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初めて華夜理と晶と瑞穂が朝食を食べる朝。雰囲気は静謐だった。空調が穏やかに効く中、三者三様に食事を摂っている。
瑞穂は必要以上の言葉を発しない。ただ黙々と箸を動かす。華夜理の今日の装いは、芥子色の地に格子模様が織り出された越後黄八。帯は菊紋様の入った赤い絞り。
「糸魚川さん。鮭の塩麹漬けの焼き具合はどうかな」
「美味しいわ。焦げやすいでしょうに、綺麗に焼けてる。昨日の夕飯でも思ったけど、間宮小路君は料理が上手なのね」
瑞穂にしては長く喋ったほうだ。
「晶で良いよ」
「馴れ馴れしいわよ」
「共同生活者なんだから。華夜理のことは名前で呼んでるだろう?」
瑞穂はちらりと華夜理を見て、頷いた。
「じゃあ、晶君と呼ぶわ」
「うん」
微笑む晶の向かいには二人の少女。
その内の一人、華夜理は心ここにあらずといった風情でご飯を食べている。
何かあったのかと晶は思うが、瑞穂がいる今、詮索することは控えられた。
瑞穂は早々に登校したが、自宅療養の晶は家に留まり、華夜理に恩湿布を貼ってもらっていた。自分では貼りにくいだろうと、華夜理から申し出たことだ。だが華夜理のか細く白い手はぎこちない。ようやく貼り終えると、一仕事終えたとばかりにふう、と息を吐いた。
「華夜理。何かあった?」
「どうして?何もないわ」
華夜理の嘘が吐けない性分は美徳であり、損でもあった。
そんな華夜理の手首を柔らかく、しかし素早く晶は掴む。
「僕に隠し事はなしだよ」
「――――女の子だもの。隠し事くらいあるわ」
「華夜理」
「私、食器を洗ってくるわね」
華夜理は晶の追及を逃れるようにそそくさと立ち上がると、台所に向かった。
食器の一枚、一枚を洗いながら華夜理は考える。
(晶は大事な人だけど。それが恋なのかどうかは別問題だわ)
スポンジに洗剤を浸み込ませる。
(でも晶は私に柘榴を食べ欲しいと言った。あれは冗談?晶は失言だと言ったわ。でも晶は滅多に失言なんてしない。……あの言葉が本気なのだとしたら)
本気なのだとしたら。
晶は自分を――――――。
パリンという音に、座敷にいた晶は振り向いた。
「華夜理?大丈夫?」
「晶。ごめんなさい、お皿を割ってしまったわ」
「そんなことは良いんだ。怪我は?」
「人差し指をちょっと切っただけ」
「水で洗ってきて。見せてごらん」
華夜理は大人しく晶の待つ座敷に向かう。晶はまだ俊敏に動くことが出来ない。
赤い雫が滴り落ちる。白い指を彩るように。
晶が眉をしかめた。
「消毒して、絆創膏を貼らなくちゃ」
その時、華夜理の中にあったものが何だったのか、華夜理自身にも解らない。
固い蕾が膨らんで綻ぶように。
或いは柘榴が落下して潰れるように。
気付けば華夜理は言っていた。
「晶。舐めて」
晶が一瞬、目を見張る。
「……人の口は衛生的じゃないんだ。ちゃんと科学的処置をしなきゃ」
「舐めて」
その時、晶の目の前にいる少女が、ひどく蠱惑的であることに晶は内心狼狽した。
いつもの華夜理のする表情ではない。
いつもの華夜理は命じるように舐めろとは言わない。
しかしその居丈高を甘美と捉える自分自身がどこかにいる。
晶は鉄の錆びたような匂いに顔を近づける。
紅は、背徳の味がした。
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