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二人の思いはずっと

「…遅いな…」

 約束の時刻を一時間ほど過ぎたころ。いつもならその五分前には姿を現すはずの彼女の姿はそこになかった。

「うーん…電話もできないし、どうしたものかな…」

 先ほどから文章が思い浮かび続けていて、早く文字に起こしたい衝動を止められない状態だ。

「もどかしすぎる…」

 車いすに座ったまま、その文章を何度も言葉にした。しかし、やはり文字に起こさないと満たされない。

 そんな時だった。

《ピンポンピンポンピンポンピンポン》

 けたたましくベルが鳴り、何事かと玄関のモニターを見ると、そこには、血相を変えた編集長がいた。

 普段の彼からは考えられないような姿に、ただ事ならぬ気配を感じ、急いで通話を開始する。

 手も足も動かない僕のために、センサーを付けてもらっているので、モニターのすぐ近くに移動するだけで彼の荒い息遣いが聞こえてきた。

「どうしたんですか?」

《急いで病院に行くぞ!》

 ただそれだけを聞いて、僕は合いかぎを使って入ってきた編集長に、家から車で十五分ほどの位置にある大学病院につれていかれた。


 いつも通りの朝。

 今日もまた彼の小説の代筆をしに行くための準備をして、朝食を食べたのちに抗がん剤と痛み止めを服用して外に出た。

「今日も暑いわね…」

 こんなことがあと何回いえるだろうか。

 最近は少し痛みが薄れて、前までよりも楽になり、それに伴って彼の小説の代筆も順調に進んでいた。

 もう中盤も終わり、今日からは第四章、終盤戦だ。

 何とかこの体が出版まで耐えられることを喜びながら、改札につき定期券をかざす。

 と、その時だった。

急に視界が揺らぎ、体を支えられなくなった。

「…あ…れ?」

 おかしい。さっきまで調子が良かったはずなのに。

 そう思えたのもつかの間。

 痛み止めが突然切れたのか、胸部から下腹部にかけて、強く重い痛みがおそってきた。

「ぐ…か、はっ…」

 もう立っていられないほどのそれは、私から痛覚以外の感覚を次々に奪っていった。

「大丈夫ですか!?」

 声を掛けられて、初めて自分が膝をついて倒れているのだと分かった。

「だ…いじょ……」

 だんだん意識が薄れていく。周りのものが見えなくなり、声も聴き取れなくなっていく。

 すぐにでもなくなりそうな意識の中、思い浮かんだのは、彼が物語を紡ぐ姿で―

「…ご………め…………ん……ね…」

 そのまま、私の意識は深い闇に落ちていった。



「あと一か月。それだけ持ったら、奇跡です」

 医師からの言葉に、僕は耳を疑った。

「…え?」

「ですから…」

 頼むから、嘘だと言ってくれ。嘘だ、嘘なんだろ?嘘、嘘だ、嘘だ…!

「彼女の余命は、持ってあとひと月です」

「…う…そ……ですよね…?」

 医者は僕の問いかけに、沈黙を返した。

 後ろに立っている編集長を見ると、まるで予期していたかのような、そんな表情だった。

「…知っていたんですか?」

「ああ」

「どうして、教えてくれなかったんですか?知っていたら、代筆なんてたのまなかったのに。治療に専念してほしかったのに…」

 編集長を責めるつもりはない。けれど、どうしても口調がそうなってしまうのは、やはり、僕が気持ちをうまくコントロールできないほどに動揺してしまっているからなのだろう。

「だからだよ」

 僕の問いに、編集長はただそれだけを返した。

「…どういうことですか?」

「彼女の病気のことを知ったら、君は小説を書かないどころか、創らなくなるだろう?でもそれは、彼女の望むところではない。彼女はただ、君の創る物語を完結させてほしいんだ」

「そんな…」

 衝撃。それ以外の何物でもなかった。まさか、彼女がそんな状態で僕の代筆をしていたなんて…。

「それで」

 おもむろに編集長が口を開いた。その声は、どうしてか自然に僕の耳に入ってきた。

「君は、どうする」

「…僕、ですか?」

「ああ」

 なんのことか、わかっていたが、わかりたくかくて。僕は返事をせずに、じっと間を開けていた。

「…わかっているのだろう。彼女とのことだ」

 見かねた編集長が、嘆息しながら僕に言ってきた。

「彼女は、こんなになるまで君と書き続けた」

「…わかっています」

 逃げたい。

「君は、それを知らなかったとはいえ、彼女とともに書き続けた」

「…わかっていますよ」

 逃げたい。逃げたい。逃げたい。

「それでも、君は今さら、逃げるというのか?」

「わかっていますよ!」

 逃げたい。逃げたい。逃げたい。逃げたい。逃げたい…!

「そんなことはわかっていますよ!僕だってそんなことが分からないほど子供じゃありませんよ!」

 怖い。逃げたい。怖い。逃げたい。怖い。逃げたい…!

「でも、でも…!」

 いなくなるのが怖い。逃げたい…!

「もし!もし彼女がこのまま僕の代筆を続けたとして!それで、物語が完成したとします!

 でも!その物語が製本されるとき!彼女はもうこの世にはいない!」

 この間、編集長は口を閉ざしたままだった。

「そんなの、耐えられるわけがない!僕はなんのために、物語を創った来たことになるんだ!なんで小説を世に出しているんだ!」

 胸の中の叫びを、すべて外に出しきって、肩で息をする。その時。

「ふざけるなよ!」

 唐突に、編集長が閉じていた口を開いた。

「お前が耐えられるわけがない?彼女がいないなら何のために書いていたかわからない?甘ったれんな!」

 僕を叱咤する編集長は、今までで初めて見た。彼はこんなに激しくなる人間だっただろうか。

「彼女が今まで、なんのために、どんな思いでお前の物語の代筆をやってきたと思ってるんだ!お前がつらいだぁ?そんなの、ただの甘えだろ!」

 編集長の言葉。その一つ一つが、僕の怖いという感情を別のものに変えていく。

「お前の状況もよくわかってる!首から下が動かなくて、小説が書けない!けど書きたい!

 じゃあ、その矛盾した思いを実現させてくれたのは誰だ!そんな彼女の思いを無視して、お前は小説を捨てるのか!」

「…わかってるよそんなこと!」

「いや!わかってねぇ!」

「わかってる!」

「じゃあなんで、彼女が死んだらお前が小説を書く意味がなくなるんだ!」

「そんなの…!」

 言われて、気づく。

 その時の僕にも、物語を書く意味も、創る意味も、彼女の思いを知っていれば、ないわけがないということに。

 それが分かって、僕は言葉に詰まる。

「やっとわかったか」

「はい…あの、先生」

 目が覚めた僕は、すぐそこで静かに座って僕らを見ていた医師に、落ち着いて、気持ちをそのまま伝える。

「彼女に会わせてください。できれば、パソコンを持ったままで」



 目が覚めると、そこには白が広がっていた。

 白、白、白、白…

 あたりを占める、闇に覆われた白の視覚情報の次に、嗅覚情報、薬のにおいがやってきて、ここが病院だということに気づき、そこでようやく、自分が倒れて搬送されたことを思い出した。

「…私」

 もう長くないのはわかっていた。けれど、あと少しでよかった。あと一か月、彼にばれないように過ごせれば、私は彼の作品を完成させられたはずなのに。

「なんで、こんな時に…」

 いつかこんな時が来るということはわかっていた。心の準備もできていた、はずなのに。

 いざそうなってみると、準備していたようにはならず、ただ倒れたことへの後悔や不安が募っていくだけだった。

《コンコン》

 そんな時、私のいる個室のドアがたたかれ、来訪者の存在を告げた。

「どうぞ」

 私がそう答えると、ドアが静かに開いた。そこには、彼がいた。

「君…どうしてここに…」

「編集長に連れてこられました」

 はっきりとそう告げる彼の目には、泣きはらしたような跡が残っていた。

「…ごめんね」

 とっさに出た言葉だった。

 それを聞いて彼は、静かに口を開いた。

「もうそれはいいです」

「そうだよね…もう遅いよね…」

 彼は、私のこれを知ったら、もう物語を創るなんて思わないだろう。私は深く絶望していた。

「…何を言っているんですか」

 だが、その先の彼の言葉は、私の予想していたものとは違った。

「え…?」

「なんで遅いんですか。まだ、ここからクライマックスですよ」

「どういうこと…?君はもう、物語は」

「だれがもう創らないといいましたか?」

「まさか、創ってくれるの!?」

 黙って首を縦に振る彼。まさか、私がこんな状況だと知っていても、まだ私に書かせてくれる。そのことが、うれしくてたまらなかった。

「では、このパソコンを取ってください。先生には許可をもらっていますから、消灯時間は気にしなくて大丈夫です」

「…うん!」

 すぐに彼のもとからパソコンを取り、近くにあったコンセントに充電ケーブルを差し込む。

 ここ半年ほど打ち込んできた彼のパソコンのパスワードを入れ、ファイルを開く。

「…いいですか?」

「オッケー。いつでもどうぞ!」

 瞬間から彼の物語が紡がれていく。私はそれを文字に起こし続けていく。

 彼の物語と、私の打鍵。それだけが響く病室は、どこか落ち着ける空間だった。



「…変わったね」

 編集長に叱咤された後、僕は彼女のもとで日付が変わるまで物語をつづり続けていた、そのあと。

 パソコンを片付けながら、彼女は僕にそんなことを言い出した。

「変わった?僕が?」

 僕が聞くと、彼女は「ううん」と首を横に振った。

「確かに君もだけど、私が変わったと思ったのは」

 そういってパソコンを指さす。

「…買い替えてませんよ?」

 素でそう返すと、彼女は噴き出したように笑った。

「違う違う。パソコンじゃなくて、物語」

「…変わりましたか?」

「君は無意識かもしれないけどね。私にはよくわかるよ」

 感慨深そうに彼女は僕にそう伝えた。

「どんな風に変わりましたか?」

「そうだねー…この前までよりも、迷いがないかな」

「前の僕には迷いがありましたか?」

「うん」

 即答だが、しかし僕にはその自覚がなかった。

「なんというか、なんのために書いているのか、っていうのが、曖昧だった」

「なんのために書くか…」

 反芻にうなずき返す彼女。

 彼女の言ったそれは、先ほどの出来事を思い出させるものだった。

「…何かあったの?」

 僕の様子がおかしいことに気が付いたような彼女。

「いいや、何もないですよ」

 残り少ない時間くらい、僕はかっこつけたかったのかもしれない。いつもはしないような嘘を彼女にした僕は、自分でも少し驚くぐらいあっさりとしていた。

「それなら君は、私が思っている以上に成長していたのかもしれないね」

 そういってほほ笑む彼女に、僕は少しだけどきりとしてしまった。



 僕が物語を書き切るころには、彼女はもうこの世にはいないだろう。


彼の物語が世に出るころには、私はもういないだろう。


病院の一室には、僕の紡いだ物語と


私の奏でる打鍵だけが響く。


彼女がいなくなるのだとしても、


私がいなくなるのだとしても、


これから先、二人で作ったこの小説は、ずっと―



―二か月後


《さぁ、今回も話題作を紹介していくよー!今回取り上げるのは、これ!「かすれた紡ぎと最後の小説」!

 この物語は、とある編集者と作家の、悲しい、それでいて美しい物語!

 物語のあらすじは―》


                 fin


お久しぶりです。


忙しくて定期更新から大幅に遅れてしまったことをお詫びいたします。


次回作の投稿は、未定です。恐らく九月中にはできると思うのですが…


そんなこんなで、これからよろしくお願いします!

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