かって意見しよって。
・・・おいっ、何か、金目のものあるだろ。もう役立たんのだから、国を守る兵士に恵めっ。それくらいなら貴様にもできるだろ」
汚ない悪態を吐き捨て、兵士は粗雑な手つきで棚や箱を荒らし始めた。トナスはまだ、痛みに踠いていて、何も言い返すことはない。
ノアは顔を近づけた。ジッと私を見て、その瞳は潤んでいた。そして、囁く声は息を吐くように小さく、気配を殺して言った。
「お願い。フェニ、・・・トナスさんを助けて」
不安と焦りとが混ざり、力なく耳に届く。消え入りそうで、悲しみに揺られていて、ノアの姿がか弱い少女になっていく。
よし、分かった。
・・・そこに覚悟を決めた。
そう。決めたのだ。
決めた。
「・・・お願い」
ノアの手に包まれながら、体に力を入れた。
・・・助ける。助ける。
誰を、助ける?
下からガチャンとガラスが割れる音がした。
私は、助ける?
あの老人をか。トナスをか?
なぜだ?
ノアが願ったからだ・・・。
ノアが願うのなら、ノアのためなら・・・。
「お願い、助けてあげて」
ノアは強く願った。
私は強く意識した。
自分の体が人間になるように意識した。
頭が、腕が、足が、剣が、あの頃の私に戻り、再構成されるように・・・。
気づかぬ内に息を止めていた。
だが、私の体は無力な鳥のままだった。
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「いいか。もし、見かけたら直ぐに連絡するように!」
そう言って兵士は家を出ていった。手に小さな布袋を握り、ジャラジャラと鳴らしながら出ていった。扉が乱暴に閉められて、ようやく家は静かになった。
少しして兵士たちの気配は完全になくなった。
ノアは、階段の上で膝を抱えて顔を埋めている。私はその姿を隣で見ていた。
見ていたが、それが辛くなった私は一人階段を降りた。高い段差を慎重に一段ずつ、崖から飛び降りる心地になりながら降りていると、その様子にトナスが気づいた。腰を擦って、床に座り込んだまま動けないようだったが、私と、顔を伏せているノアを見た。
「おお、もう大丈夫だぞ」
掠れた声で呼び、ゆっくりと手を上げてみせた。
私はちょこちょこと跳ねながらトナスへ近づいた。
すまない。
それしか、言えなかった。
私は、なれなかった。
ノアの願いを叶えられなかったのだ。
そのせいで、トナスは体を痛め、金も盗られて、・・・すまない。
私は頭を下げた。
トナスは鳥の囀りをどう思ったのか、腕だけを伸ばして、何かをゴソゴソと掴むと私の前に手を開いた。
「ほら、腹へったか? 食っていいぞ」
トナスが笑いながら言ったことが、私には不思議で仕方なかった。




