其ノ伍拾玖
その夜は、浅葱と浅羽、二人が揃ってやってきた。
二人共、もうジャンパーやコートは着ていない。そんな季節になったのだ。
閉じ込められた時の迷路の中にいるのは晶と華夜理だけ。
華夜理は最初、明かり障子を叩く音に気付かず眠っていた。彼らの来訪に気付いたのは、頬にひやりとした手が触れた時だ。いや、手が冷えていたのではない、華夜理の頬が熱かったのだ。
目を開けると浅葱と浅羽の心配そうな顔があった。
「晶がな。知らせてくれたんだ」
「華夜理の熱が高いから、見舞ってやってくれって」
防犯上の問題はあるものの、明かり障子に鍵はついていない。浅葱も浅羽もいつも華夜理が気付くまで障子を叩き、或いは声を掛けていたのは、彼らなりの配慮だ。
華夜理は物柔らかに微笑んだ。その微笑みの弱さに、二人は思わずどきりとした。
「ありがとう。嬉しい……」
浅葱は控えめな瑠璃色のセーター、浅羽は赤に幾何学模様のデザインが描かれたトレーナーを着て、それすら二人の個性を表わしている。変わらない従兄弟たちの在り様に、華夜理は安堵した。
「何かして欲しいことあるなら言ってみろ。本、読むか?」
浅羽の申し出に、華夜理は浅葱を見て言った。
「浅葱に、糸魚川さんのところに行って欲しい」
「華夜理……」
「ちゃんと二人で話して?両想いなんだから」
後半の台詞を言う時、華夜理の胸に鋭い痛みが走った。
(私と違って……)
但し華夜理が晶に向ける感情は恋ではないが。少なくとも本人はそう思っている。
「……だってよ、浅葱。華夜理は俺が見とくから、行ってこいよ。玉砕したら慰めてやる」
「玉砕って決めつけるのはまだ早いんじゃないかな」
「自信あんの?」
「まあね」
「手強いぜ」
「そうだね」
浅葱が部屋を出たのと入れ違いに、晶が入ってきた。
「何だよ。二人きりにさせてくれるんじゃないのか」
「狼と弱った華夜理を?まさか」
浅羽が晶を睨みつける。
「弱らせたのはお前なんじゃないのか」
浅葱が瑞穂の部屋の襖を叩いた時、瑞穂は予習の最中だった。
「はい?」
熱のある華夜理が、性懲りもなくまた、つまらないことを相談しにきたのであれば一喝する積りで投げた声は、少々棘を含んでいた。
「浅葱だよ、糸魚川さん。入っても良い?」
瑞穂の手からシャーペンが転がり落ちる。
「……良いわ」
瑠璃色のセーターを着た浅葱が部屋に姿を現した時、瑞穂の心が快哉を上げた。瑞穂の理性を全く無視して。
「勉強は今のところ、自分で出来るわ」
なのにそんな可愛げのない言葉が出てしまう。
美しい瑠璃色の鳥のような、綺麗な浅葱が、これでは呆れて羽を翻し、戻ってしまうのではないだろうかと、そんなことを恐れて瑞穂は顔を強張らせた。
「僕は勉強を見に来た訳じゃないから」
「じゃあ何をしに来たの」
「多摩川の児の、返事を聴きに」
晶は浅羽の追及に顔色を変えることもなく、ただ首肯した。
「そうかもしれない」
「弁解もなしかよ。桜子って女は華夜理よりも大事なのか?」
そこで少し、間が空いた。浅羽にとっても華夜理にとっても長い間だった。
「僕にとって華夜理よりも大事な女性はいないよ」




