リエールとマトリーヌ
「ああ、リエール。もう離さない……」
「私もだ、マトリーヌ。君を絶対に離しやしない……」
互いのゴツゴツとした武骨な掌を重ね、まるで往年の職人のような逞しい指は隙間を埋めてゆく。
絡み合う指は鎖の錠を更に灼熱で熱した如く、決して離れようとはしなかった。
見つめあうふたり。
額から僅かに生えた双角は、よくその存在を顕していた。
身の丈は然程大きくなく、寧ろ小人ではないかと思えるほどである。
覗かせる口許からはギザギザの歯並びが見えた。
みすぼらしい格好。
服装は既にあちらこちらにボロを纏い、それ以前に血塗れであった。
ふたりの妖魔。
ファンタジー界に於いて一般的に雑魚扱いを余儀なくされる怪物 ── ゴブリンである。
リエールと呼ばれたゴブリンは、まるで生涯で最初にして最後のひとを見つけたかのようにして彼女、マトリーヌの唇を奪う。
「…………」
時は一瞬にして無情なのだろうか。
キツく固められた縄を、扉を。
荒々しくも甲高い音が全てを奪おうとした。
やがて隠れていたふたりは瞼を閉じ、その身を一層強張らせてしまう。
「おい! こんなところにいやがったぞ、みんなァ!!」
片手にしていた長剣は真っ赤に染まっており、それがふたりの血液であったのは間違いなかった。
しなる曲線は邪悪に揺らめく。
そこには豪華絢爛とは言い難い。
見るからに安物の鎧であろうか。
しかし、腕っぷしだけは確かであった。
首元に掛けられていたプレートか首飾り。
そこには『冒険者level・5』と表記されていた。
ザンバラに伸びた髪を掻き毟りつつ、他の者へと賛同を促す。
「見つけたか? まったく……てこずらせやがって……」
ぞろぞろと姿を現す面々。
各々のプレートを診るに、初心者から中級者への階段を上ったばかりだろう。
なかには女性もいた。
独特の杖を携え、口広に伸びたつばの帽子を目深に被っている。
スラリとした体躯で、耳は長く、何処と無く清廉な気配を漂わせていた。
森の賢者とさえ評される妖精 ── エルフであった。
しかし、告げられた台詞からは予想だにしない一言が……。
「ちゃっちゃと始末して、報酬に預かりましょうよ~」
鬱陶しそうに伸びた前髪を弄びながら、彼女は退屈そうに言い放ったのであった。
「だな! さて……一応聞いておくが……言い残すことはあるか?」
突き付けられた長剣の切っ先がゴブリン達へと傲慢に投げ掛けられる。
その意味は彼等に対する敬意などではさらさら無いだろう。
いまだにその身を寄せ合い、決して触れあった身体を引き離そうとしない彼等を家畜のように扱うのだ。
「おいおいおい……人間の真似事か? たかが怪物のくせに……」
袖裏で退屈そうに小刀を弄っていた盗賊風の男が呟いた。
口にしていた爪楊枝をプッと吐き出しながら悪態をつき、所作すら感じさせる間もなく、ゴブリンに向かってそれは投げ放たれる。
「グギャッ!?」
「ひゃはははは! 良いねぇ♪ ……ってか、何言ってっか分かんねぇよ!!」
あまりにも理不尽極まりない。
身を呈してマトリーヌを庇ったリエールを苛立たしげに蹴りつける。
ただ、他の面子も止めようとはしない。
まるで蟻の巣に水を流し込む悦に浸るようにして、人畜無害であったゴブリンを痛め付けていたのであった。
「ははは! こりゃあ良い! バケモンがままごとかよ!!」
ふるふると身を縮み込ませるゴブリン達に対して、あくまでも自分達は正義を貫いているようである。
だが彼等 ── 冒険者達は大きな勘違いをしていることに全く気付いてはいなかった。
人里離れた鬱蒼と繁る森の奥は、こじんまりとした一軒家。
丁寧、且つ花壇も憂いに帯び、愛情が込められた野菜畑などには目もくれやしなかったのだ。
大体の妖魔などは、そりゃあ人里の家畜を襲ったり、徒党を組んで集落を襲う残虐な魔物であろう。
しかし ── ふたりは違っていた。
有りとあらゆる自然を愛で、育み、調和に満ちた日常を楽しんでいたのであった。
況してや、新たな生命を宿したばかりである。
ふっくらと膨らんだマトリーヌのお腹には次なる幸せの種が今か今かと待ち受けていた。
産声を聞きたい。
家族を迎えたい。
愛したい。
その全ては最早聞き入れることはなかった。
「これで幾らになるのかねぇ……」
然も嬉しそうにして証しをこれみよばかしにチラつかせる剣士。
その手元には痛々しいまでの千切られた耳があった。
冒険者ギルドへの証明であり、それは彼等の生活する術。
息も無いのにいまだ横たわり重なりあったままの無機質。
折り重なる身体は今や唯の塊でしかない。
「はやいとこ帰って……ひとっ風呂浴びようよ」
エルフはその衣装に付着した汚らわしさを早く洗い流したそうに口を尖らせる。
「まったくだ、な! ぎゃはははは!!」
盗賊風の男も乗るようにして快活に笑い声をあげていた。
いったい……どこから歯車が狂ったのだろうか。
だが唯の肉塊となってしまった今、誰の耳にも届かない。
「ねぇ、リエール。生まれ変わっても、また愛してくれる?」
「ああ、勿論だ!!」
こんな些細な異世界生活。
怪物だからといって愛がないわけではない。
ただ、ありふれた光景であるのだ。
雄しべと雌しべは互いに寄せあう。
それが極当たり前であるかのように。
唇を重ねた後、決して幸せが訪れるかと言われれば
それは定かではない。