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其ノ拾参

 同じ呼び鈴の音でも、押す人が違えば、清らにも聴こえるのだろうか。

 華夜理が熱で朦朧とした頭で叔母・栄子(えいこ)の相手をしていた最中、鳴り響いた呼び鈴の音は、栄子のそれとは全く異なり、天使の楽の音のように優しく清らかに華夜理の耳に届いた。良いところを邪魔されたと栄子は不満顔になる。挙句、信じられないことを言ってのけた。

「放っておきなさいよ。きっと宗教の勧誘とか押し売りよ」

 黒いレースに飾られた、肉感的な脚を組み替える。

 居丈高だった。

 自分のことは棚に上げて、と流石に華夜理は呆れる。

 それに誰だかは解らないが訪問者を理由に、栄子を退散させることも出来るかもしれないのだ。華夜理に迷いはなかった。


「そんなことは出来ません」


 それまでずっと黙っていたことも手伝い、栄子は華夜理が喋ることを初めて知ったように驚きの表情で見た。

「――――ああ、そう。じゃあ、早く行きなさい」

 一瞬でも自分が動揺した事実を誤魔化す為に顎をしゃくり、極めて高慢に華夜理に指図する。華夜理は熱の中でも感じた怒りを呑み込み、応接間のマホガニーの扉を押し開いた。

 呼び鈴は栄子の時のように無暗に鳴らされはせず、華夜理が玄関に着いた時点で二回目が控え目に鳴った。どこかその音は心身の弱った華夜理を慰撫するようだった。

「はい。どちら様ですか?」

「僕。浅葱だよ、華夜理」

「浅葱……」


 華夜理は引き戸を急いで開けた。

 青いブレザー、赤いネクタイ、グレーのスラックス。

 明るい髪色に、耳に真紅のピアスを着けた従兄弟の姿を見た途端、華夜理は脱力して三和土(たたき)に座り込みそうになった。

 ノーブルな浅葱の出で立ちが、これ程、嬉しく頼もしく思えたこともない。

 浅葱が慌てて華夜理を支える。長い黒髪が青いブレザーに舞った。


「浅葱……。どうして」

「晶から頼まれたんだよ。テストが終わって数日、うちの学校は先生たちがテストの採点に追われて授業も早く切り上げられるんだ。生徒の息抜きも兼ねてるんだろうけど。それを知っている晶が、華夜理が風邪をひいてるから見舞ってやってくれって。そして――――――――」


 浅葱がちらりと、華奢だが派手なイタリア製のブランド物のパンプスを見る。

 色はボルドーに近い紫だ。


 応接間は玄関のすぐ左手にある。そこから苛立った栄子の声が飛んできた。

「華夜理ちゃん。お客様はまだお帰りにならないの?」


「……来て良かったみたいだね」


 双眸を細めた浅葱は、華夜理を優しく支えながら応接間に足を向けた。


「駄目よ、浅葱。……叔母さんが来てるの」

「だから行くんだよ」

 毅然とした声で浅葱が答え、そして扉は開かれた。

(この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ)

 イタリアの詩人・ダンテが著した叙事詩『地獄の門』の有名な銘文を華夜理は思い出していた。

 だが今は隣に、浅葱がいる。


 浅葱を見た栄子の顔は、あからさまに邪魔が入った、という感情を表わしていた。

 緑の密林は一度萎縮し、そして再び膨張した。


「月島の息子が、どうしてここにいるのかしら?さぼりは関心出来ないわよ」


 飽くまで上位に立とうとする栄子の態度に、浅葱は物柔らかに、しかし凛とした態度で応じた。


「今日は学校が早く終わったので、風邪をひいている華夜理を見舞いに来たんです」


 浅葱は〝風邪をひいている〟の箇所をゆっくり、強調して告げた。

 栄子が鼻白んだ表情になる。

 弱った華夜理に、晶がいない内に、これから更に見合い話を畳み掛けようとしていたところ、とんだ邪魔が入ったのだ。浅葱の当てつけも気に入らない。自分の行為の後ろめたさを僅かながら自覚しないでもないぶん、急に現れた少年の正当な物言いが栄子の神経を刺激し、気に喰わなかった。

 それに加え栄子の目には猜疑の色があった。もし浅葱が、華夜理と親密な仲であるならば、それは月島の家にこの間宮小路家の財産が乗っ取られることになり、そんな事態は到底、看過する訳にはいかないのだった。無論それは、栄子の欲に目が眩んだ視点における話である。


「華夜理ちゃんには私がついてるわ。貴方は早くお帰りなさいな」

「こんな……、」

 そう言って浅葱は胡桃材のテーブルに広げられた釣書を手に取る。

「一方的な話を病身の少女にまくしたてる人がですか?出来ない相談ですね」

 ぎらり、と栄子が浅葱を睨みつけた。

 それは密林の王者もかくやという迫力があったが、浅葱は動じない。

「月島が、間宮小路を好きにする権利なんてないわよ」

「ええ、その通りです。お宅同様に」

 浅葱が氷のように微笑んだ。

 

 アール・ヌーヴォー調のシャンデリアの牡鹿が、二人の対立を見下ろしている。


 怒りに震える栄子はそれ以上何も言わず、釣書を置いて荒々しく応接間を出て行った。玄関の引き戸が開き、閉まる音がする。

 その音さえ攻撃的に、華夜理を打った。びくん、と肩を竦める。


「華夜理。大丈夫かい?」

 栄子の去った方向をしばらく睨むように見据えていた浅葱は、華夜理に向き直ると労わりの声を出した。それは先程まで栄子に向けていた鋭利な声とはまるで違う。


 華夜理は上手く物事を考えられない状態だった。

 浅葱の心配する顔が、ぐるぐると視界を巡る。

 そのまま、華夜理は意識を手放した。




挿絵(By みてみん)





 一部始終を浅葱から聴いた晶は、憂いと怒りの混じった深い息を吐いた。

 もう夕暮れ時である。

 座敷の縁側との境目である障子は閉められ、日が沈む前の最後の光で白い障子を暖色に染め上げようとしていた。春が近いとは言え、まだ日暮れは早い。


「久し振りにお逢いしたけど、やっぱり相当、厄介な人だね。君のお母さんは」


 屋久杉の卓上に両肘をつき、晶は異論はないと頷いた。

「まさかとは思ったけど、僕の留守をついて、火事場泥棒のような真似をするとは」

両手は、額に重ねて置かれている。

 淡い暖色が詰襟を脱いだ晶の白いシャツまで届く。

 陽光に抱擁され、しかし晶は悩み深げに愁眉を開くことはない。

「家庭教師の先生に、一日いてもらうことは出来ないの?」

 浅葱がピアスを触りながら言う。

 心配事がある時の彼の癖だ。栄子の出現と華夜理の状態に、浅葱なりに心を砕いている証拠でもあった。

 浅葱が弄る真紅にちらりと目を遣り、晶が答える。

「安西先生は午後、他の生徒の受け持ちがあるんだ」

「じゃあ、他の先生とか。この際、家政婦さんでも雇ったら。この家なら大袈裟なこともないだろう」

「家になるべく他人を入れたくはないんだ」

「晶」

「……解っている。僕の、エゴだ。検討するよ、浅葱」

「何が華夜理の為になるか、晶なら見極められるだろう?」


 浅葱の口調は窘めるというより慰めるようで、却って晶は自身の小ささを意識した。それから己の中にある感情を精査する。

 弱った華夜理を颯爽と助けたのであろう浅葱。

 聡明で穏やかな浅葱。

 倒れた華夜理を部屋まで抱き上げて運び。


 ――――認めようと思う。


 自分は浅葱に嫉妬している。

 真紅の石の熱が身の内に脈打つ可能性。


(華夜理に柘榴を食べて欲しいと願う。失言ではなくあれは確かに僕の本心だったんだ)




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