其ノ漆拾漆
身体中が寒くて熱くて仕方なかった。
華夜理は晶に勧められるまま、着物から浴衣に着替えた。背中に汗を掻いていた。
寝床に横たわると晶が泣く一歩手前のような表情で華夜理を見ていた。何か言わなければと思った。先に口を開いたのは晶だった。
「もうすぐお医者さんが来るから」
華夜理の症状が重い時、幼少から診てくれている先生だ。つまりそれだけ今の自分の状態は悪いのだ、と華夜理は認識した。
「晶」
「喋らないで」
「聴いて、晶」
「…………」
「私、柏手さんに会ったの。柏手さんはね。もう顔を見せるなと言ったの。私を見ると辛いって」
「……」
「そんな風に言うことで、自分を私の中で過去の人間にしてしまおうとしたの。私が、柏手さんに縛られないように。思い遣って、くれた」
「……うん」
華夜理はそこまでを何とか言うと目を閉じた。口の中がからからして、ひどく渇いている。熱の高さが偲ばれた。
華夜理は隣に晶が座している今の状況を、ほんの少し嬉しく思った。
昔からそうだ。風邪をひくと華夜理は晶を独り占め出来る。
晶の顔がぐにゃりと歪む。格子天井も歪んで、華夜理の目の前には色とりどりの魚と水がどこまでも遠く広がった。
大小の泡がそこかしこにある。
晶の顔が遠くなり、近くなる。
青やら赤、紫やら緑、そして色んな光がステンドグラスを通したように落ちてきた。大きな大きな魚が胸鰭で華夜理の頬を撫でる。
ふと地を見ると膝まで満ちた水にぽかりと柘榴が浮かんでいた。
赤く熟し、波間にゆらゆらと揺れている。
華夜理はしばらくその柘榴を見ていたが、拾って、手で握り潰した。
すると柘榴は赤い紅玉の粒となって華夜理の手からこぼれ落ちる。波間にぼちゃんぼちゃんと輝きながら立て続けに落ちて行った。
往診に来た医者を、晶はすぐに華夜理の部屋へと案内した。
昔からよく知る禿頭の温和な風貌の医者は、聴診器を華夜理の胸元に当てた。難しい顔をしている。
晶を振り向き、渋面で言った。
「すぐに入院させなさい。救急車を呼ぶのが良かろう。ウィルス性肺炎の可能性がある」
「ウィルス性肺炎……」
「どこかで感染したのだろうが。最近、人の多い場所や病院などに行ったかね?」
「……見舞いに」
「多分、その時に感染したんだろうな。うがい、手洗いはちゃんとしたのかな。莫迦に出来ないものだよ。晶君、君も。とにかく今は、だいぶ危ない状態だ」
医者が帰ったあと、晶は救急車を呼んで、入院に際して要るであろう華夜理の荷物をまとめた。
心臓が早鐘のように鳴り響いていた。
危ない状態だと言った医者の言葉が脳内を繰り返し駆け巡っている。
瑞穂にはメモを座敷の屋久杉の卓に残し、やがて来た救急車に、華夜理と共に乗り込んだ。
その間、華夜理は時々、うわごとのように晶の名を呼んだ。晶は華夜理の手を握り、ここにいると何度も繰り返した。
(ここにいる、華夜理。僕はここにいる)
だから自分を置いて逝くような真似だけはしないでくれと。