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とはいっても働かないわけにはいかぬ、資材館へと戻ったかなえはレジへと向かい、そこにいた若い男性社員に声をかけた。
「秦野君、休憩ありがとう、交代するわ」
声をかけられた男は、お仕着せのエプロンを外しながらレジを離れる。その表情はいかにも待ちわびていたといわんばかりの笑顔だ。
「遅いっすよ、所沢さん~」
「え、あ、ちゃんと時間通りに戻ってきたはずだけど?」
「はあ、まあ、そうなんすけどね。珍しくないすか、所沢さんが休憩ぎりぎりまで使うの」
「ごめんね、今日はちょっとミユキちゃんと外でランチしてたから」
男がきらりと目を光らせた。
「ミユキちゃんって、本館チェッカーの、バイトの、あのミユキちゃんですか?」
「そうよ」
そっけなく答えながらエプロンを受け取るかなえに向かって、男はくねくねと体をゆすって見せる。
「ええ~、なんすか、そのうらやましいランチ~、俺も行きたかった~」
明らかに「じゃあ今度、一緒に行きましょう」という返事を期待している態度だ。しかし常識派であるかなえが、ミユキの気持ちも確かめずにあいまいな約束などするわけがないのだ。
「そう、じゃあ、行って来れば?」
この対応を塩と感じたか、男はさらにくねくね、くねくねと身をくゆらせる。
「ええ~、そうじゃなくて~、つまり~、ミユキちゃんみたいな若い子に俺がいきなり声かけたら警戒されちゃうじゃないですか~」
「そうかしら」
「そうなんですよ~、だってほら、いちおう男と女だし、いきなりそういうこと期待させちゃったらかわいそうだし~」
ところで、このとき化け猫と雲外鏡がどこにいたかというと……二人ともレジからほど近いところに積まれたブロックの陰に隠れてこの会話を盗み聞きしてたのである。だから次郎丸は、足を踏み鳴らさんばかりに憤慨した。
「なんじゃ、あのチャラい男は!」
ミユキのほうもかなりご立腹ではあるのだが、人間の中にまぎれて暮らしている場数の差というものであろう、いかにも年上らしく次郎丸をなだめる。
「ほら、大きな声出したら、尾行してるのばれちゃうでしょ」
「そうは言ってもな、若いか若くないかで言ったら、うちのかなえだって相当若いではないか! 少なくともお主よりずうっと年下じゃのに」
「あ~ね、人間って見た目の若さに騙されるからね~」
「それにしたって! あんなチャラい無礼な男、ワシは認めんのじゃ!」
「認めるも認めないも、あんたが妖力で縁を引き寄せちゃったんだから、仕方ないでしょ」
「ふん、お言葉じゃがな、ワシが引き寄せたのはあくまでも縁でしかないわ」
次郎丸は得意そうに胸を張ってぴょんと伸びあがり、自信満々、朗とした声で講釈を垂れる。
「人が出会うも分かれるも、すべては縁なのじゃ。しかしこの世に人はあふれ、本来なら出会うはずだった縁とすれ違ってしまうこともある。ワシが引き寄せるのはそうした縁なのじゃよ!」
ミユキが鼻先で笑う。
「なにそれ、それってすごいの?」
「すごいに決まっておろう! 何しろこれは縁結びの招き猫として名高い東京は今戸神社のお猫様から直接賜ったワシの妖術、効果はてきめんなのじゃ!」
「それにしては、あの男とは何もなかったみたいだけど?」
「え、どれどれ?」
二人がブロックの陰から伸びあがって見やれば、男は休憩へと向かう浮かれた足取りでレジを離れ、逆にかなえはきちんとレジに向かっている。どこにも胸キュンな要素もムードもなく、日常ありきたりな引継ぎの風景がそこにあるだけだ。
「どうやら、あやつとかなえの縁はここまでのようじゃな、良かったのじゃ」
ほっとした表情の次郎丸にむかって、ミユキは懐疑のまなざしを向ける。
「ええ~、あんたの術が効いてないだけじゃないの~」
「そんなことはないぞ、ほれ見よ、次なる縁じゃ!」
レジ前には作業服を着た見目麗しい美青年が立っている。
「あんなの、普通のお客様じゃん」
ミユキは冷静に言ったけれど、次郎丸のほうはノリノリだ。
「ほう、誠実そうではないか。それに身のこなしも粗雑さがなくて好ましい。どれ、合縁奇縁、おいでませなのじゃ!」
次郎丸が左手を軽く上げると、男が支払いのために差し出した札が、ふわりと風にあおられて舞い上がった。
「あ!」
短く叫んだ男が手を伸ばす。
「え」
それにつられて、かなえの手も札を追った。
空中で捕まえられた札、そのうえで重なる手と手……今にも絡みそうな指先の距離と、そして呼吸が聞こえそうなほどに近づいた顔と顔……。
「あ!」
慌てたように身を引いたかなえの頬が、わずかに赤らんでいる。
「し、失礼しました!」
男のほうも、恥ずかしそうに少しうつむいて、いかにも純情そうにもじもじ体をゆすって。
「あ、いや、なんていうか、その……すみません」
軽く絡む視線の中、二人はふふっと笑いあった。
この王道的展開に大いに盛り上がったのは、次郎丸とミユキのほうである。
「ひゅー、いいんじゃないの、いいんじゃないの、これ!」
「うむ、トキメキドキドキなのじゃ!」
「もっとくっつけ、くっつけ~」
「電話の番号ぐらい交換せんのか、気の利かぬ男じゃ!」
ガンガン盛り上がる化生たちをよそに、当のかなえと客の男はすっかり普通の距離に戻ってしまった。普通に札を渡し、普通に釣りを受け取り、普通に商品を受け渡して、それっきりだ。
「むう、あの男もかなえと縁がないというのか」
「てか、あんたの妖術が効いてないんでしょ」
「そんなはずはない、そんなはずはないのじゃ! 縁の深い男に術が届いてないだけなのじゃ!」
次郎丸は左手を頭上に、右手を腹の前に構えてまねきねこのポーズ。
「合縁ッ! 奇縁ッ! おいでませッ!」
先ほどとは比べ物にならないほどの妖気が放出され、それは目にも見える光となって資材館の高い天井へと駆け上がった。
「これでよしなのじゃ。さて、かなえにどのような縁があるか、見守ろうではないか」
こうして二体の化生は、夕方までゆっくりとかなえの後を付け回したのである。