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大空を飛びたい  作者: 上野暢子
3/7

3 葛藤

次の日の朝、目覚めと共に自分が産めないことを思い出して、イライラした気分になった。「私なんて、どうせ女じゃないわ」

とむしゃくしゃした気持ちが沸いてきた。自分を思い切り傷つけてやりたくなった。

 とりあえず着替えを済ませ、母のいる台所へ行く。台所に立っている母に私は言った。

「ねえ、お母さん、ちょっと話してもいい?」

「いいよ」

忙しそうに菜箸を動かしながら、こちらに目も向けず、母は答えた。

「昨日話した話の続きなんだけど、あの、お母さんのこと、責めるわけじゃないのよ。私、避妊手術を受けたい」

母はぎょっとした顔つきになり、こちらを向いた。意図した通り、私は自分の言葉で自分が傷ついたのを感じた。母は言った。

「何を言うの?」

「だって、私、どうせ子供を産めないのよ。子宮も卵巣も無駄じゃない。無駄なものが体の中にあると、ガンにもなり易いってどこかで聞いたの」

「・・・・・・」

母は答えない。

「避妊手術を受けたら、毎月の生理だってなくなるから随分楽になるしさ」

母は恐ろしいものを見るような目つきで私を見ていた。平気な顔をしながら、私は自分がズタズタに傷ついていくのを感じた。

「避妊手術なんかしたら、二度と子供を産むことはできないのよ。あなたそれでいいの?」

「あら、どっちみち私は産めないじゃない。産めないのに子宮やら卵巣やら生理があるのが、つらいから。中途半端が嫌なの」

「どっちみち産めない」の言葉が胸を突いた。母が言った。

「やっぱり、私が悪いんだわ。あなたの人生をめちゃくちゃに・・・」

「違うってば!」

私は怒って言った。

「私のこの体は私のもの。お母さんには関係ない。自分を責めないでって言ったでしょ?なんで自分のせいにするの!」

「あなたは、そうやって避妊手術なんかの話をして、私を責めているのよ」

「違うわよ!なんでそんな風に言うの?」

「責められているとしか思えない」

母はひとりごとのように言った。

「勝手に思えばいいわ。でも最終的に避妊手術を受けるかどうかは私が決めるから」

心の中で自分を傷つけ血を流しているのを感じながら、避妊手術がまるでピアスの穴を開けるかのように、簡単なことのように私は言った。

「あなたはまだ未成年だわ。私は絶対に反対です」

母は断固として言った。

「お母さんには分からない。何にも分からない。二人も子供を授かったような人に、産めない苦しみが分かってたまるもんですか。成人するのを待って手術を受けるわ」

「避妊手術はそんな安易な考えで受けるものじゃないわ」

「安易なわけないでしょっ!」

私が叫んだ時、若葉がふらりとキッチンに入ってきた。

「もう、朝から何?うるさくて起きたよ」

私はカバンを掴むと何も言わず、玄関から走り出た。まだ朝ご飯も食べていないのに。玄関を走り出ると、こらえていた涙がはらはらと流れ落ちたが、それをぬぐおうともせずしばらく走った。走ったせいで鼓動が速くなり苦しくなった。私はふらふらしながら息をととのえた。こんなんじゃ、やっぱりダメだ。子供は産めない。


学校へ行くと、佐々木くんは大きなスポーツバッグと大きなリュックを抱えて教室に入ってきた。

「おはよう、UFO!」

佐々木くんの声の調子からご機嫌だとわかる。佐々木くんへの想いを断ち切る決心をした私は、わざと冷たく言う。

「おはよう。UFOってやめて」

「なんで?」

「なんでって私の名前じゃないでしょ」

「なんで急にそんなこと言うんだよ。昨日までUFOって呼んでも返事したじゃないか」

「やっぱり嫌になったの」

しばらくの間、佐々木くんはぽかんとしていた。そして、言った。

「何かあったの?」

「何にもない。あっても佐々木くんには関係ない」

「冷たいなあ。誰かに何か言われたんだろ。」

「・・・何にも」

そこでその会話は止まった。

 それから次の席替えまで、私はわざと佐々木くんに冷たく接した。でも、佐々木くんのことが好きだというどうしようもない感情はふくらむ一方だったから、心の中は引き裂かれそうだった。心の中で佐々木くんに謝りながら、心の中で涙を流した。

 冴子は私の佐々木くんに対する態度の豹変ぶりに驚いて言った。

「ちょっと、(ゆう)()。どうしたの?」

「どうしたのって?」

「自分でも分かっているくせに。佐々木くんになんであんな口調で話すようになったの?」

「普通よ」

「普通じゃないわよ。佐々木くんもおかしいと思っているわよ」

「そうかしら」

「とにかく、何があったの?佐々木くんが嫌いになったの?」

「嫌いじゃないわ」

「好きなんでしょ、まだ。あんな言い方してたら佐々木くんに嫌われちゃうよ」

「それでいいの」

冴子はびっくりして息を飲んだ。

「どうして?なんで好きな人に嫌われたいの?」

「・・・・・・」

本当は嫌われたくないのだ。なのに、嫌われなくてはならないんだ。一人で生きていくために。家庭を作ることができない自分のために。冴子には理解してもらえるだろうか。健康な冴子に、一生背負い続けなければならないかも知れない病気を持つ私の事情を理解してもらえるだろうか。

「ごめんね、冴子。こうするしかないの」

「どうして?全然わかんないよ。この間、病院行くからって学校休んでたよね。何かあったの?何か言われたの?話してよ」

冴子と友達になって約二カ月。深い話ができるようになるまで、私達の仲は深まっているのだろうか。私は冴子に自分の体について話すことができるだろうか。勇気が出ない。ただ涙だけがぽろぽろとこぼれ落ちた。

「ごめん、冴子」

と私は言った。冴子の顔つきが変わった。

「話してくれないの?」

私は泣きながら黙って下を向いた。

「もう知らない」

と、しばらくして冴子が言った。

「私、本気で結穂のこと心配してるんだよ。私は詳しいこと知らないけど、結穂は病気だから、支えてあげたいって本気で思ってるんだよ。結穂がなんで自分のこと、わざと不幸にするのか全然わかんない。私は結穂だって幸せになってほしいのに。話してくれないならもういいよ。これで終わりにしよ」

「冴子・・・・」

冴子は去ってしまった。私は一人、廊下にたたずんでいた。教室に入ると、誰もいない。私は自分の机に突っ伏してしくしく泣きだした。

 私の病気は私から普通の生活も、好きな人も友達も妹も奪って行ってしまった。この弱った心臓はこの先何年動き続けるつもりだろう。今すぐに止まってしまってもかまわないのに、いや、止まってしまった方がこんな苦しくて悔しい思いをすることはないのに。私はこれから一体どうすればいいの?答えは出なかった。この訳の分からない残酷な人生を歩み続けなければならないのだろうか。

 

 次の日の朝、バスを降りた私は、少し前を歩く冴子を見つけた。早歩きで歩き、冴子に追いついて言った。

「おはよう」

「・・・・・おはよう」

冴子は顔も見ずに言って、走って行ってしまった。冴子はやっぱりまだ怒ってるんだ。私は朝から気分を落としたまま教室へ向かった。

 教室では席替えをしたので、私と佐々木くんはもう隣同士ではなくなっていた。新しい席に座って、私はのろのろとカバンの中のものを机に入れる。窓辺では佐々木くんが他の男子生徒と笑顔で話していた。

「冴子も佐々木くんも遠い人になってしまったんだ」

と私は思った。そしてその原因を作ったのは自分自身だということを思い知らされた。

 それから数日、私はひとりぼっちで過ごした。一緒にお弁当を食べる人も宿題の分からない所を教え合う人もいなかった。

「ひとりぼっちになってきづいた。本当は大切な人がたくさんいるんだってことが」(SEKAI NO OWARI)という歌を思い出した。今、ひとりぼっちの私にとって大切な人って誰だろう。私は考えた。

久しぶりに私は心の中を見つめた。そして数日後、答えは出た。

冴子も佐々木くんも大切な人。お母さんも若葉も大切な人。そして何よりも大切な人はこの自分。そんな大切な人達を私は困らせ悩ませ苦しませ傷つけてきたんだ。そう思うと涙が出て来て、私は誰もいない放課後の教室で、窓から外を見る振りをして泣いた。

しばらく泣いたら自然に涙は止まった。窓の外にはグランドが見える。

 私はふらふらとグランドへ向かった。グランドのフェンスの端にもたれて、何を見る訳でもなく、ぼんやりとしていた。

「おーい!」

ぼんやりとした耳にも聞こえる声がする。私のこととは思わずに、私はぼんやりしている。見ると、佐々木くんが走ってこちらに向かっている。

「おーい!」

「・・・・・」

私はまだ何も返事を出来ないでいる。佐々木くんが私の目の前に現れて「おい」と言うと、ようやく自分のことだと気付いた。

「ああ、佐々木くん」

私はなんだかくらくらした気分だった。

「おい、大丈夫かい」

「え、私?うん、大丈夫」

私が遠い目をして答えたものだから、佐々木くんは余計に心配になったみたいだ。

「全然、大丈夫に見えないけど」

「大丈夫だよ、ほんとに」

「さっき、三品さんがここに来たよ」

「冴子が?」

佐々木くんはちょっと首をかしげた。

「三品さんの下の名前って冴子なの?佐藤さんと仲良い人」

今は仲良くないけれど、

「じゃあ、冴子だ」

「佐藤さんって色々複雑なんだろ?三品さんがそう言ってたけど」

「複雑?」

「三品さんはそう言ってたけどな。それと、最近の佐藤さんの僕に対する変な態度は気にしないでって言ってた。何だかわからないけど、理由があるみたいだって。本人に聞いても話したくないみたいだからわからないって」

私はびっくりしてぼんやりした頭の中が一気に冴えた。

「冴子・・・・」

絶交したはずの冴子は、かげで私を助けていてくれたんだ。私は胸がいっぱいになった。冴子がいないか辺りをきょろきょろ見回してみたが、冴子はいなかった。

「佐藤さん、病気なんだろ。いつも体育見学だもんな。それと、最近の態度と関係あんの?」

「・・・・・あると言えばある」

「そっか。それじゃしょうがないな。それ以上は話したくないんだろ?」

私はゆっくりとうなずいた。本当は何もかも、佐々木くんに対する淡い想いも、全部佐々木くんにぶちまけたかった。でもそれはできない。佐々木くんは言った。

「でもさ、もうちょっとお手柔らかに頼むよ。佐藤さんに冷たくされたら、悲しいよ。」

「なんで?」

「なんでって・・・・」

佐々木くんは一瞬、考えて言った。

「友達に冷たくされるのって悲しくない?」

「友達?友達と思ってくれてるの?」

「そりゃそうでしょ。僕らいっぱい話してきたじゃないか。だからそういう人に冷たくされたくないってこと」

「おーい、佐々木―」

グランドの遠くの方から佐々木くんを呼ぶ声がした。

「え、あ、はーい」と佐々木くんは答え、私に向かって言った。

「な、分かってくれた?とにかく、あんまり冷たくしないで。僕、こう見えても繊細なんだから」

最後の一文は冗談のように佐々木くんは言った。

「わかった。練習の邪魔してごめん。またね」

と私。佐々木くんは走って行ってしまった。

 私は少し胸のつかえがとれたようで、自然と笑顔になった。佐々木くんは遠くでまた走っている。でも、その様子をぼんやり見ている場合ではない。冴子を探さねば・・・・・。

 教室へ戻ると、冴子はそこにいた。窓からどうやら、私と佐々木くんとが話している様子を一部始終見ていたようだ。冴子がにやっと笑って言った。

「おかえり」

「冴子!」

私は冴子に駆け寄った。途端に私は少し荒い息をした。

「ほらほら、走っちゃだめだって」

「冴子・・・・・ありがとう」

「そんなお礼を言われるようなこと何もしてないよ。」

「でも、私のこと怒ってた」

「怒ってないよ。そういう振りしてただけ。そうでもしないと話してくれないもん」

「えー、そうなの?冴子、ちょっと意地悪だなあ」

私は笑顔で言った。すると、冴子は言った。

「結穂には、私にはわからない何かがあるんだろうなあとは思ってたけど」

 冴子には分からないこと?本当にそうだろうか?冴子は私が思っていたよりもずっと、私のことを理解しようとしてくれているのだと今日のことで分かった。もしかして、私の苦しみも分かってもらえるのかもと私は期待し始めていた。

「冴子。話すよ。冴子なら分かってくれるって思えるようになったから、頑張って話す」

「無理にはいいよ。待つからさ」

そう言う冴子の目は優しかった。

「ありがとう。でもね、今言いたい」

そこで、私は二人だけの教室で、中村先生に出産が難しいと言われたことを話した。

「赤ちゃん?」

冴子は最初、きょとんとした。私はやはり分からないのかと思った。

「そう。私には赤ちゃんが産めないの。この心臓のせいで」

すると、冴子は言った。

「そうなの?ごめんね、赤ちゃんっていきなり言われても、まだ実感がわかないんだけどさ。だって私、赤ちゃんが欲しいと思ったことないもん」

そりゃそうだ。まだ十五歳なのだから。私だって産めないと言われるまで、特に赤ちゃんが欲しいと思ったことはなかった。冴子は続けた。

「でも、いつか私達も自分の子供が欲しいと思う日が来るんだろうね。結婚したりした時にさ」

「その『私達』の中に私は含まれてないのよ。産めないから」

と私は悲しげに言った。冴子は言った。

「そう考えるとつらいよね。みんな赤ちゃんを産むのに自分だけ望めないわけでしょ?」

「そう。そんなこと、私、まだ十五歳なのに宣告されちゃった」

しばらく冴子は黙っていた。何かを考えているようだった。そして言った。

「ねえ、こんなことできるかどうか分かんないけど、一応言ってみるね。赤ちゃんが産めないことを悩むの、しばらく保留にできないかな?」

「保留?」

私は驚いて言った。冴子は続けた。

「うん。保留。だって、今すぐ赤ちゃんが欲しい訳じゃないでしょ?今いたら逆に困るじゃない。だから、赤ちゃんが産めないって悩むのってもったいない気がするの。大人になったらいつかは悩まなくちゃならない日が来るから、その時まで保留にできない?今は今を楽しもうよ、高校生として。」

確かに冴子の言うことは正しいと思う。でも、私に保留ができるだろうか。

「そんなこと、できるかなあ・・・」

冴子が言った。

「ねえ、最近、佐々木くんに冷たくしていたのも、このことが原因なの?」

私はうなずいた。

「子供の産めない私が恋愛するなんて、そんな権利ないと思ったから」

冴子は笑った。

「だからってせっかく仲良くなったのをぶち壊す必要ないじゃない。好きなら好きでいいじゃない。もっと明るく考えようよ」

「そうだね。でも、私、みんなとはだいぶ違うからなあ。そのことがいつも頭にあるの」

「みんなと違うって?ああ、体育の見学とか走ったらいけないとか色々制限があること?」

「そう」

「それは・・・・つらいね。ごめん、それしか言えない」

「いいの、いいの。色々考えてくれてありがと。保留できるように頑張るわ」

私は冴子に向かって笑ってみせた。

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