其ノ拾玖
浅葱は遊びに出ていた浅羽も呼び戻し、取るものもとりあえず華夜理から訊き出した、晶が搬送された病院に駆けつけた。
晶もだったが、華夜理も心配だった。両親を亡くした彼女のPTSDが、触発されている可能性を危ぶんだのだ。
果たして教えられた病室に入ると、そこには泣き疲れて眠ったのであろう華夜理と、彼女の髪を手で梳く晶がいて、大いに気抜けした。
晶は一応ベッドにいるものの、取り立てて重症な気配もない。
ただ、右脚が包帯で巻かれ、ベッドの上に放り出されている。
華夜理は椅子に座り、そんな晶の半身に被さる様子で寝ている。頬には涙の跡がある。散々、泣いたのだろうと察せられる。
「ふざけんなよ、お前。どんな大怪我かと思いきや」
「症状はどうなの?」
浅羽と浅葱は同時に声を発した。片や怒気を孕み、片や静かに分析する声音で。
晶が浅葱に端的に答える。
「全治二週間の捻挫。騒ぐ程のことじゃない」
今度は浅葱も声を険しくした。
「君にとってはそうでもね。華夜理にとっては驚天動地だよ。彼女が君とご両親を重ね合わせたことぐらい、解らない筈ないだろう」
晶は、今度は殊勝に頷く。
青い病衣を着た少年は、こんな時でも沈着冷静だった。まるで患者ではなく、彼自身が医師のようだ。
「ただの軽い接触事故なんだけどね。今まで散々、死なないでくれと泣かれたよ」
信号無視した車から華夜理を庇っての負傷だという。諸々の事情を鑑み、華夜理が狼狽えるのも泣くのも無理はなかった。
「いっそ死にかけたが良いよ、お前は」
「浅羽」
浅葱が窘める声を出すが、晶は苦笑しただけだった。
銀縁眼鏡の奥の目がすう、と細まる。
眼鏡が無事ということは、本当に軽い接触だったのだろう。
「問題はこの先なんだ。医者には全治二週間と言われた。しばらく僕は入院生活だ。その間、母たちが必ず華夜理の元へ行くだろう。今回のショックで、華夜理がまた寝込む可能性も十分考えられる。昨年の冬のように、きっと華夜理の世話をするという名目が使われる。それは、華夜理が寝込むと寝込まざるとに関わらず、だ。浅葱。距離的に厳しいことは承知で頼む。なるべく頻繁に、華夜理の様子を見に行ってくれないか」
「俺には一言もなしか」
「……出来るなら、浅羽。君にも頼みたい」
自分から声を掛けた浅羽が、下手に出る声で返されて、目を丸くする。
晶は自分の膝に突っ伏した華夜理の髪を優しい手つきでずっと梳いている。
浅葱たちに依頼する間も、片時も休めることなく。
その双眸が切なげに揺れる。
今回のことは自分の失態だ。
華夜理が冷えないよう、しっかりドレスコートを肩に掛ける。ラヴェンダー色の薄手のカーディガンだけでは心許ない。そう思ったのは自分なのに、今は誰より自分自身が、華夜理の心を損なっている。
繊細な硝子細工にひびが入った。
そのひびは、晶が入れたものだ。
そして何より罪深いのは、ひびが入った硝子細工の美しさの妙に打たれる自分もいることだ。
――――――自分の為に傷ついた華夜理は美しい。
そう思う自分に、晶は吐き気がした。