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~前編~

「…え?」

 その時私は、耳を疑った。医者の言った言葉は、私にはそのくらい衝撃的で、信じたくないものだった。

「ですから…」

 医者も言いづらそうに、私をしっかりと見て言う。

「余命、半年です」

 二十七歳の夏、私は、人生の終わりを宣告された。



「…え?」

 目を疑った。青信号で渡り始めた横断歩道。僕の眼前には、迫りくる、勢いを落とす気配のないトラック。

「危ない!」

 どこかから声がするが、僕がその言葉に反応する前。

「…!」

 そのトラックに、思いっきり撥ねられた。



「…もう、小説は書きません」

 真っ白な病室に一輪の向日葵、僕の好きな花だ。そんな空間で、僕は担当の女性編集者に告げた。

「そんな…」

 この世の終わり…そんな表情をする彼女は、今までに見た事が無かった。

「冗談、だよね?いつもの、締め切りに間に合わないとか、そう言うのだよね?」

「…」

 僕は答えない。それは、もう告げてあるから。

「…どうしても?」

 その問いに、頭を縦に振る。それを見て、彼女は泣きそうな顔をしていた。

「…また、明日も来るね」

 それだけ言って、ベットの横の椅子から立ち、そっと僕から離れていく。

「…また、明日」

「はい」

 病室の扉を閉じる前に、隙間から手を振ってくれる。いつもの、彼女のくせだ。

 けれど、僕はそれに答えて、手を振り返す事は、もう、できない。

 ドアが閉まり、静かになる。すると、突然涙があふれてきた。

「…なんで、だよ…僕は…」

 ぼろぼろとこぼれていく滴。だが、僕にはそれを止める事も、ましてや、それをぬぐう事すらできない。

 もう、自分で歩くことも、小説を書くことも、叶わないのだ。


「そうか…」

 編集長に彼の状態を伝えると、悲しそうな、残念そうな声を漏らした。

「…君が言っても、駄目なのか?」

 最後の望みと言わんばかりに、私に問いかける。

「…何とか、書いてもらいます」

 精一杯の力で、私は言った。それを聴いて編集長は、深くうなづきながら。

「うむ…無理だけは、するなよ」

「はい」

 それだけ言って、私は自分の席に戻った。途端に、目に涙があふれてきた。

「…駄目。泣いちゃ、駄目」

 私は、そう自分に言い聞かせる。だって、彼には、溢れだした涙をぬぐう事すらできないのだから。


 ―末期がん。

 医者にはそう言われた。

 詳しくは気が動転していたので覚えていないけれど、どこかにできた小さながんが、他の部位に転移して、もう手がつけられないらしい。


 ―脊椎損傷。

 医者にはそう言われた。

 トラックに撥ねられた時に、あちこちの神経やら脊椎やらが粉々になって、首から下が完全に動かなくなって、半寝たきり状態になったらしい。


「…今日もまた、来たんですか」

 彼女の姿を確認するなり、少しきつめに言い放つ。もう来ないでほしかった、そんな気持ちを込めて。

「うん…君に、書いて欲しかったから」

「だから、僕はもう、書かないんですってば!」

 つい、大きな声で言ってしまう。彼女はそこに立ったまま、じっと僕を見降ろしていた。

「…確かに、君は書かないし、かけないかもしれない」

 静かに言い放つその言葉には、どうしてか重さがあった。

「…何が言いたいんですか?」

 おもりをどかすように言うと、彼女は再び口を開いて言う。

「君は、書きたいのに書けない。違う?」

「!そんな、事は…」

 咄嗟に否定しようとする。けれど、彼女にその先を塞がれる。

「なら」

 少しの間。

 何かが流れ、そして動き出すような空間ができた。

「なら、どうして君の頬は、涙にぬれているの」

 言われてはっとする。いつの間にか頬に涙が一筋流れていた。

「これは…」

「君が、書かないって言った時に、流れたんだよ」

「そんな」

 一拍。そして

「私が書く」



「…代筆?」

 お見舞いから戻って編集部。

「はい」

「ふむ…」

 嬉しいような難しいような。そんなどっち付かずの表情を、編集長はしていた。

「書くのが彼ではなく私、と言うだけです。もちろん、物語は彼に創ってもらいます」

「ふむ…その小説自体は、彼の物、と言うわけか」

「もちろんです」

 即答すると、編集長は顔をあげ、私の目をしっかりととらえた。

「…わかった。ただ、君はそれに耐えられるのか?」

「…大丈夫です」

 編集長には私の病気の事は伝えてあるし、それを分かっていて働かせてくれている。なので、当然心配もその事だろう。

「彼の執筆は主に夜だ。君に、それが耐えられるのか?」

「できます。何でも」

 根拠はない。けれど、私はそう確信していた。

「…わかった。やってみてくれ」

「はい!」

 そう言うなり、私は編集部を駆けだしていた。



「…本当に代筆してくれるんですか」

 病室。僕の前には、ノートパソコンを前にして、執筆に態勢に入っている彼女がいた。

「もちろんよ。編集長のゴーサインも出たし」

「…良いんですか?本当に」

 正直、本当にやってもらえるとは思っていなかった。彼女の負担になるし、何より、僕の執筆時間は夜がメインだったから。

「もちろん。私から頼んだ事なんだから」

 そう言って、彼女は明るいままノートPCに向かった。

 そうして、二人だけの執筆の時間が始まった。



「…違うな」

 ふとつぶやく。

「どこが?良い話だと思うけどな」

 彼女はそう言うが、僕はこの終わりに納得がいかなかった。

 僕が物語を紡ぎ、彼女が小説に起こしなおす。そんな事が続いて一カ月。

 彼女も僕もこの執筆体系になれたので、そこそこのスピードで書き終えた。が、読み直したが何かが足りない。

「…中盤だ」

 僕は、彼女がスクロールしていく中で、ある部分に目を付けた。主人公のライバルキャラなのだが、キャラが濃すぎたせいで後々不自然な感じになってしまった。

「ここから書き直す」

「え、本気で?」

「もちろん」

 このまま、こんな物語で出すわけにはいかない。まだまだ面白く、上を目指せるのだから。

「…分かった。書きなおそう。でも、これもこれで記録しておくからね」

「それは問題ない」

 彼女はそれを聞いて、その文書を保存し、また新たに書き始める。

 僕が紡ぎ、彼女が描くその世界は、どこまでも上を目指し、どこまでも楽しくなっていく。

 気が付くと、七時間が過ぎていた。彼女は面会時間ぎりぎりまでいて書いてくれた。

「…どう?」

 最後に、今日の分の小説を僕が読み直して、このまますすめるかどうかを確認してきた。

「…やっぱり、何か違う…」

 だけれども、僕はそれに満足なんかできなかった。どうしても、もっともっと上を目指せる。そんなきがしていたのだ。

「そう…じゃあ、また明日持ってくるわね」

 そう言ってノートPCを閉じ、鞄に仕舞う。そこで彼女は何を思ったか、僕に向けてこう言ってきた。

「君のうちで書こう!」



「彼を退院させる?」

 耳を疑うように編集長は言う。

「はい。その通りです」

「本気、のようだな」

 編集長は真っ直ぐに私の目を見て言った。本当に私がそれをする意味を持っているのかを確かめているようであった。

「もちろん本気です。彼に、今までで最高の作品を書いてもらうためなら、湯水だって被りますよ?」

「それは心地よさそうだな」

 ほんの冗談で言ったが、編集長は表情を柔らかくしてくれた。硬いままでは良いものも良くはならないから。

「ふむ…一応、きちんとした理由があるのだろうが、念のために説明してもらおうかな」

「はい」

 一拍あけて、話し始める。

「まず、彼は行き詰っています。思いつく事は思いつくのですが、いつも読み直しては没にしています。この間いい感じで書けた作品も、彼の判断で没になりました。このままでは小説は私のいる間に…いえ、期日までに上がりません。なので、私は今までとは何が違うのかを考えてみました」

 ここでまた一つ間を開ける。含みを持たせるでも何でもなく、ただ少し、はっきりと言うための空気がほしかっただけ。

「それは、環境だと思いました」

「環境か」

「はい。環境です。なので、彼を家に戻す事にしました」

「ふむ…彼の容態だとは考えなかったのか?」

「もちろん考えましたし、そこが一番大きいでしょう」

 それは一番悲しい事実でもあった。

「だけど、それは今ではもう覆せません。どう祈っても、どうあがいても、もうどうにもできない事です」

「まぁ、そうだろうな。我々は医者ではないし、例え医者でも治す事は困難だろう」

 それは紛れもない事実で、涙するべき事。ただ、涙をぬぐう事すらできない彼を考えて涙するのは、ぬぐう事の出来る私たちがやることではない。一番泣きたいのは、彼のはずなのだから。

「なので、一番変えられるうちで効果のあるものをと」

「それで、退院か」

 うなづく。だが、ここまで来ても編集長は難色を示しているように感じた。

「何か心配事がありますか?」

「うむ…まぁ、な」

「彼についてですか?」

「いや、心配なのは君だよ」

 顔をあげて私を見ながら言う編集長は、本気で私を心配するような顔をしていた。

「私ですか?」

「ああ…痛むのだろ?」

 何の事を言っているのかはすぐにわかった。末期がんだ。

 がんは普通、痛みを伴わないものがほとんどだ。が、それは初期から中期の物で、末期になるとそうもいかない。だから、その事を言っているのはすぐに察せた。

「…確かに、痛みます。抗がん剤なんかじゃおさまらないし、痛み止めもあまり聞きません。本当なら入院しているレベルである事も承知しています」

 そんな事はわたしが一番良く分かっている。でも。

「私の感じている痛みなんて、彼のそれとは全く比べ物にすらなりません」

 強く、そう言った。

「彼の抱える痛みは、私のように痛み止めや抗がん剤では収まらないものです。感覚が無いのに、涙をぬぐう事すらできない。なのに。胸の痛みだけがある。その苦しみは、私達には到底分かりません」

「…」

 私が話している間、編集長は、ただただ私の顔をじっと見つめていた。

「そんな彼が、痛みをこらえながら必死に物語をつづっているんです。もう小説を書くことはできないと知りながらも、綴り続けているんです。そんな彼のためにできる事があるのなら、私はこの身が痛みに苦しんでも、彼の綴る物語の作者になります」

 私の全部。気持ちの全てを吐き出した後、編集長はじっと考えるように、あごに手をこすっていた。

 じっくり一分ほどの時間を開けて、編集長は口を開いた。

「…君の気持は、しっかりと受け取った。だが、承諾する前に、一つ質問をさせてくれ」

「何でしょう」

「…君は、どうしてそこまで彼にこだわるのだ?他にも君の担当していて、良い作品を世に出してきた作家はいただろう。どうして、最後の仕事が彼なのだ?」

「…分かりません」

 それは不自然で、あいまいで。明確な理由なんてなかった。だが、私は彼に、彼だからこそ書いて欲しかった。私の最後の仕事のパートナーになってほしかった。そう、この気持ちを表現するのに、ぴったりの言葉があった。

「ただ、好きなんです。彼の作品が」

「…そうか」

 他に細かな理由はあるかもしれない。例えば、彼の怪我とか。

 だけど、それだけじゃ、彼じゃなくても他にいるかもしれない。だけれども、私は彼が良かった。そんな、抽象的ではっきりしない気持ちが、私を一番ひっぱっている。

「分かった。許可しよう。…病院の方に確認は取れているのか?」

「はい。ここに来る前に」

「そうか」

 それだけ言うと、編集長はPCに向かいなおり、作業に戻って行った。



「と、言うわけで、今日から退院して、家で小説を書いてもらう事になったから、よろしくね」

 そう言って彼女は僕の隣に座り、ノートPCを開く。

「本当にやってのけるとは…駄目もとだと思ってたのに…」

「ふふふ、私はやる時はやるの」

「その本気を他で使えば、彼氏の一人や二人くらい…」

「何か言った?」

「いえ、何も」

 彼女から怖いオーラを感じたので、冗談を言うのをやめた。彼女とは小説家人生を共に歩んできたから、その分の怖さも知っている。

「…ふふ」

「?どうしたんですか?何か面白い事でも…?」

「あ、ううん。何でもないの、何でも」

「そうですか…?」

 突然笑い出すなんて、何かあったとしか思えないのだが、彼女が話したがらないのであれば、無理に聞く事もないだろう。

「じゃあ、執筆に入りましょう」

 彼女のその声で、僕は物語を紡ぎ始めた。



 危なかった。つい笑いが漏れた時はどうしようかと思ったわ。

「…彼女は、頬を真っ赤に―」

 彼の紡ぐ世界、紡ぐ言葉、紡ぐ物語を一言一句違わずに入力していく。今まではそれだけだった。けれど、

「…そして、そこで空飛ぶペンギンが―」

「ストップ。それは荒唐無稽過ぎ」

「えー…なんて、冗談です」

「もう、間違えて入力しそうになるからやめて」

「はーい」

 そう言ってまた物語を紡ぐ。入院してからなかなか無かったことだ。

 以前はいつものように言っていた冗談を、事故の後からほとんど言わなくなったのだが、家に帰った途端に、いつも通りになった。

 この匂い、この空間、この状態、この位置、この傾き。

 全部のこれが、彼にいい影響を与えている。それは一目瞭然。火を見るよりも明らかだ。

「…本当に、小説家って不思議な生き物」

「それで―何か言いましたか?」

「ううん。何でもないの。気にせずに続けて」

「はぁ…そして―」

 彼に聞こえないように言ったつもりが、思ったよりも声が大きかったみたい。

 こんな、幸せ―とは少し違うけれど、楽しい時間が、笑顔の時間が、ずっと続けばいいな。

 腹部の痛を感じないようにしながら、私は、そんな絶対に叶わない願いを、天に、小説にかけていた。



「…何だったんだろう」

 彼女が帰ってからしばらくして、僕は介護の人がトイレに行っている間に考え事をしていた。

 突然に笑い出した彼女は、一体何を考えていたのか。それが気になって仕方なかった。

「いつも通り、だったよな、僕は」

 いつも通り。そう、いつも通りだ。なのに、彼女は幸せそうな笑顔をうかべていた。

「…いつも通りって、そんなに幸せなのか…」

 これまで僕は、いつもどおりじゃない事、例えば、ホームレスとか、孤児とか。そう言うのが不幸なだけで、僕たち―以前の僕たちのような人は、普通なんだと、いつも通りなんだと思っていた。

 けれど、もしかしたら―

「お待たせしましたー」

 介護人がトイレから帰ってきて、僕の思考は中断させられた。

 


「それで、進みはどうだい?」

 定例となった編集長への報告。

「はい。大体予定通りです。この調子なら、次の刊…おそらく最終回ですが…は、三か月以内には上がります」

「そうか…間に合いそうか?」

 編集長は、私を心配そうに見ながら言った。なので、その言葉が、締め切りに、ではない事はすぐにわかった。

「はい…私も、読めるはずです」

「なら良かった…彼には、君の事は」

「伝えていません」

 少し驚いた顔をする編集長。

「なぜ」

「彼には、小説に…いえ、物語を紡ぐ事に集中してほしいからです」

「…だが、それは、彼をだましている事にならないか?」

 的を射た質問に、私は少し言葉に詰まってしまった。

「…どうなんだね?」

 私に答えを強制するかのように聞いてくる編集長。もちろん、私を責めているのではないと分かっている。

「…はい」

 だが、それとは裏腹に、私の声は罪悪感にまみれ、小さくなっていた。

「ふむ…そんなになるなら、彼に話してはどうなんだ?」

「それ駄目です!」

 ついつい大きな声を出してしまって、周囲の視線を集めてしまった。けれど、それは関係ない。誰が何を言おうと、これだけはハッキリさせておかないと。

「彼は、私の病気の事を知ったら、絶対に気を使います。そして、物語は完成しなくなります。それだけは…それだけは、絶対にだめなんです!」

 自分でも、自分の剣幕がいつものそれからは想像もつかないほどの物になっている事が分かるほどに大きな声をだしてしまっていた。

「…そうか」

 編集長は、納得したような、けれどどこか残念そうな表情をしていた。

「…君がそこまで言うのであれば、今は彼に言わなくても良い。だが、書き終わったら伝えるのだぞ?」

「…はい。そのつもりです」

 書き終わるまでの三か月。私は、罪悪感から来る痛みと、病気から来る痛み。精神と肉体の両方の痛みに耐える。そんな覚悟を固めなおした。


どうも!はじめましての人が多いと思います、亜愛葵です!


今作は、時間の関係で前編と後編に分けての投稿となります!


後編の投稿予定は一か月後です!もし気に入ったり、続きが気になった方は、また一か月後に検索していただけると幸いです!


では、また一か月後にお会いしましょう!

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