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「ねえ、だからぁ、ミユキちゃんっていう子がブログにあげてたのが欲しいんだってばぁ」
「申し訳ございません、彼女はあいにく、本日はシフトに入っていませんので……」
駆けつけた次郎丸は、言い争う客とかなえの真ん中に飛び込む。
「ストップなのじゃ! いったい、これはなんの騒ぎなのじゃ!」
場所は生活用品売り場の中でも特に客足の絶えない洗剤コーナー、すでに足を止めて何事かと振り返る人もちらほら見受けられるため、これ以上目立つことは避けたいところ。
そもそも、かなえの前にドーンと立つこの女、それでなくとも目立つ容姿をしている。
遠目にシルエットを見ると、縦幅と横幅がほぼ同じ……つまり、太っているのだ。おまけに大柄なのだから、これが通路の真ん中にどーんと立つから、いきなり小山が現れたみたいに視界がふさがれる。
(まるで相撲取りじゃな)
次郎丸は勝手に心の中で、この女に『デラックス』とあだ名をつけた。
さて、まずはデラックスを落ち着かせねばならないと考えて、次郎丸は小山のような巨体の足元でコショっとささやき声をあげる。
「あまり騒ぐでない。あやかしだと周りにバレたらどうするのじゃ」
小山のような巨体がゆらっと動き、あごと胴のつなぎ目――つまり首さえどこにあるのかあいまいな頭が大げさに動いて、次郎丸を見下ろした。
「あらぁ、これ、どこの子?」
「ただの子供ではない、こう見えても猫又……未満じゃが、あやかしの端くれなのじゃ」
「そうなの。ああ、だから私があやかしだってわかったわけね」
舌にまで肉が巻き付いてるんじゃないかと思うぐらい舌足らずな、それでいて張りのある大きな音声と、それに毒舌家特有の語尾の強さも相まって、デラックスの声は体格以上に目立つ。
「とりあえず、しーなのじゃ! 人間たちにあやかしだとばれたら困るのは、お互い様じゃろう」
「そうねえ」
デラックスは声を落としつつも、じろりとかなえを見やる。
「そっちの子はいいの? あれも人間でしょう?」
「かなえは、ワシの同居人じゃし、ある程度はわかっておるから大丈夫なのじゃ」
「ああ、それでこの子が呼ばれたのね」
デラックスの説明によると、彼女のお目当ての商品は冥界ネット上にある――つまりあやかし専用のブログサイトでミユキが紹介しているものなのだという。
「結構人気あるブログなのよ、『あやかしにもきっとお役立ち、今週の売れ筋商品』っていうのをやってるの」
「しかし、あやかしのネットは人間には見せれんじゃもんじゃから、それで暴れとったんじゃな?」
「やだあ、暴れてなんかいないでしょ、紹介された商品は売れ筋なんだから、ちゃんと人間にもさりげなく業務伝達されてていいはずなのに、それがされていない、だからクレームをつけてただけじゃない」
「つまり、言葉の暴力じゃな……」
なるほど、ミユキと仲のいいかなえならば『ブログ』を見たことがあるかもしれないと、それで呼ばれたというわけだ。
「しかし、かなえはワシの同居人になってまだ日も浅いし、あの雲外鏡の秘密を知ったのも最近なもんじゃで、勘弁してやってほしいのじゃ」
「ま、私も欲しいものさえ手に入ればいいだけだし、いいけど?」
ここで、おびえていたかなえがやっと言葉を取り戻したか、おずおずとデラックスに歩み寄った。
「あなたも、あやかしさんなんですか?」
「そうよ」
「ええと……」
この時、かなえの脳裏に思い浮かんだのは遠い昔に見た妖怪物のアニメのことだった。あのアニメには数多くの妖怪が出てきたけれど、こういうズーンと小山のように太って肉の垂れ下がったシルエットの妖怪は、何て名前だったかしら……。
「あの、もしかしてぬっぺっぽうさん?」
この言葉を聞いたデラックスは、からだをゆさゆさゆさゆさ揺すって地団太を踏む。
「ちょっと! あんた、ちょっとぉ!」
「は、はい!」
「あんな目鼻の区別もつかないような奴と私を一緒にするとか、どういうことよぉ!」
「ご、ごめんなさい!」
次郎丸が慌てて二人の間に割って入った。
「まあまあまあ、ならば、『お姉さん』は何のあやかしなのじゃ?」
お姉さん呼ばわりされたあやかしは、満足そうに巨体をゆする。
「あらぁ、こっちのオチビさんは口のきき方っていうのを良く心得ているじゃない? いいわ、二人にだけ、私の正体を見せてあげちゃうわ」
デラックスは腰をかがめて二人に顔を寄せ、表情を周りから隠すようにほほの横で肉がたっぷりと巻き付いたずんぐりと太い指を広げた。だから、彼女の真の姿を見たのは、次郎丸とかなえの二人だけである。
その顔には、人間ならばあるべきはずの目鼻がなかった。たぷんと揺れる顎肉のすぐ上に大きな口があるほかには、顔を構成するパーツは何もない、凹凸さえもない、のっぺらぼうだったのである。
「ひいっ!」
かなえが小さく悲鳴を上げると、ゆで卵に紅をひいたような口がぱかっと開いて笑う。
「あら、良い反応。脅かし甲斐があるじゃない」
その口の中に生えている歯は、すべて真っ黒に染め上げられているのだから、いくら猫また未満とはいえど次郎丸は、その正体を察した。
「お歯黒べったりか!」
「正解~」
しれっとして身を起こしたデラックスの顔には、すでに人間を模した目鼻がついている。黒い歯もすっかり口中にしまわれて、見た目は少しガタイが良いだけの普通の女性と何ら変わりない。
かなえがおびえながら次郎丸の袖を引いた。
「ねえ、なんで口の中が真っ黒だったの?」
「なんじゃお主、鉄漿も知らんのか?」
次郎丸は無知をなじるようなあきれ顔だが、逆にデラックスはこれをとがめて眉をあげた。
「何言ってんの、今どきの子なら、これが普通の反応よ」
そのあとで、デラックスは自分の唇を指さして解説を始める。
「これねえ、お歯黒っていって、染めてんの。鉄漿っていうのはお歯黒の別の呼び方ね」
「なんで染めたりするんですか」
「なんでって、これ、いまでいうところのオーラルケアなのよ。特に既婚女性の身だしなみでね、嫁に行ったのにお歯黒していないなんて、貧乏丸出しでみっともないって言われてたくらいなんだから」
「今とは美に対する感覚が違ったってことですね」
「そうねえ、だけど、私も乙女だから、こんな古臭いお歯黒なんかじゃなくって、今風の口元にしたいのよ」
この言葉に、かなえは何かをひらめいたようである。
「今風の……もしかしてお探しのものは、ホワイトニングですか?」
「そう、それそれ、歯を白くするやつね」
「だったら、オーラルケアコーナーはこちらです。どうぞ」
先に立って歩き出すかなえを見て、デラックスはニヤリと笑いながら次郎丸を見下ろした。
「ふうん、なるほどねえ」
次郎丸は小山のような女を見上げてうろたえる。
「何がなるほどなのじゃ」
「人間にしておくには惜しいぐらいのいい女だものね、あんたがお熱あげるのもわかるわぁ」
「べ、べつにお熱じゃないんじゃもん」
「そうなの? 彼女のピンチに駆けつけるナイトみたいな勢いだったじゃないの、あれ、お熱じゃないっていえるの?」
「あれは……どっちかっていうと、相棒のピンチに駆けつける感じだったのじゃもん、絶対、お熱なんかじゃないんじゃもん」
「ま、どっちでもいいわ、そうだったら面白いな~と思っただけだから」
デラックスはそそくさとかなえの後を追う。次郎丸は少しすねたように唇を尖らせてつぶやいた。
「だって、かなえは好きな男がいるんじゃもん」
しかし、その声は誰にも届かない。何しろ一番近くにいたデラックスでさえ、いまは歯ブラシや歯磨き粉が並ぶ棚をのぞき込むのに夢中なのだから。
「女は、好きな男と引っ付くのが一番じゃもん」
さみし気につぶやいた言葉も、やはり誰も聞くものはなく……次郎丸はただぼんやりとした気分で、マメしく動き回るかなえの動きばかりを、目で追っていたのだった。