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所沢かなえ、25歳――彼女がこの物語の主人公である。
とりたてて器量よしというわけでもなく、本人もそれを良く自覚しているのだから化粧など最低限しかしない。ゆえに容姿は中の中の中。逆に笑いが取れるくらいの不細工であれば話も盛り上がっただろうに、恋愛の物語のヒロインとしては地味すぎるタイプなのである。
ホームセンターの社員という仕事も良くない。
別に企業として良くないということではない。かなえが勤めるバビ・ホームは県下最大手の優良企業なのだから、福利厚生はばっちり完備、休日もきちんととれるホワイト企業なのだ。
ただ、かなえの色気のためには良くない。
朝、小さな原チャリで出勤する彼女はすっぴんである。服装はバビ・ホームのユニフォームであるロゴ入りのポロシャツ、その上にこれまたバビ・ホーム支給のナイロン素材のジャンバーを羽織って、色気の欠片もない。ヘルメットをかぶるために髪は後ろで一つまとめにしているのだから、ますます色気の欠片もない。
そんなかなえを心配してか、ミユキは朝の挨拶よりも先に不満そうな声を出した。
「かなえさん、せめてお化粧ぐらいしてきましょうよぉ」
美由紀は今年大学一年生、高校生の頃からバビ・ホームでバイトをしているベテランチェッカーである。彼女はかなえをひどく気にいっていて、何かあると「かなえさん、かなえさん」と後ろをついて歩くのだ。
今日は休日ということもあって朝からのシフトなのだろう、誰よりも先にかなえに挨拶しようと早めに来たのだということを思えば、かなえもこれを邪険にはできない。
「ん~、お化粧ねえ……」
正直な話、無駄だ。バビ・ホームのハウスルールでは『接客にふさわしい程度のみだしなみ』ということで化粧そのものは禁止されていないが、四六時中客前に顔をさらすチェッカーならいざ知らず、資材館で男性社員に混じってフォークリフトでの品出しをしているかなえには必要ない。むしろ汗でファンデーションさえ流れてしまうのだから、すっぴんで十分なのである。
しかし、かわいい妹分は引き下がろうとはしなかった。
「私の化粧品、貸しますから。これねえ、皮脂で崩れないって話題のやつなんですよ」
「いや、申し訳ないし……」
「何が申し訳ないんですか、いいから、座って。私がやってあげます!」
パイプ椅子に座らされてなお、かなえは抵抗する。
「本当にいいよ、化粧品がもったいない」
「もったいなくなんかないです! なんでかなえさんまでそういうこと言うんですか!」
「そういうこと?」
「お化粧品がもったいないとか、そんなこと、絶対ないですから! かなえさんはちゃんとしたら、すっごい美人さんですから!」
「あ~」
ミユキがどこで何を聞いたのか、すぐに想像できてしまうのが悲しいところ……かなえはそうした男性からの嘲笑にあまりにも慣れている。おそらくはかなえのいないところでの会話で、「あいつは化粧したって無駄だろ」的な何かを聞いたに違いない。
その通りだと、かなえは思っている。化粧ごときで人間の本質が変わるものでもなし、一度や二度ごとき上っ面を塗るためだけに高価な化粧品をそろえるのは、経済的に無駄が多いとも。
もちろん、楽しんで化粧をしている向きをバカにするつもりはさらさらない。自分の好きな色の口紅を買いそろえ、色の置き方を工夫するのは楽しいだろうし、楽しいからこそ女性はキラキラと美しくもなるのだろう。それに比べれば化粧に興味がない自分は、そもそも顔に色を乗せることも、口紅を選ぶことだって楽しくはない。公式な場での最低限の身だしなみとして義務的に化粧をしているにすぎず、そんな心構えでした化粧では到底キレイになどなれない、だからこそ『自分が化粧をするなど化粧品の無駄だ』と思っているのだ。
それでもかわいい妹分が目の前で憤慨しているのを見れば、少しばかり申し訳なく思うのがかなえという女なのだ。とりあえずミユキが納得するなら化粧ぐらいされてもいいような気持ちにさえなる。
「う~ん、たまにはお化粧もいいかな、お願いできる?」
かなえの言葉を聞いたミユキは、ぱあっと顔を輝かせた。
「はい! とびきり可愛くしちゃいますね!」
喜び勇んで化粧ポーチを広げるミユキを見て、かなえは自分の言葉が間違っていなかったのだと、そう確信したのであった。