表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
47/82

其ノ卌漆

 大正琴の音色が聴こえる。……一階の華夜理の部屋のほうから。

 晶は自室で教科書を開きその音に聴き入っていた。

 今、華夜理は龍と会っている。

 だからだろうか。これ程、琴の音が艶めいて聴こえるのは。

 龍の為に『水色のワルツ』を切なげに奏でているのだろうか。

 その考えは晶を憂鬱にした。




 龍からは甘い匂いがした。華夜理が焚く香の麝香(じゃこう)や白檀などとは違う、もっと軽やかな異国の香りだ。オードトワレだろう。龍らしい嗜みと言えた。それから外界で働く男の匂い。車や、街路などの。華夜理の頭の妙に冷静な部分はそう判じていた。実のところ、華夜理はパニック状態に陥っていた。大の男から抱き締められ、その熱の高揚振りに圧倒されて怯えた。


「嫌っ」


 華夜理が叫んで腕を突っ張ると、はっとしたように龍は腕の(いまし)めを解いた。

 華夜理は部屋の端、衣桁のところまで避難した。


「華夜理さん、すみません。つい、我を忘れてしまいました」


 我を忘れる?

 大人の男性がこんな子供の自分に?

 恋愛の熱が高じる余り?

 

 そんなことがあるだろうか。

 慎一郎の例もある。単に、欲情に駆られただけではないのか。

 華夜理の懐疑的な視線に、龍は多少なり、傷つく自分を感じた。

 傷つき、また、憤りを覚える自分を。


「貴方はやはり晶君が好きなのですね」


 声は低く、唸るようになった。

 華夜理はますます怯えた。


「違います、私は晶を好きだけれど、そういう好きではなくて」

「いいや、それこそが違う。貴方は晶君に恋愛感情を抱いている。恐らくは、晶君も」

「違います」

「なぜ認めないのですか?私を莫迦にして面白がっているのですか?」

「いいえ」


 龍がつかつかと華夜理に近づき、その手首を掴んだ。


「痛っ」

「私の母は学生結婚で私を生んだ。結局、相手には捨てられ、私を一人で育てた。水商売をしながら。……色んな男が母の元を訪れた。私は女性に対して懐疑的になった。華夜理さん。貴方はそんな女性の中でも特別だと思っていたのに」

「痛い、放してっ」


 華夜理が自由な片方の手で自分を束縛する片方の手を引っ掻くと、龍は手を放した。

 華夜理は、今度は文机のほうに駆け寄ると、大正琴を無茶苦茶に掻き鳴らした。


「華夜理さん……」


 龍が我に帰ったような顔になるのと、部屋の襖が開くのは同時だった。


「華夜理!」

「晶……」


 晶が手を伸ばすと華夜理がそれに自分の手を重ねた。

 

「……私の主張の裏付けですか?」


 龍が僅かに青くなった顔で呟く。

 晶は華夜理を背後に庇い、龍に告げた。


「申し訳ありません。華夜理は気分が悪いようなので、今日のところはお引き取りください」


 断固として譲らない口調に龍は、ゆっくりと頷いた。


「どうやらそのようだ。華夜理さん、乱暴をしたことを謝ります。……貴方が母と同じである筈がないものを。今日のところはこれで失礼します」


 経験を重ねた大人だけあり、精神の動揺を鎮めた龍はそう言うと、殊勝に退室した。





挿絵(By みてみん)





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ