6 プレゼント
肌寒い季節がやってきた。制服も冬服に変わった。稲穂の実る季節が来て、私は十六歳になった。
ある日、席替えがあり、私は佐々木くんと通路を挟んで隣同士になった。内心ドキドキしている。
「オッス、UFO。となりだな」
「そうだね、よろしくね」
「最近、元気だね」
佐々木くんだけでなく、色んな人に言われるようになった言葉だ。
「そうかな」
「明るくなったような気がするけど」
と佐々木くん。
「そうかな。ありがとう」
私は笑って言った。やっぱり私はこの人のこと好きだと私は思った。私は心の中で言った。
「希美さん。天国で私のこと見守って下さいね。私、心臓のせいで、人生捨てていたけど、希美さんに出会って、自分のことも人のことも、もっと大切にしようって思うようになりました。冴子と佐々木くんを大切にできますように」
私は今、以前のように病気だからといってふてくされるのではなく、病気という限界の中で精一杯生きてゆく道を模索していた。考えてみれば、亡くなった希美も短い人生の幕を閉じる時、必死で生きていた。
「あなたがくだらないと思っている今日は、昨日亡くなった人が何とかして生きたかった、なんとしてでも生きたかった今日なのです」
という言葉をどこかで聞いたのを思い出した。
(何とかして生きよう、なんとしてでも生きよう)
と私は思った。
月一回の通院の時、中村先生が言った。
「結穂ちゃん、最近、顔が明るくなったわね」
「そうですか?」
「そうよ。みんなに言われない?」
「言われます」
先生は笑って明るい調子で言った。
「何か良いことがあったの?」
「特にはないですけど、あの、希美さんと約束したんです、手紙で。一生懸命に生きるって。だから、頑張って生きていきたいんです。」
「そう・・・」
先生は少し間を置いて言った。
「大倉さんは本当に可哀想だったけど、あなたに素敵なプレゼントを遺してくれたのね」
「はい」
私はにっこり笑って言った。
「先生、もう私の心臓、良くならなくてもいいから・・・って出来れば治したいけど・・・これ以上は無理なら良くならなくてもいいから、頑張って生きてみます。だから、よろしくお願いします」
「はい、わかりました。私も全力を尽くすからね。あきらめちゃだめよ。最近の医学の進歩は目覚ましいんだからね。そのうち治療法が見つかるかも知れないから」
中村先生の言葉は私を勇気づけてくれた。でも、先生でもできないことはたくさんあることを心の中に留めておいた。過度に期待しないように、過度に絶望しないように。
病院に来ると、自然と希美のことを思い出した。自分の容態も余命も知っていた希美は、その名前とは裏腹に、何も望むことはできなかった。
「希美さん、天国ではしたいこといっぱいしてくださいね」
私はそう祈った。
ある朝、少し遅刻して私は教室へ入っていた。バスが遅れたのだ。バス停から走れば間に合うけれど、私は走るわけにはいかなかったので早歩きで学校へ向かった。私が教室に入り、ドアを閉めた途端、拍手が起こった。何のことかと思って見ると、国語の先生が微笑みながら拍手をしている。その拍手は冴子に広がり、佐々木くんにも広がり、やがてクラス全員に広がった。訳が分からない私が、突っ立っていると、先生が言った。
「佐藤さん、おめでとう。作文コンクール、見事、銅賞ですよ」
そう言えばそんなものがあったというくらい忘れていた。
このコンクールは毎年、一年生、二年生全員と三年生の有志が応募し、それを国語の先生達が中心となって校内の先生が読んで、金賞、銀賞、銅賞を決める。入賞した作品は市の作文コンクールに応募することができる。
「佐藤さんが来たので、佐藤さんの作文、抜粋して読みますね。いいですか、佐藤さん?」
「み、みんなの前で読むんですか?」
「そうよ。よく書けているわ」
「はい」
私は席についた。
「今年のテーマは『心の触れ合い』でしたね。では読みますよ。
『・・・・心の触れ合い。それは時には怖いものだと思う。自分の心を見せることだからだ。間違った相手に見せると傷つけられてしまうかも知れないからだ。だから、心の触れ合いはお互いの信頼関係が試されると思う。
かつての私は、傷つきたくないし、私の病気のことなんて誰にも分からないと心を閉ざしていた。誰も信じられなかった。今考えれば、とても不幸せだった。孤独だった。
でも相手の方から勇気を持って、心を見せてくれた。彼女の心は悲しみでいっぱいだった。でも、この私にその悲しみを教えてくれた喜びは筆舌に尽くせぬものだった。私は初めて心を触れ合うことの喜びを知った。
その友人は、とても悲しいことだが、今、天国にいる。
でもその友人のおかげで、私はこの世にいる友人にも心を開けるようになった。私の世界は大きく変わった。
『前は何も見えなかったのに今は見える』というアメージング・グレイスの歌詞がまさに私にぴったりだと思う。
もし今、自分を閉ざしていると思う友達がいたら、私は心を開くことは怖いことではない、とても幸せなことだよと言ってあげたい。・・・・』」
と先生。
先生が読み終えると、クラス中から拍手がまた沸き起こって来た。私は何だか照れくさかった。
表彰式は次の週の月曜、朝礼の中で行われた。金賞は一名、銀賞は二名、銅賞は四名だった。約千人の中から選ばれたのだ。「佐藤結穂」と呼ばれて「はい」と返事をして立ち上がる時、私はとても誇らしく思った。本当に私は入賞したんだという実感が沸いてきた。
今、私はみんなに「ありがとう」を言いたくなった。校内コンクールとは言え、私の功績は私だけの力ではないのだと思った。母、若葉、冴子、佐々木くん、その他のクラスメート達、先生方、中村先生、そしてとりわけ希美の力があったからだと思えた。
「希美さん、私、作文が入賞しました。希美さんのことを書いたんですよ。希美さん、ありがとう」
大空に向かって私は言った。
「何、一人でしゃべってんの?」
と後ろから声をかけられた。振り返ると冴子と佐々木くんがいた。
「佐々木くんが結穂に用があるってよ」
と冴子はそれだけ言って
「私、帰るね」
と行ってしまった。私と佐々木くんは二人取り残されて、二人ともどうしてよいかわからない。しばらく、気まずい沈黙が続いたのち、佐々木くんが言った。
「とりあえず」
私は何を言うつもりなのだろうと、佐々木くんをじっと見た。
「コンクール入賞おめでとう」
佐々木くんは乱暴にポケットから、くしゃくしゃになった小さな包みを突き出した。
「私に?」
と私は言った。
「当たり前だろ。周りにUFOしかいないじゃないか」
「ありがとう」
私は受け取った。
「開けていい?」
「いいよ」
包みの中には、桜模様をしたハンカチだった。
「きれい・・・・」
私は思わず涙が出そうになり、ぐっとこらえた。すると、佐々木くんはまるで、なんでもないことのように言った。
「僕、佐藤さんのことが好きなんだ」
私は思わず口に手を当てた。佐々木くんが私を好きなの?こらえたはずの涙はもうこらえられなかった。私の目から涙が一粒二粒と落ち、手を濡らすのを見た佐々木くんは少し驚いたように言った。
「どうしたの?」
「今、言ったのは本当?」
「当たり前だよ。嘘ついてどうすんだ」
「ありがとう」
「どういたしまして」
私は泣きながら笑った。
「・・・それで、UFOはどう思ってるんだ?」
私は涙を拭いて言った。
「私も佐々木くんが・・・・・」
なぜか肝心なところが言えない。一息ついて言った。
「佐々木くんが好きなの」
佐々木くんは少し照れたような笑いを見せた。つられて私も笑顔になった。
「UFO、今の顔、すごくいい顔してる」
「本当?」
「うん。じゃあな」
「え!?どこ行くの?」
「部活」
せっかく二人でいたのに、という言葉を飲み込んだ。いかにも佐々木くんらしい。
「頑張ってね!」
「うん。気をつけて帰りなよ」
「うん。ありがとう。ハンカチもありがとう」
佐々木くんは走って行ってしまった。
夜、冴子から電話がかかってきた。
「結穂、おめでとう。良かったね。佐々木くんから聞いたよ」
「ありがとう。でも、何にも変わってない気がする」
「大いに変わってるよ。付き合うことになったんでしょ?」
私は心もとなく言った。
「付き合うとかいう話、しなかったのよ。私のこと好いてくれてるみたいだけど、告白したと思ったら、部活に行っちゃったから」
「え!?部活!?」
冴子は相当驚いたみたいだった。
「あいつ・・・・。ほんとに気が利かないんだから」
冴子は憤慨した声で言った。
「いいの、いいの。また明日、教室で会えるから」
「結穂。恋愛はね、最初が肝心なのよ。二人でいたいと思ったら、そう言わなきゃ。特に佐々木くんみたいに鈍感―あら、ごめんね、悪口になっちゃって―鈍感な人にははっきり意思表示した方がいいよ。甘やかしたらだめだよ。」
「そうだね。明日、話し合ってみる。冴子がいるから助かるなあ。私、こういう時どうしたらいいのかわからないもん」
「みんな最初はわからんものだよ。経験を積み重ねて分かって来ることだから。なーんて、私もそんな経験豊富じゃないけど」
「でも、中学の頃から付き合ってる人がいるんでしょ?」
「ああ、その人とは別れたわ」
「え!?別れたなんて聞いてないよ。なんで?」
「別れたのも、もうだいぶ前よ。その話はまた今度。今日は佐々木くんと結穂のことが先」
冴子との電話はしばらく続いた。
次の日、明らかに冴子の入れ知恵で、佐々木くんから
「付き合ってもらえますか」
と聞かれた。私は笑顔でうなずいた。佐々木くんが言った。
「なんか、UFOの笑顔ってひまわりみたいだな」
「ひまわり?」
「ずっとその笑顔でいてくれな」
「うん」
私はまた笑顔で答えた。