玉砕するためのバトン
兄は軍を辞めて女性専用のトラベルアドバイザーでもすればいいと思う。
彼が取ってくれたホテルの部屋は、殺風景どころかベッドカバーやカーテンなどのファブリックが有名店の人気シリーズのものが使われており、その可愛らしく明るい色合いの花模様は私の心を慰めた。
また、ウェルカムドリンクとフルーツだけでなく、どうぞと用意されていたアメニティグッズのシャンプーやボディソープなどの小瓶は高級有名化粧品会社のものでもある。
どれをとっても単なる女子大生が雑誌を見て憧れそうなものであり、さらにさらに、彼は美容マッサージというエステまでオプションに入れてくれたのだ。
泣いてボロボロだった私はエステティシャンの手によって心も体も解され、彼女達の気の利いた言葉によって気持ちと脂肪までも軽くしてもらった気がする。
「わあああ。ウエストがいつもより細く感じる。頬はなんだかムチムチほわほわして赤ちゃんみたいな手触りだし、うわあ、凄いわ!」
部屋のバスルームの大鏡で裸の全身を映してみれば、綺麗になった気がする自分に感激するしかない。私はくるくる体を回して自分の体を見ていたのだが、洗面台にある紙で封印されている男性用のカミソリにまで目に入ったことで一瞬でその高揚感が消えた。
「誰の為に綺麗になるの?」
バスタブに掛けていたガウンを体に纏った。
鏡に映った私はホテルについたばかりの顔に戻っていた。
「そうね。仕方が無い。いつもより綺麗になった姿でダンにお別れの言葉を言えるって、ああ、言えるって思ったのに。結局はこんな顔に逆戻りするのね。」
まだ夕飯まで数時間ある。
ダンに会うのは二日目なのだから、まだまだ自分を立て直す時間だってあるだろう。
私はドアを開けてバスルームから出ようと一歩踏み出したのだが、私の足がそこで止まって動かなくなってしまった。
なんと、スーツ姿のダンが部屋の真ん中に立っていたからだ。
ダークグレーのスーツの下にベストまで着込んでいて、短い髪は後ろに撫でつけられてもいる。
つまり、今すぐにデートを誘えそうなぐらいに華やいでいる姿なのだ。
「ど、どうして?」
彼を諦めるどころか縋りつきそうな自分に慄く私に対して、ダンは悪戯が失敗して母親に怒られたばかりの子供みたいな表情を作って見せた。
とっても情けなさそうな傷ついた表情だ。
「ダン?」
「ティナ。俺はバトンを貰ってね、自分の気持ちを告白しなければいけないというバトンだ。親友が俺の為に玉砕してくれた。俺は友人の気持ちに応えたい。」
私は彼からそのバトンを受け取らなきゃいけないの?
受け取ったら、あなたを愛している、それしか言えないのに?
「わあ!どうして泣くの!いや、ごめん!泣かせるつもりは無かった。俺は怖くない!君を抱きたくても我慢するから、ほら、脅えないで。」
ダンはスーツの上着を脱ぐや、それを私の身体に巻きつけた。
そして、なんと、彼はスーツの上着を巻きつけた私をそのまま抱き締めてしまったのだ。
「ダン?」
ミノムシ状態となった私は彼を抱き返せない。
でも、彼に抱かれる事は二度とないから、……いえ、数秒前にダンは何て言った?
なんて言った?
なんて言ったっけ?
――君を抱きたくても我慢するから!
「うひゃああああああ。」
私の頭の中で女性誌で見た事のある写真、裸の女性と男性が絡み合う写真のイメージが浮かび上がった。それも、モデルの顔は私とダンに修正されたものが!
私の頭の中で、ボン!と何かが破裂したような音が聞こえ、私はダンの温かい体の中でほんの少しだけ意識を失ってしまった。
そう、ほんの少しだけ。
慌てたダンが私を抱き上げてベッドに運ぶところも、ベッドに優しく横たえてくれたところも、さらに言えば、ダンが囁いて私の額にキスしてくれたところでも、私には意識があったのだ。
「君を愛しているって言いたいだけなのに。」
どうして気絶した振りなんて続行しちゃったの!




