其ノ陸拾
瑞穂は視線を右に、そして左に動かした。まるでここから逃れる術を探すかのように。
浅葱はもう、言葉を尽くして、態度にも表わして瑞穂に好意を打ち明けている。
あとは瑞穂がそれに対して返事をするだけだ。
浅葱のことが好きか否かなど、考えるまでもない。けれど……、と瑞穂はスウェットの右腕の、火傷跡を上から掴む。
瑞穂の引け目は自分の生い立ちであり、自分が負った傷そのものだった。ケロイド状とまでは行かないまでも、火傷跡は、瑞穂の右上半身まで覆っている。
醜い過去の残照。
これを受け留められる男性が、そうそういるだろうか?
それは例え浅葱だとしても――――いや、浅葱だからこそ、知られ、見られるのは辛い。
浅葱が瑞穂の押さえた右腕を見遣る。
彼には瑞穂が何に怯えているのか、正確に把握出来ていた。
「君は傷さえ美しい」
「…………」
「その傷を、君が真実や幸せから遠ざかる要因にしないで」
「月島君……」
瑠璃色が瑞穂に近くなる。
「浅葱と呼んで」
畳が静やかな音を立てる。
電気に照らされて伸びる二つの黒い影。
二つの影は、部屋の中心地点で一つになった。
一方、華夜理の部屋では、浅羽が晶を糾弾しつつあった。
「言ったな。華夜理より大事な女はいないって」
「事実だ」
「それは恋愛って意味で捉えて良いんだろ?」
「恋愛という意味を超えて、だ」
「今更、足掻くな」
ふ、と晶が底意地の悪い笑みを浅羽に見せる。
「じゃあ君は、最初から負けると解っていて僕に挑むのかい?」
「勝ち負けの問題じゃなく、俺は華夜理が好きなだけだ」
(ああ、眩しい)
晶は浅羽の率直さ、純粋さが眩しかった。てらいのない好意を、華夜理に打ち明けることの出来る彼が羨ましかった。妬ましかった。
透明硝子の金魚鉢の金魚。
狭い世界とは言え、至極満足げに泳ぐ彼らは、浅羽と同類だ。
そうやって、負けているように見せかけながら、晶が欲しくて堪らないものを持って行くのだ。