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三人が向かったのはバビ・ホームからほど近いファミリーレストラン、その名もサイザリア。ここはランチはスープとサラダ付き、しかもワンコイン500円とリーズナブルであるため、で食べられるということもあって、バビ・ホームの店員がお昼休みを利用して来ることも多く、かなえとってもおなじみのファミレスである。
かなえはいつも通りドリアのランチを頼んだ。ミユキはパスタランチである。そして次郎丸は……彼だけがお子様ランチを頼んでいた。
断わっておくが、サイザリアは価格の安さを売りにしたファミレス、お子様ランチとはいっても丸く盛り付けたご飯に子供好みの煮込みハンバーグが添えられた簡単なものである。
それでも次郎丸は、まずは皿が、カラフルな模様をプリントしたものであることに大喜びした。
「みよ、これ! かわいらしいではないか、いかにも子供が喜びそうじゃ!」
これしきの事で、あんたもよろこんどるやんけ、という突っ込みは無粋である。次郎丸はさらに、デザートの小さなゼリーごときに両手をたたいて大喜びなのだから。
「なんと! この上に、帰りには菓子ももらえるそうじゃ! 至れり尽くせりではないか!」
さすがに申し訳なく思ったのか、かなえが小さな声で言う。
「次郎丸、次はちゃんとしたレストラン、行こっか」
「ここもレストランではないか」
「そうじゃなくって、せめてお子様ランチに旗が立っているようなところ、ね」
「旗が立つ? こんな小さな皿の上にか?」
「別に、大きな旗が立つってわけじゃなくてね。爪楊枝で作った小さな旗が立つだけなのよ」
「ふむう??????」
キョトンとした表情は、まるっきり幼い少年のようだ。これが本当は化け猫なのだということを疑ってしまうほどにあどけない。
しかし、忘れてはいけない、これはまごうことなき年古りの猫が変容した化生なのだ。その証拠に、彼の瞳がわずかに金色に光った。
「旗のことはどうでもよい。して、そこの化生……」
金の瞳が見つめるミユキは、のんびりとフォークでパスタの皿をつついている。声もどこか間延びして緊張感のかけらもない。
「だから、そういう妖怪じみた顔はやめなさいっての、それが人間にまぎれてうまく暮らしていくコツなのよ?」
ここに来るまでの道すがら、すでに二人は和解している。ミユキの正体は『雲外鏡』という鏡が年を経て妖力を得たものであり、人に害をなすつもりはないと分かったからだ。
「私はねえ、普通の人間として波風立てずに暮らしたいの」
少し不機嫌そうにつんと鼻先をあげた顔は、この年頃の若い女子特有のものだ。どこにも彼女が妖怪だとにおわせる要素はない。
もちろん、フォークを器用に操ってパスタを巻き取る手元も人間そのもので、次郎丸はこれにひどく感心した様子であった。
「なるほど、フォークとはそのように持つのだな」
次郎丸はその手つきをまねようとするが、何しろもともとは猫の手なのだから、急にうまくいくわけがない。子供用の小さなフォークは彼の五指の間から滑り落ちてテーブルの上ではねた。
「やだあ、不器用すぎるんじゃない?」
「だって、猫じゃもん」
飽きれながらもフォークを拾ってやるミユキの姿と、すねながらそれを受け取る次郎丸の姿は、まるで年の離れた姉弟であるかのようにほほえましい。ランチの多忙に忙殺されて少し疲れた顔をしていた店員でさえ、これを遠目に見てふっと顔をほころばせた。
しかし、この二人が永年の経験を重ねて妖力を得た妖怪変化のたぐいであることはまぎれもない事実なのだ。その証拠に食事中の会話は、見た目が一番年上であるはずのかなえを子供扱いしたものであった。
「私ぃ、かなえさんって素材はいいのにしゃれっ気がなくって損してると思うんですよぉ」
「あ、わかる~、なのじゃ」
「だから、かなえさんもちゃんと女なんだぞって自覚してほしくて、あのお化粧をしたんだけどぉ」
「よくない、あれはよくないぞ。寄って来ればどんな男でもいいというわけではなく、ワシはかなえには堅実で誠実な男を見つけてやりたいのじゃ」
「あ~、わかるぅ、そういうほうがかなえさんには合ってそう~」
「じゃろ~」
かなえは二人の会話に割り込んで、ささやかな抵抗を試みた。
「まって、ちょっと待って。私、良縁とか恋愛とか、本当に興味ないから!」
しかし次郎丸にじろりとにらまれる。
「興味ないじゃと? 年頃の娘なのにか?」
「逆でしょ、私の年なら、恋愛にうつつを抜かすようなこともなくなるもんでしょ」
「それはつまり、過去には恋愛にうつつを抜かしたことがあると、そういうことじゃな?」
少年の眼はかすかに金色に輝いている。これは店内にともる証明が反射しているだけだろうか、それとも……
「答えよ、かなえ、恋愛に一つも興味がないというわけではないのだろう?」
かなえはつまりそうになる呼吸を飲み下し、言葉を選んで慎重に答えた。
「興味は、まあ、人並みに……私だって結婚に憧れたりすることはあって、だけど、今現在お付き合いしたいと思うような相手がいないなあ、と、そういうことなの」
次郎丸の表情がぱあっと無邪気な笑顔に戻る。
「よかったのじゃ。他人を愛する心がわからぬというわけではないのじゃな?」
「それは、まあ、片思いならいくらでもしてきたし」
「良き良き、片思いも恋のうちじゃ。本当にひとかけらも他人に対する愛情のない人間だったらどうしようかと心配したぞ」
次郎丸は腕組みをして深くうなづいた。
「他人に対する愛情はある、しかし、今日まで良縁に出会うことなく来てしまったわけじゃな。つまり、お主に必要なのはきっかけじゃ!」
「きっかけって何よ」
「決まっておろう、恋に落ちるきっかけじゃ。それは小さな出来事かもしれぬがな、お主をときめかせ、心奪うような何かが起きる、それが恋の始まりというものなのじゃ」
ぴょん、と立ち上がった次郎丸は手首をやわらかく丸めた左手を高く頭の上にあげて、もう片手を腹の前に添えた。それはいわゆる招き猫のポーズである。
そのまま鋭く一声。
「合縁奇縁、おいでませっ!」
突然の奇声に店中の人が振り向く。しかし声の主が子供であるのを見るや、遊びの一つだと納得してしまうらしく、誰もがすぐに視線を下した。
ただ一人、うろたえたのはかなえのみ。
「な、なに、今の! お店で大きい声出したら恥ずかしいでしょ!」
「かなえ、お主の声のほうが大きいぞ」
かなえはあわてて次郎丸の首根っこをつかみ、その耳元に口を近づけた。
「ねえ、今の、なに?」
「なあに、ちょっとしたまじないじゃよ。これでお主には恋の『きっかけ』が引き寄せられる」
「おまじないとか、私、信じないんだけど」
「おろかじゃな、そこらの人間がそれっぽく作り上げたまじないもどきとは物が違うのじゃぞ、正真正銘の猫またであるワシが、妖力を込めたまじないぞ?」
「猫また未満じゃん」
「それは言わないお約束じゃ」
お子様ランチの最後の仕上げ、小さな容器に入ったゼリーをペロッとたいらげた次郎丸は、満足そうに微笑みながら立ち上がった。
「では、行こうかの」
「行くって、どこに?」
「仕事に戻るのじゃろう? ワシのことは気にせんでよいぞ、この雲外鏡に遊んでもらうでな」
「ふは」と声立てて笑う次郎丸の表情は、少年には似つかわしくない邪悪な気配を含んでいる。これはやはり……化け猫なのだ。
それをいまさらながら強く感じて、かなえは身震いしたのだった。