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其ノ廿

 華夜理はずっと捜していた。

 ひどく大事な誰かがいたのだ。

 今までずっと手を繋いでいたのに、不意に姿を消してしまった。

 頭上には星空が広がり、そして目の前には襖がある。目に眩しい金色の。襖の前を金魚が浮遊している。襖の向こうが透けて、そこにも浮遊する金魚が見える。歪な美の空間だった。華夜理は襖を一枚、一枚開けながら、捜していた。



挿絵(By みてみん)




 とても大事な人なのだ。失くす訳には行かないのだ。持てる力の全てで、きっと捜し出してみせると思うのに、想う相手の顔すら朧で愕然とする。

 星が巡る。

 天の川がさらさらと流れている。

 金魚が泳ぐ。


 こんなに美しい景色なのに寂しく感じるのは、あの人がいないからに違いないのに。


 私に柘榴を食べさせたいと言った、あの人。




 浅葱の奮闘は目覚ましいものがあった。

 晶が危惧した通り、既に発熱した華夜理を家にタクシーで連れ帰り、屋内と車内の移動時は、ぐったりとして意識のない華夜理を抱きかかえ運んだ。家の中を、華夜理の部屋まで無事、彼女を運び込むと、布団を敷き、華夜理を寝かせた。

 それから予め晶に聴いていた場所にあった保険証、着替え等一式を揃えて再び病院に舞い戻り、晶に華夜理を寝かしつけた旨、伝えた。浅羽は華夜理を抱きかかえるという力仕事をした以外はほとんど役に立たなかった。

 それでも晶は二人に対して同様に謝辞を述べ、今後もよろしく頼むと頭を下げた。


 浅葱と浅羽は家に事情を伝えるべく連絡を入れてから、華夜理が一人いる家を再訪した。二人共、疲労はしていたが華夜理の状態が気掛かりだったのだ。

 早晩、話を聴いた晶の親がここに押し掛けるだろう。それまで、少しの間だけでも華夜理の安息をと願った。

 幸い、粥くらいなら浅葱にも作ることが出来た。

 華夜理は眠ったまま、ずっと起きない。

 時々うなされる彼女を、浅羽が見守っていた。



 ぱちり、と切れ長の目が開いたのは、夜の八時も回った頃だった。

 浅葱も浅羽もその場にいた。

「やっと起きたか」

「気分はどうだい、華夜理」

 口々に声を掛けられ、華夜理はまだ茫洋とした表情だ。

 

 ――――全て思い出した。


 あの星空の下で。金魚の舞う中で。襖を開けながら。

 誰を捜していたのか。


「晶……。晶は?」

「晶は病院だよ、華夜理。先生から説明は受けただろう?全治二週間の捻挫だ。軽傷だよ。数日の入院は避けられないけど、直に戻ってくる」


 極力、華夜理を刺激しないよう、物柔らかに浅葱が説明した。

 浅羽は自分には不向きなその役割を兄に任せて沈黙している。


「私、二人に迷惑を掛けたのね?」

 存外にはっきりした口調で華夜理が問う。

「そんなことは良いんだよ」

「どうせ暇してたしな」

「ごめんなさい」


 華夜理は努めて気丈に振る舞おうと浅葱と浅羽を見た。


「私は大丈夫だから、もうおうちに帰って?叔母さんたち、心配してるでしょう」

「こいつが」

 そう言って浅葱が浅羽を指差す。

「夜な夜な通ってたくらいだ。大丈夫だよ。うちには連絡を入れたし」

 浅羽の左頬は見事に腫れていたが、今の華夜理にそれを尋ねる余裕はない。

「人を不審者みたいに言うなよな」

「素行不良なのは確かだよ」

 浅葱も浅羽も華夜理の記憶の混乱をこそ心配していた。

 晶が交通事故に遭ったことが、彼女の症状に拍車を掛けるのではないか。

 それが二人の、そして晶の共通見解だった。


 華夜理が付書院の金魚鉢を見る。

 何の悩みとも無関係そうに泳ぐ金魚たち。

 悲しみとも痛みとも無縁に。

(良いね。お前たちは)

 勝手な羨望と知りつつ思ってしまう。


 みるみる内に華夜理の目から溢れ出た涙に、浅葱も浅羽も声を失くした。


「晶。晶――――……。お父さんと、お母さんみたいに、帰らなくなったら」

「ならないよ」

「たかが捻挫だろ」


 喘ぐように泣き声を洩らしたあと、華夜理は再び眠りに就いた。

 相当な高熱を発していることが、額に触れただけで判った。

 その夜、遅くまで浅葱も浅羽も家に居座り、氷嚢(ひょうのう)を作るなどして華夜理の看病をした。華夜理の記憶の混乱は起きなかった。起きて暴れる程の体力もなかったのだ。

 二人は終電ぎりぎりまで間宮小路家で粘り、後ろ髪を引かれる思いで帰途に就いた。


 皮肉なくらい、星が美しい夜だった。


 


 翌朝。

 寝ている華夜理は呼び鈴が連続して鳴る音に叩き起こされた。

 昨日の服装のまま寝ていたので皺のついたワンピース姿で、よろめくように廊下を伝い歩き、ようやく玄関に辿り着く。


「……どちら様ですか?」


 問いながら、華夜理には見当がついていた。


「私よ、華夜理ちゃん。熱があるんでしょう。看病に来たわ。開けてくれるわよね」


 不気味な程の猫撫で声で呼び掛ける栄子の影が、引き戸の()り硝子を透かして三和土に長く黒く伸びていた。



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