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ミユキが何者であるのかが明らかになったのは、その日の昼休みのことであった。
バビ・ホームではシフト表に従って交代で休憩をとる。売り場を無人にするわけにはいかないのだから当たり前だ。
かなえは資材館の仲間に頼んで一番最初に休憩をもらった。バビ・ホームの店内をうろうろしているはずの次郎丸に食事を食べさせるためだ。小さな財布だけを抱えて、かなえはバビ・ホーム本館へ向かった。
人の少ない資材館とは違って、生活用品や洗剤類を売っている本館には客足が絶えない。この中から子供の姿をした次郎丸を探すのは困難であるため、かなえはガーデンコーナーで彼と待ち合わせをしていた。
ガーデニングコーナーは本館入り口前にある。大小さまざまの植物を植えた植木鉢や、まだ本葉が出たばかりのポット苗などを並べて緑濃い癒しの空間となっている。商品展示もかねたベンチがいくつかおかれて買い物につかれた客たちの休息場も兼ねている。はぐれた子供との待ち合わせ場所をここにする母親も多いため、少年姿の次郎丸がいても違和感はないだろうとかなえは考えたのだ。
しかし、これは甘かった。庭木に使う大きな果樹なども並べられているために見通しは悪く、おまけに小柄な少年がベンチに座ってしまってはさらに緑の合間に姿はまぎれてしまう。一つ目のベンチには次郎丸の姿はなく、かなえはさらに奥にあるベンチに向かった。
空は白色を多めに混ぜたような淡い水色で雲は少なく、そこに差し込むように伸びた緑の枝たちが美しい。桃の枝先には子供のこぶしほどに膨らんだかわいらしい実がぶら下がっていて、かなえは思わずそれに目を奪われた……と、そのとき。
「かなえさ~ん」
のしっと全体重をかけてかなえの背中に飛びついたのは、ほかでもないミユキだ。彼女は屈託ない笑顔でかなえに聞く。
「どうでした、昨夜はお楽しみでした?」
「え、何が?」
「またまた、とぼけちゃって~、昨日はモテモテだったでしょ!」
「ええっと?」
「言ったじゃないですか、かなえさんはちゃんとしたら美人ですって!」
「ちょっと、ミユキちゃん、落ち着いて」
かなえはミユキの体をそっと押し返し、その腕から抜け出した。何しろこの期に及んでもかなえは相手を『普通の女子大生』だと思っているのだから、彼女の存在が化け猫である次郎丸に知られることのほうを恐れていたのである。
「何の話かよくわかんないんだけど、あっちでゆっくり聞くから、ね」
ガーデンコーナーを離れようとミユキの背中を押す……が、そんなかなえの思いもむなしく、背後で喉を鳴らすような唸り声がした。
「かなえ、それは誰じゃ?」
かなえはとっさに体を返し、ミユキを後ろ手にかばう。少年は幼い顔立ちに不釣り合いな金の眼をぎらつかせていた。
「かなえ、そやつから離れよ」
「ダメ! ミユキちゃんは普通の子なんだから!」
「普通じゃと? そんなに妖気を発しておるのにか?」
「妖気?」
振り向いたかなえが最初に見たものは、白銀に光る二つの眼。
「かなえさん、何でそんなもの連れているんです?」
冷たく硬い声で話すミユキの両の眼が、降り注ぐ日差しを受けてキラキラと輝いている。少し透明度の高いその輝きは、良く磨き上げたガラスに陽光が映り込んだ時のそれだ。まるで瞳の代わりに鏡をはめ込んだようだと、かなえは思った。
しかし、これは彼女が人ならざるものである証でもある。かなえはうろたえて一歩を引いた。
「ミユキちゃん、あなた……いったい……」
ミユキは、ひどく悲しそうな顔をした。白銀に光る瞳を伏せて、口元を少しとがらせて、今にも泣きだしそうな表情であった。
「かなえさんにはこの姿、見られたくなかった……でも……」
再び彼女が顔をあげたとき、そこにはもう、人の姿をしたものはなかった。
いままで大地を踏みしめていた二本の足の代わりは細かい彫刻を刻んだ幅の広い木材、そこから連なるボディは飴色の艶が出るほど磨きこまれた木枠にはめ込まれた分厚い鏡……骨董屋で見かけるような大正ロマン薫る重厚な姿見が一枚、その場に現れたのである。鏡の表面にはミユキの姿が映し出されているが、その本体であるはずのミユキの実体はどこにもない。
鏡の中のミユキが、鋭いまなざしで次郎丸をにらみつけた。
「そこの化生! かなえさんに何をする気よ!」
これに負けじと次郎丸も怒鳴り返す。
「貴様こそ化生ではないか! かなえに害なすつもりなら、容赦はせんぞ!」
ミユキのほうが、むしろ余裕がある様子だ。
「わ、こっわ~い、どう容赦しないのか、やってごらんなさいよ」
次郎丸が両手を地面に下す、と、それは瞬く間にふかふかの毛におおわれた前足へと姿を変えた。
「容赦せん……容赦せんぞ」
どちらかといえば、次郎丸のほうが臆しているようだ。猫に戻った胴体の上、とぼけた三毛模様が震えているのは武者震いなんかじゃない。
「うう、容赦せんのじゃ」
一触即発戦闘寸前、まさに火花の散りそうな緊張感のど真真ん中に、かなえは飛び込んで両手をあげた。
「ストップ! 二人とも、場所を考えて!」
両人ともこれに不服だったらしく、「ふふん」と鼻を鳴らす。
「だってぇ、その猫ちゃんがぁ」
「悪いのはそっちの鏡ババアじゃもん、ワシ、悪くないもん」
「な! 誰がババアだって?」
「やるのか、ゴラ! なのじゃ!」
かなえはさらに声を張り上げてこれを止める。
「いいかげんにしなさいっ! ミユキちゃん、こんなホームセンターのガーデンコーナーのど真ん中にレトロな鏡があるとか、お客様が見たらびっくりするでしょ!」
「うう、確かに……」
レトロな姿見が掻き消えて、少し派手めな女子大学生の姿が戻ってくる。
「次郎丸もっ! 猫なのにそんなにペラペラしゃべるとか、ほかの人にばれてもいいの?」
「うう、マスコミの餌食はいやじゃあ」
こちらも、体をゆすって少年の姿に戻る。
かなえはそんな二人を交互に見やって、肩をすくめた。
「ね、こんなところで喧嘩しても誰も得しないでしょ、とりあえずおごるから、三人でランチいかない?」
「ランチ!」
次郎丸が無邪気に舌なめずりをした。