4 新しい友達
冴子の言う保留は、意外にもあっさりとできた。そう、赤ちゃんのことを考えるのはまだ十年早い。悩まなくてはならない時期が来るまで悩むのをストップしよう。
しかし、新たな問題が持ち上がった。
季節は春から初夏へ、夏へと移っていた。六月だ。そろそろ九月に開催される体育祭が気にかかる時期だ。学校中がざわめいている。
三学年合同で行われるリレーや玉入れ、ダンスなどの種目がある。私はその種目のどれにも参加できない。
(私も参加したい)
ダンスの振り付けを必死で覚えようと頑張っている同級生を見ながら私はそう思った。みんな衣装を着ているのに、私だけ制服のままで見学だ。
ダンスの練習は放課後、行われる。みんなどんどん踊りがうまくなっていく。集団で踊るのだが、徐々に息が合うようになり、心が一つになっていくのがわかる。私は部外者だ。
私は練習を見学するのが次第に辛くなっていき、授業が終わると即刻帰宅するようになった。
みんなと同じでありたい。みんなと同じように踊りたい。でもそれは無理。その葛藤で私は疲れていた。
何も知らない三年生の先輩の中には
「どうして出演しないの?」
と聞いてくる人もいた。
「出演はしたいんです。でもお医者さんに止められているんです」
「お医者さん?佐藤さんは手も足もついているじゃない」
「体の中が悪いんです」
「ふうん・・・・」
それで会話は終わったが、「やる気のない子」と陰で言われているのではないかと悲しい気持ちになった。
こんな病気のせいで、私は青春の楽しみを満喫することもできない。
「あー、人生って面白くない」
と私は家で愚痴った。母が笑って言う。
「人生って、あなたまだ十五でしょ。人生始まったばかりじゃない。これからいくらでも楽しいことあるわよ」
「そうかなあ。何かしたいと思っても、いちいち中村先生との約束が邪魔してできないでいるのに?」
「そうねえ。特別支援学校なら、結穂も色んな行事に出られたんじゃない?普通高校を選んだから、それはある程度仕方ないかも知れないわね」
「私は特別な人にはなりたくない。普通の人間でいたいの。特別支援なんて嫌よ。普通がいい」
「じゃあ、今の状況はある程度辛抱しなくちゃね」
母はあっさりと軽い調子で言う。母は健康な人間だ。健康な人間には私のような病気持ちの気持ちなどわからないのだろうか。学校で行われている色んなことに、体調のせいで参加できないことがどれだけ悔しくもどかしいか分からないのだろうか。私が考えていると、母が言った。
「ねえ、結穂。この前言ったことは本気なの?」
私は母の言っていることがわからずに聞いた。
「この前言ったことって?」
「避妊手術のことよ」
「ああ、あれね」
「本気なの?本気で避妊手術受けたいの?」
私は少し笑って言った。
「ごめんなさい。あの時、ちょっと気が立ってたから・・・本気じゃない。赤ちゃんは産めなくてもそこまでする必要ないよね」
母は真面目な顔をして言った。
「私ね、考えたのよ。あなたが大人になってもし赤ちゃんが欲しくなったら、あなたにもその機会をあげたいってね」
「お母さん、でも私の心臓は妊娠出産には耐えられないわ」
「耐えられるような心臓を提供してくれる人を見つけるの」
「心臓移植!?それはおおごとじゃない。しかもすごくお金がかかることだし」
「お金のことは心配しないで。おおごとかも知れないけど、あなたが子供を産めるかも知れない希望があることを忘れてほしくないの」
私は笑顔になった。
「お母さん、ありがとう。そうね、希望あるよね。でもね、今はそのことを考えないようにしているの。本当に子供が欲しくなったらその時考えるわ」
夏休みのある日、みんなが休みを返上して一生懸命に練習しているダンスに参加できず、半分ふてくされている私に冴子が言った。
「ねえ、結穂。体育祭で踊るダンス、一緒にやりたいんでしょ?」
私は図星だったため、ちょっと返事をためらった。
「え?うん、まあね」
「まあね、なんて言ってるけど、踊りたくてたまんないでしょ。顔にそう書いてあるよ」
私は両頬を両手で押さえた。
「そんなこと書いてない。もう諦めてるもん」
「運動禁止だから?私達のダンスってそんなに運動量ないと思うよ。そんな激しい運動じゃないもん。良ければ、教えるよ、私のパートだけだけど」
「うーん、どうしよう・・・運動は運動だからなあ」
「先生やお母さんにわからないようにやればいいんじゃない?」
「そうかなあ・・・」
ダンスはとても魅力がある。でも、運動は私には無理なはず。でも・・・。私はしばらく考えた。そして言った。
「そうだね。お母さんにバレないようにすればいいんだね。ちょっとは楽しいこともないとね、夏休みだし」
「そうそう。うちの家でやろうよ。私の部屋で。そしたら誰にもばれない」
私達は冴子の家に向かった。
「お母さん、パートに行ってるの。だから私達以外誰もいないよ」
冴子の部屋で、私は約二時間も冴子からダンスを教わった。本当に久しぶりに体がほぐれ、気持ちのいい汗をかいた。
「結穂、結構覚えるの早いね。運動禁止じゃなかったら、もっと楽しかっただろうにね」
「そうだね。でも、今日はたくさん踊れて良かった。心臓も大丈夫みたいだし・・・」
私は油断していた。
私は覚えていないのだが、それから一時間後、私は突然倒れたらしく、冴子が救急車を呼び、意識が戻ったのは病院でだった。
「気付いた?」
と母。私は一体自分がどこにいるのか全然わからなかった。懐かしい声が言う。
「結穂ちゃん。こんにちは。せっかくの夏休みだけど、一カ月程入院してもらいますよ」
中村先生だ。先生はちょっといたずらっ子のような表情をしている。
「一体、私・・・・」
記憶をたどろうとしている私に先生は言った。
「友達にダンスを教えてもらって二時間も踊ったそうね」
そう言えば、そうだった。楽しかったのに、その結果が入院か・・・。私の体はだめなんだ。思うようには動いてくれないんだ。私は今まで何度も感じた失望をまた感じた。
「ごめんなさい、お母さん。すみません、先生」
そこへ、冴子が部屋へ入って来た。目が充血している。
「結穂!意識戻った?良かった!ほんとにごめんね。ほんとに。私が結穂をそそのかしたから・・・」
「冴子、いいよ。楽しかったもん。ありがとう」
「良かった。倒れた時は死んだのかと思ったよー」
中村先生が言った。
「さてと、意識が戻ったところで、入院する部屋に行きましょうか」
私は車いすに乗せられ、移動することになった。冴子は名残り惜しそうに帰って行った。
三○二号室。
四人部屋で窓際だった。向かいのベッドには同い年くらいの女の子がいる。私が部屋に入るとにっこりと笑った。
「大倉希美と言います。よろしくね」
「は、はい。佐藤結穂です」
私は慌てて返答した。
「私、一カ月程入院予定なの」
と希美は言った。
「私もそれぐらいです。バカなことしてしまって」
と私は思わず、見ず知らずの希美に言ってしまった。
「バカなことって、なあに?」
と希美が聞いた。
「さ、お母さんもう帰るわよ。荷物は明日持って来るから。大人しくしといてね。」
母がさばさばと希美との会話を中断させた。
「わかってるって。お母さん、あんまり病院に来なくていいよ。若葉が怒るから」
「はいはい、じゃあね」
母は帰って行った。
「ねえねえ、バカなことって、何したの?」
と大倉希美が聞いてきた。私はためらいながらも、ダンスの練習の話をした。その話を希美はなぜか目をキラキラさせながら聞いていた。そして笑った。
「よくやるわねえ。私もやってみたい」
「ダメですよ。その挙句がこの入院なんですから」
希美は話しやすくて、私達はすぐに友達になった。希美は二つ年上だった。
「ねえねえ、入院一カ月って言ったよね。私もそう。ということは同じぐらいの時期に私たち病院を出られるのかな?」
「そういうことになりますね」
「病院を出ても仲良くしようね。メール交換とかしよう」
「しましょう、しましょう」
「お互いの家、行き来しよう」
「しましょう、しましょう。それと、お互いの学校を見せ合いっこしましょう」
「・・・・・・・」
希美はしばらく黙った後、言った。
「私、学校へは行ってないの」
私は軽く息をのんで言った。
「ごめんなさい」
私は、希美は私と同じ高校生だと思っていた。こんなに元気そうで楽しい希美がなぜ学校に行っていないのだろうか。聞きたかったけど、何だかためらってしまった。
三日後、その理由がわかった。その日は私が入院した日と違って、希美の体調は悪そうだった。ずっとベッドで寝ていた。希美の母親がずっと希美についていて、あれこれ世話をやいていた。希美とのおしゃべりのない入院生活は暇だった。私はベッドに座って、ぼーっと窓の外を見ていた。
ふと、希美の布団が動いた。希美の方を何となく見やると、希美がこちらを向いて「おいで、おいで」をしている。私は立ち上がって希美のそばまで行き、希美の顔がよく見えるようしゃがみこんだ。希美はじっと私を見て言った。
「ねえ、私ね、本当は余命一カ月なの」
私は戦慄し、息を飲んだ。私は小さな声で息をするように言った。
「うそ・・・・」
すると、希美の母が言った。
「この子の言うとおりなんです。仲良くしてやって下さい」
希美は明るく楽しい人柄で、仲良くするのはとても簡単だ。だけど、余命一カ月なんて・・・・。
私はどうすればいいのだろう。
「普通でいいんです。学校のお友達と仲良くするように。お願いします」
私の戸惑いを読みとったかのように希美の母が言った。
メール交換しようとか、お互いの家を行き来しようとか言った希美だったが、それは、叶わない望みだったのだろうか。
希美の頬を涙が伝った。それを見て私の頬を涙が伝った。希美が手を伸ばしてきた。私達は互いに手を取り合った。私は力を込めて希美の手を握った。
しばらくして、希美が言った。
「結穂ちゃん、手が痛いよ。折れちゃう」
私たちは笑った。泣きながら笑った。
「ごめんなさい」
こぼれる涙を拭きながら私は言った。希美が言った。
「結穂ちゃんて、案外泣き虫なのね。今まで私の余命を何人かの人に言ったけど、泣いてくれた人はあなただけよ。みんな驚くけど泣くまではいかないわ」
「私が、泣き虫?」
「結穂ちゃんは感受性が鋭いのよ」
「そうかしら」
「そう思う。大事なことだと思う。あなたも自分の病気で苦労してきたから、人の痛みに敏感なのよ」
「希美。あんまりしゃべると疲れるわよ。」
希美の母親が言った。
「そうね、お母さん。結穂ちゃん、またあとでね。」
私はうなずいて、そっと希美の手を離した。
一進一退を繰り返しながらも、希美の容態は少しずつ悪くなっていき、やがて希美は個室に移った。面会は出来なかった。
冴子が来てくれる以外、私はぼんやりしたり、夏休みの宿題をしたりして過ごした。
ある日、中村先生が診察の時に言った。
「ちょっと早いけど、調子も良いから、明日、退院にしましょう」
私はちょっとびっくりして
「え!?」
と言った。
「何?退院がご不満かしら?」
と先生。
「いえ、そうじゃないんですけど・・・」
希美に会わずに退院することになるのだろうか。先生は私の表情から読み取ったのか言った。
「大倉さんのこと?」
「・・・・はい」
「面会できないか聞いてみるわね」
そして、しばらくして返答が来た。
「午後三時半からきっちり三十分。いいわね」
「いいんですか?ありがとうございます」
私は明るい顔で言った。
三時半までの間、私は希美にあてた手紙を書いた。うまく言葉が出てこないけど、何とか書きあげた。その日はたまたま冴子が面会に来てくれていて、三時半になると一緒に希美の個室へ向かった。冴子は廊下にあるベンチに座って待ってくれることになった。
少しドキドキしながら、ノックしてドアを開けた。そこには痩せた顔をした希美とその母親が笑顔でいた。
「希美さん!会いたかった!」
私はベッドに走り寄った。希美がにこやかに、しかし消え入るような声で言った。
「ダメじゃない、走ったら」
「大丈夫。私の心臓、良くなってきてるんです」
私は大ウソを言った。
「そうなの?良かったじゃない」
希美の顔色は悪かったが一瞬ぱっと輝いた。私はポケットから先ほど書いた手紙を取り出した。
「これ、手紙書いたの」
希美は丁寧に手紙を受け取って言った。
「ありがとう。あとでゆっくり読ませてもらうわ。お話しましょ、せっかくだから」
「話?たとえば?」
「結穂ちゃんの学校の話を聞かせて」
「学校?」
私は一体どこから話を始めたら良いのか分からなかったが、話始めると話題はいくらでも出て来た。
親友の冴子のこと
授業のこと
面白い科目、面白くない科目
テストのこと
佐々木くんのこと
高校受験のこと・・・・・
三十分はあっと言う間だった。希美は終始笑顔だった。
「また来てね」
希美が弱々しく手を振った。
「また来ます。絶対来ます」
私も手を振り返した。私が病室を出ると、希美の母親がついてきた。病室の戸を閉めた後、希美の母は言った。
「あの子ね、いつ逝ってもおかしくないって言われているのよ」
私は何も言えなかった。
「でも、結穂ちゃんと一緒にいる時の希美はとっても生き生きしていたわ。あの子ね、中学一年で病気が見つかって以来、ほとんど学校には行ってないのよ。だから、今日の結穂ちゃんのお話、とっても楽しかったと思うわ。ありがとう」
「そんな・・・。希美さんが元気になるならいくらでも話します。また来ますから」
「ありがとう・・」
希美の母は潤んだ目で微笑んで病室に入って行った。
私は廊下にひざをついて、希美に聞こえないよう、声を押し殺して泣き始めた。病室の外で待っていた冴子が私に近寄り、そっと抱きしめてくれた。
その夜、希美は私が書いた手紙を握ったまま、旅立ったと聞いた。ちょうど、私が退院に向けて荷物をまとめている時だった。
「希美さんへ
いいニュースがあります。私、明日退院することになりました。あまりに急でちょっと慌てています。
希美さんに会いたいなあって毎日思っています。希美さんは私にとってお姉さんみたいな存在です。お姉さんがずっと欲しかったから、希美さんに会えて嬉しい。だから希美さん、私の前からいなくならないでね。考えるだけで怖いし、悲しい。
でももし希美さんがいなくなっても私は、私らしく生きていきます。つらいことがあっても希美さんのこと思い出して頑張ります。
佐藤結穂」