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と、その時である、平塚が慌てた様子で駆け寄ってきたのは。
「あ、所沢さん、ご案内済んだ?」
かなえの背後にチュールの棚と、その前にたたずむ少女を認めた平塚は、少しだけほっとしたような顔をした。
「あとはお会計だけだね、次郎丸君、レジまでのご案内をお願いしてもいいかな?」
「ああ、構わぬ」
そう答えた次郎丸の目の前で、少し骨ばった男の手がかなえの細い手を取る。
次郎丸は、戸惑うかなえがほほをわずかに紅潮させているのを見逃さなかった。
「おお、これはラブハプニングというやつじゃな!」
生活用品売り場に向かって走り去る二人を見送った後で、次郎丸はにんまりと笑った。
「ま、ワシの妖術にかかればこんなもんじゃな!」
招き猫少女は、すでに棚から取り出したチュールを両手いっぱいに抱えたまま、次郎丸の顔をじっと見る。
「あんた、本当にこれでいいの?」
両手はチュールのカラフルなパッケージで埋められて浮かれた風情だというのに、小さな眉間には深い縦ジワが一本はしって、なんだか神妙な面持ちだ。だから勢い、次郎丸も真顔になる。
「なにか、いかんことでもあるのか?」
「いかんっていうか……あんた、あの人間の女が好きなんでしょ」
いきなりずばりのド直球におどろいて、次郎丸は奇声をあげた。
「ぐふぅ!」
「私、知ってるのよね、あんたに次郎丸って名前を付けてくれた人間のこと。あんた、その人間のこと、好きだったんでしょ」
「とととと遠い昔のことじゃもん、覚えておらんもん」
「ふうん、覚えてないのなら、なんで初縁結びはかなえさんって言い張ったの?」
「それは……」
次郎丸は唇を強く引き結んで言葉を探す。
(確かに……)
遠い昔、まだ化け猫になるなど思いもよらなかった昔……乳離れしてすぐの小さな子猫だった次郎丸を引き取ってくれたのは魚屋の娘だった。もちろん、名前を付けてくれたのも彼女だ。
(あれは、いい女じゃった)
きっぷが良くて、気立てが良くて、猫でもほれぼれとするほどの美人だった。夏の縁側で夕涼みする彼女の膝に乗ると薫る、ユウガオの花に似た優しい香り……次郎丸は今でもその時の甘ったるいような切なさを覚えている。
それでも所詮は人と猫。ましてや普通の猫であった次郎丸には、その甘さが恋というものであったことさえ理解できなかったのだから、今更どんな思いを抱こうとかなうはずなどない。
「あのな、師匠、誤解のないように聞いてほしいのじゃが……ワシがかなえの中に見ておるのは、遠い昔に好きだった女の面影なのじゃ」
「ああ~、なんだか、すごく似てるらしいもんね」
「まあ、遠いとはいえ親族なのじゃから、似ても不思議はないのじゃもん。でな、ワシはそのことを良ぉく知っておるから、必要以上にかなえを好きにならんようにしようと、自分で決めたのじゃ」
「どうして? 今のあんたはただの猫じゃないんだし、いいじゃん、引っ付いちゃえば」
「今のワシはこの姿ぞ?」
次郎丸は悲しく笑いながら両手を広げ、自分の幼い姿を誇示した。
「きちんとした大人の女が、ワシみたいな子供と付き合うのを、人間の世界ではショタコンと言うのじゃろう?」
「いいじゃない、ちゃんとした猫又になったら、姿なんて自由自在よ」
「師匠はちょっといろいろ、軽く考えすぎなのじゃ」
「なによ、弟子のくせに師匠に対して生意気っ!」
「ともかく、ワシはかなえを好きなわけじゃない。じゃからこうして縁結びをかってでたのじゃ」
「それって、意地になってるだけじゃん、バカみたい」
それっきり、その話に興味を失ったのか、少女はふいっと横を向いてしまった。まるで何事もなかったかのように取り澄ました表情が実に猫っぽい。
「まあ、あんたの恋はどうでもいいけど……とりあえず今、助けに行ってあげたほうがいいんじゃないかしら」
「かなえをか?」
「そうよ。あんた、気づかないの、この妖気に……」
人間は誰一人として気づいてはいない。しかし、本性が猫である次郎丸は、ピリピリと髭の先をかきむしるような不穏な気配を感じて身構えた。
「確かに、妖気じゃな」
耳を澄ますと、遠く生活用品売り場のほうから、何かを言い争う声。人間の百倍と言われる猫の聴力は、その会話の内容までをつぶさに拾い上げた。