其ノ漆拾玖
華夜理は白い空間に佇んでいた。
その白は明確な白ではなく、どこかやわやわとした、霞や靄のような曖昧さのある白だった。
天頂から一筋、青い光が射している。
そして向かいには、父と母がいた。
悲しく微笑んで座し、華夜理に手を差し伸べている。
華夜理は無我夢中で彼らの懐に飛び込んだ。ずっと飢えていた筈の温もりはしかし、白い色と同じくやはりどこか希薄で、華夜理の希求を満たすに十分ではなかった。
「お父さん、お母さん」
それでも華夜理は泣きながら呼びかけた。
「華夜理」
ああ、大好きな母の声だ。
「華夜理」
ああ、大好きな父の声だ。
やはり茫漠として聴こえるものの、それらは疑いようがなく、華夜理の両親だった。
二度と戻らぬと思っていた恋しい人たちだった。
けれどなぜだろう、無邪気に、一片の憂いもなく彼らに纏わりつくことが出来ない。今では華夜理の身体は両親が事故に遭った十歳当時のものに戻っていた。細く、短い手足。父が抱き上げてくれる。何の恐れも要らない。父親の腕は重力を感じさせないように華夜理をふわふわと抱き上げる。
ふわり、ふわり。
何て優しい夢だろう。それともこれは現だろうか。
清浄な空気に漂う哀愁の念さえなければ、ここは完璧に幸せな空間だった。
――――――いや。そうだろうか?
母が言った。柳眉を寄せて。
「ごめんなさいね。華夜理」
何を詫びているのか、華夜理には解らない。
「もう良いの。もう良いのよ、華夜理」
何のことだか、やはり解らない。
母は悲しげに微笑したまま、地の一点を指差す。
そこには二つの球体があった。一つは柘榴めいて赤く、一つはこの空間のように白っぽく透明だ。
どちらかを選ぶのだ、と華夜理には解った。父が華夜理を下に下ろす。華夜理は短い脚を懸命に動かして二つの球体のもとまで行くと、迷わず赤い球体を選んだ。
この球は、今はつるんとして澄まし返っているが、本当の正体は柘榴の実なのだ、と華夜理は見抜いていた。自分を焦らそうとしてこんな姿でいるのだ。そんなことをして気を惹かなくても、ずっと前から自分はもう選んでいたのに。
もう間違えない。
父と母が微笑を安堵めいたものに変えて、薄くぼやけて青い光に吸い込まれていく。儚くきらきらと砂塵のようなものを残して。
それを見送りながら華夜理は泣いた。温かな涙だった。前に進む為の涙だった。
置いて逝く者も辛いのだ。置いて逝かれる者も辛いのだ。今の華夜理であればその両方の気持ちが解る。
気付けば華夜理は十六歳の身体に成長していた。
華夜理は、赤い球に歯を立てた。
しゃりん……、と澄んだ音がした。
残り二話で完結です。




