其ノ陸拾捌
「柏手さんの妹さんが来たって?」
浅葱が紫陽花を象った錦玉の和菓子を細かく切って口に運びながら、瑞穂に尋ねた。もう紫陽花の意匠の菓子が出回るような季節なのだ。折り畳み式のテーブルを出して、瑞穂はそこに運んできた緑茶と和菓子を置いた。
「ええ。華夜理さんを苛めに、でしょ。ちょっと性質が悪いわね。恋ゆえの迷走かもしれないけれど」
迷走と言うなら晶も華夜理も迷走している。
この小箱のような家の中で。この家にはそんな魔力のようなものがあるのだろうか。ここで過ごしていると、それがあってもおかしくはないような気にさせられる。現に瑞穂自身も浅葱の前ではどうして良いのか解らなくなる。
浅葱が来たのは桜子の訪問の翌日の夜だった。
華夜理と話すより先に、瑞穂のもとに来た。その事実が瑞穂は痺れる程に嬉しかった。そんな些細なことが。思わずお茶を淹れ、買ってあった和菓子を、晶に断ってから供するくらいに。
浅葱は難しい顔つきをしている。
「回数が増えるようなら見過ごせないけれど……」
「華夜理さんに優しいのね」
ふ、と浅葱が瑞穂に目を向ける。
「嫉妬?瑞穂」
「ええ、そうよ」
誤魔化す積りはなかった。
自分の気持ちを誤魔化しても碌なことにはならない。
華夜理や晶が良い手本だ。
浅葱は微笑むと、瑞穂に口づけた。
口づけは錦玉の味を含んでいた。
同じ頃、浅羽もまた華夜理のもとにいた。浅葱に遅れて家に来たのだ。
浅羽はどこか落ち着かない風情の華夜理を見て笑った。
「そんなに構えんなよ。今更だろ」
「…………」
竹林の柄の浴衣の胸元を掻き合わせるようにして、華夜理は床の上に正座している。浅羽に抱き締められた時、この人ではないと感じた感覚は、華夜理に後ろめたさと些少の罪悪感を持たせた。しかも浅羽はそのことをとうに解っているようなのだ。
「『銀河鉄道』でも読むか?」
その上でこんな風に優しく訊いてくる。
得られるものがないと承知の上で尽くそうとする。
華夜理は何だか遣る瀬無くて泣きたくなった。
浅羽が屈託ない笑顔であればある程、泣きたい思いは募った。
いっそのこと柘榴を食べてしまえば。
そんな思いがふとよぎる。
夏の嵐が近づこうとしていた。