旅の終わり
車輪が大きな石を乗り越えた拍子に一瞬浮いた尻を席にぶつけた。
この馬車の荷台にもようやく無感覚になってきたというのに、今の衝撃が思いのほか痛くて長時間座り続けた苛立ちと疲労感がぶり返した。
思わず舌打ちが零れた。辟易としながら、尻をさすろうとしたが、木枠の手錠に阻まれるように手が丁度届かない。
「おい、変なことすると最初にされちまうぜ」
隣に座る中年の男はしゃがれた声で忠告してきた。ただ、それにしては感情が込もっていなく、本当にそれは自分に投げられた言葉なのか、壁にでも話しかけているのではないかと思うほどだった。
「あとどれくらいで着くかな・・・」
中年男への返答とも独り言とも、どちらでもとれるように言った。
隣をチラリと見ると、誰もいなかった。
不意に蹄鉄と車輪の回る音が耳に甦る。何時間も進み続け、聞き続けた音が、自分の中にそうだったと現実感を濃く滲み出した。
そうだった。
あの中年男は、一つ前の道中で舌を噛んで死んでいたんだ。
自分の血で、溺死するみたいに、白目を向いて、果てるように倒れたのだった。
荷台の床の染みが目について、ただじっと見つめていた。
馬車が止まった。
荷台の後ろ側から人影が見えて、開かれてできた隙間から昼とも夕頃ともとれる日差しが久しぶりに荷台の中へ侵入する。
兜を脱いだ甲冑の兵士が立っていた。
「おら! さっさと降りろ」
立ち上がり、腰を屈め頭に気をつけながら荷台から降りた。
言われるがまま、兵士の問いかけに答え、後ろをついて歩き、待ての指示に従い、少しして歩けの命令を受け、進んだ先に大斧を担ぐ屈強な男の前に跪く。
それは、処刑台とは言い難いほどのみすぼらしさ。
薪割り用の丸太には赤黒い染みが飛び散っている。雑な刃の痕がズタズタと幾重に線が入っている。
「罪人はミサルガの出、名は・・・、おい! このリスト、滲んで読めん。お前、名を言え!」
「・・・」
兵士は舌打ちをして私の後ろ髪を掴むと、強引に丸太へ顔を押しつけた。丸太は血の匂いしかしなかった。
兵士が頭から手を離し、面倒そうに「やれ」と短く吐き捨てる。
処刑者の男は無言で大斧を振り上げる。
感情も何もない。
思い残すこと、後悔もない。
死は一瞬のはずだ。
そもそも、死に向かっていく人生だったのだから。
いつかはどうであれ、どういう形であっても、訪れるものなのだから。
最後の情景を丸太にするのは味気ないので目を閉じた。
最後だ。
どうせ最後だ。
一番美しかったあの景色を思い出そう。
春の夜に見た月を思い出そう。
刃が食い込む。鈍い痛みは鉄の棒を打ちつけられたようで、ただすぐに、熱が迸る。
一瞬で燃えた。
飛び散るでもなく、飛び散ったのかもしれない。
注ぐ灼熱の花がフワリと広がる。
私の血は、花になる。
花になれ。
花弁は羽に、羽になれ。
羽ばたかせて。
果てに行きつけ。
「ああ、動いちゃだめよ」
その少女は絵筆を止めた。
絵画になりそうな微笑みの先に私はいた。
柵の中で、赤い羽根を休ませて。