其ノ卌壱
「柏手さんがね。華夜理ちゃんのこと、とってもお気に召したんですって」
応接間のソファーに座るなり、栄子は喜色満面で晶に言った。華夜理はその隣で当惑気味の表情だ。ここ数日、華夜理は晶との距離感が掴めないまま、また、瑞穂との会話もぎこちないままに過ごしている。心の中に暗雲が湧いて、二人に平静な状態で接することが出来ないのだ。今日は日曜日で病院も休み。朝から晶も瑞穂もずっと家にいて、華夜理は心の暗雲に処しかねていたところだった。
そこに、栄子の来訪である。
龍との初顔合わせの日にはあれ程、激怒していた彼女が、百八十度態度を変えて華夜理たちの前に現れたのだ。
今日は臙脂色の、身体のラインが露わになるワンピースを着て、首には細い毛皮を巻いている。白くてふさふさと柔らかそうだ。ストッキングは濃い紫の、扇情的な物を履いている。
野の草花が描かれたソファーに君臨する女王のようだった。
「この間は二人で逢ったんですって?」
赤い唇が蠢く。
「はい……」
晶の刺さるような視線を感じながら華夜理は頷く。
栄子は満足そうに何度も頷いた。
「進展していると思って良いのね。また逢う約束をした、と柏手さんも仰ってたわ」
そんな約束しただろうか?
華夜理は混乱する。晶の視線はますます冷たい。
晶に嫌われたくないのに、栄子は得々と龍との見合いを進める話を続ける。
華夜理の心中で憎悪が鎌首をもたげる。
「すみませんが」
長広舌を中断させられた栄子が虚を突かれた顔で華夜理を見る。
「今後、柏手さんとお逢いする積りは」
ありません、と言おうとして、華夜理は思い留まる。
――――――――晶の解放。
「……いえ、またお逢いすると思います」
栄子の目はいよいよ輝き、晶の眼差しには険が宿った。
栄子が帰って、ティーカップなどをトレイに載せていた華夜理に、晶が低い声で問い掛ける。
「一体、どういう心境の変化なの。柏手さんが好きになった?」
晶が乾いた、冷たい口調で問い掛ける。華夜理は歯を食い縛ってトレイを持った。
「華夜理。答えて」
「晶は、私を恋愛対象として好きじゃないでしょう」
「どうしてそう言い切れるの」
「もう、嫌なの。貴方を束縛し続けるのは」
ガシャーンとトレイが落ちる音。陶器の粉々になった欠片が、絨毯に星のように散った。
華夜理の顔の両側に、晶は手をついていた。花柄の壁紙に華夜理は押し留められる。
すぐ近くにある晶の端整な顔。憤りに、凍りついて。
「嘘を言わないで。糸魚川さんとのことでの、僕への当てつけだろう?」
「嘘じゃないわ。それに柏手さんは優しかったもの」
「華夜理は本当にそれで良いの?」
「ええ」
ええ、と答える時、華夜理は尖った硝子を幾つも呑み込んだ心地がした。
「……そう。じゃあ、華夜理の好きにすると良い」
極寒の声を聴かせて晶は華夜理を解放した。
華夜理も晶を解放しようとしている。その行為の正否も定かでないままに。