世にも豆苗な蘖話≪モヤシバナシ≫
20XX年。
アメリカの有名な遺伝子組換えの権威を筆頭とする研究グループと、品種改良を主とする巨大農産品メーカーが提携し、夢物語と呼ばれた飢餓無き世界を創造する作物を誕生させた。
環境適応能力と栄養価が優秀である大豆をベースに、二百年近い遺伝子学の叡知をそのDNAの塩基配列に組み込まれた、最強の生命。
人が健康に生きるために必要な栄養素を全て含み、破格の生産力を秘めたその植物は『奇跡の豆≪ミラクルビーン≫』と商標登録され、試験的にとあるアフリカの砂漠地帯で栽培が開始された。
雨の降らないどんな荒野でさえ花を咲かせ、種子を結実させた。周囲のありとあらゆる植物を生存競争で蹂躙し、たちまち緑の平原を創りだした。
今まで食べ物に飢え戦争を繰り返していた人達が、数年で飢餓から抜け出した。そして今度は豊かさを求め、ミラクルビーンを栽培する土地を取り合い戦争するようになった。
先進国の一次産業者達は、この事態に怯えていた。ミラクルビーンが自分達の国で合法化されれば、自分の生計は成り立たなくなるだろうと。
しかし、すぐにヨーロッパの一部地域で非合法にミラクルビーンが栽培されていたことが発覚した。郊外にも大量繁殖するミラクルビーンが発見され、軍隊を挙げて処分計画へと乗り出した。処分の際に採れた豆を加熱処理し作られた食事は、軍の人達には大好評だったという。
それでも、最強の生命と評されるだけの事はあり、次の年には日本、アメリカ、中国、オーストラリアと世界各地で発見され、土地を蝕んだ。
栄養価だけでなく味も美味であり、もやし、豆苗としても利用出来る事がこの頃には世界中に広まっていて、各地で受け入れるべきだという声が強まっていった。一次産業者もミラクルビーンに乗り換える事で食い繋げたのは、一つの皮肉なのだろう。
そしてついには、農業はミラクルビーンがほぼ全てを占め、一部上流層だけが家畜の肉を味わっていた。それでも、寒冷地で育つように適応したミラクルビーンは肉のような食感を持っていたので、代用は効いた。「畑のお肉」という言葉の意味は、この頃から変わっていったという。
遺伝子を大幅に組換えたため、突然変異が多々見られた。背丈が5メートルにも達するものがあれば、一粒食べると一日中口の中に砂糖の味が残るとまで言われた非常に糖度の高いもの、世界一辛いと言われたブート・ジョロキアに匹敵する辛さを持ったもの。様々に分岐したミラクルビーンが調味料の原料となり、味のバリエーションは昔と変わらなかった。調味料といえるものは海水から作られる食塩以外は全てミラクルビーンと言ってもいい。コーヒーやお茶も全てミラクルビーンで再現可能だった。
誕生から百年も経つと、陸上の植物は全て多種多様なミラクルビーンに取って代わられた。観賞用植物や煙草といった嗜好品、建築材としてもミラクルビーンが使われた。
そして、悲劇はここからであった。
僅かな養分でさえ育ったミラクルビーンが、アフリカで全ての養分を地上から吸い付くし、育たなくなり始めたと報告があったのだ。
誕生初期から危惧されていた問題で、土地を回復させる植物の開発も行われていた。しかしミラクルビーンの生命力に対抗する品種をもう一度創るのは困難を極め、完成に到る前に世界がミラクルビーンに蝕まれていたのだった。いまや各国の研究機関に保存された植物の種子と苗が貴重なサンプルであり、研究どころでは無くなっていた。
打開策として海水を土地に撒く方法が為された。塩害にも強いミラクルビーンは、それだけでまた育ち始めた。川の水でも試されたが、上流のミネラル分さえ、鉄の層を貫くミネラルビーンの根によって搾取され切ってしまい、純水と化していた水がほとんどで、多くの川の水では以前程の生産力は無くなっていた。
貧しい国の沿岸部ではこの海水散布の措置が取られたが、内陸部では再び食べ物を求め戦争が始まった。
先進国ではほとんど生産されなくなっていた化学肥料が再び脚光を浴びる事となった。ミラクルビーンは、その生産性故単価が安い。広大な土地を持つ地主は肥料を使ったが、小さな規模の農家は危機に陥った。
かくして、貧困層は再び生まれ、飢餓は再び訪れたのであった。
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「...何てな」
月末の苦境を乗り越えるべく作った大量のもやしの炒め物を掻き込みながら、そんな妄想を膨らませる。
肝心のお腹は、少しだけ膨れた気がした。