第7話『最初の願い』
草木も眠る丑三つ時……という概念はこの世界にないのだが。
魔族の名に反し、『アークス』の人々は寝静まっていた。
王宮に住むアーク王や使用人たちも例外ではない。
一部の警備兵をのこし、全員がすやすやと寝息をかいている。
……誰にも気づかれず王宮をスニーキングし、マシェリの部屋の前までたどり着いたエイルを除いて。
「ここだよな……」
白い扉を目の前にし、エイルは身だしなみを確かめる。
親衛隊から教えられた無礼のないチェックを済ませ、彼は可能な限り小さな音でドアをノックする。
「お、お姫様」
ささやくような小声でよびかけるエイル。
すると扉の奥から、うっすらと足音が響く。
直後、白いドアは小さく開かれ、マシェリの手が伸びる。
そしてエイルの腕を掴むと、そのまま引きずりこんだ。
途端にエイルを、甘いお菓子のような香りがつつむ。
彼が視線を下げると、そこには柔らかそうなフワフワの寝間着を纏うマシェリの姿があった。
「来てくださったのですね、エイル様!」
小さく歓喜の声をあげ、エイルに抱きつくマシェリ。
桃のような優しい香りが、彼の鼻をくすぐる。
「お姫様がお呼びとあれば」
頭の上からささやかれる言葉に、マシェリは顔を赤らめる。
それでも今回は表情を隠さず、エイルを見上げる。
「お願いがあるのです」
「はい。お姫様のお望みでしたら、なんなりと」
そう言って微笑むエイルに、彼女は正面から告げる。
「二人きりのときは、その……使用人たちと同じように、砕けた言葉で話してくださりませんか?」
命じられたとたん、エイルは困惑した顔をする。
だがその顔を、真剣な目で見つめるマシェリ。
スズによる研修で、マシェリたちの命令は可能な限り遂行するよう、エイルは教育されている。
不可能ではない頼みに、迷ったエイルは彼女を見つめる。
「こ、こんなかんじでいいか、お姫様」
「…………名前も、呼び捨てで」
顔を伏せ、可愛らしいわがままを言うマシェリ。
エイルはふたたび戸惑うが、今度はすぐに対応する。
「これでいいんだな、マシェリ」
はじめて彼女の名前を呼ぶエイル。
彼の声が届いた瞬間、マシェリは「ぷはっ」と息を吐き、とけるように地面へ崩れ落ちた。
限界化したマシェリのリアクションに、エイルは心配して彼女を抱きかかえる。
「だ、大丈夫かマシェリ?」
「だいじょうぶです……しあわせすぎただけで……」
おぼつかない口調のマシェリを、ベッドへ運ぶエイル。
王女をベッドに腰掛けさせ、彼は床に跪く。
しかしマシェリはそれに気づくと、あわてて彼を立ち上がらせ、化粧台の椅子を持ってきて座らせた。
「次からは、床なんかに膝をつかず、お好きな場所に座ってください」
「ありがとう、そうさせてもらうよ」
彼の返事に、にこりと笑って返すマシェリ。
そのまま彼女は、話を本題へ移す。
「エイル様の研修後、どうやらお父様はテストをするようなのです」
「勉強した内容をためされるってことか」
「はい。その内容は、どうやら私が決めるらしく」
前置きにそこまで言うと、マシェリは彼に提案する。
「私たちがはじめて出会った隣国に、もう一度行きませんか?」
彼女の言葉に、エイルは度肝をぬかれた。
二人が出会ったといえばロマンチックではあるが、マシェリにとっては誘拐されかけ、命の危険もあった場所である。
スズの研修を受けたエイルでも、危険だと反対しかける。
だが彼はその言葉を飲みこみ、マシェリに問いかける。
「理由を聞いてもいいか? あそこは危ない」
マシェリを思いやる質問に、彼女は顔を伏せる。
それでも少女は、不安な様子を覗かせつつ、答える。
「事件のあと、親衛隊を何度かあの国に送りましたが、私を追っていた彼らの正体は未だ不明のままなのです」
「ひょっとして、囮になるつもりか?」
鋭いエイルの質問に、マシェリはうなずく。
理由を知ったエイルだったが、なおさら受け入れられない。
しかしマシェリも彼の気持ちを理解したうえで、強く訴えかける。
「危険は承知です。ですがもし、あの男たちが私たちの国に害をなす存在だとしたら……」
不安と決意が入りまじった声色で、彼女は告げる。
それは『アークス』の姫としての矜持であった。
国を守るため、謎につつまれた敵の正体に近づきたい。
マシェリの意思を汲みとったエイルは、満を持して答える。
「あまり無理な行動はするなよ」
覚悟を決め、まっすぐ彼女を見つめて告げる彼。
その声に瞳を輝かせたマシェリに、重ねて宣言した。
「マシェリのことは、俺がかならず守る」
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