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*09*

 『いつまで……一緒にいられると思う?』

 あの時は知らなかったの。

 まだ、知らなかったの。

 私がここからいなくなる事。

 『ずっと、傍にいたいよ』

 私が言った言葉なのに……。




*9*




 梅雨の中休みというのは、非常に暑い!!

 エアコンかけていようがなんだろうがまったく関係ない。

 「今日は本当に暑いなぁ」

 上司の大田さんが汗を拭きながら外回りから戻ってきた。

 「土産買ってきたんだが」

 そう言って大田さんは美味しいと評判のケーキ屋さんの大きな箱を掲げた。

 おおっ!

 瞬間部署内の空気があきらかに変わった。

 なんて気前がいいんですか!!

 皆、一度仕事の手を止めた。

 「私お茶入れてきますね。コーヒーの人何人ですか?」

 私は手早く、コーヒーと紅茶、それから日本茶に麦茶の人数を数えた。

 川本さんとK-ユニットの社員である江藤さんも手伝ってくれて、あっという間に準備ができた。

 各テーブルに配り、

 「カップとお皿とスプーン、終わったら桶に入れてくださいね」

 部署の入り口の小さな物置用デスクに少しだけ水を張った桶を置いておいて、私達も席に戻った。

 スタンダードなショートケーキはもう冷たくてとろけそうなほどおいしかった。

 こう、ひと時の幸せといいましょうか。

 さっきまでひたすらパソコンと格闘して、だんだん頭が疲れて、ちょうど甘いものを食べたいピークだったこともあって、その糖分が頭にも染み渡っている感覚が本気でした。

 「ごちそうさまでした」

 私は上司にお礼を言って、そして上司の空いたコップを片付けた。

 ついでに先輩達のデスクも回って、コップやお皿を片付ける。今特に抱えている仕事がなかったので、私が後片付けの一切を引き受けた。

 しかし、20人分近くのコップとお皿はさすがに非常に重い。

 何回か分けて運ぼう。

 とりあえず一番重い桶を運ぼうとしたら、横から伸びてきた腕にひょいっとそれを取り上げられた。

 え?

 見上げると、彼がぶっきらぼうを装って立っていて、私に顎で扉を開けって示した。どうやら運んでくれるらしい。

 とりあえずありがたかったので私も残りのお皿を持って扉を開くと、一緒に並んで廊下を歩いた。

 「ありがとう。助かりました」

 お礼を言いつつ並んで歩くと、彼の口元が少し緩んだ。

 給湯室のキッチンにそれを置いてもらう。私がもう一度お礼を言うと、彼は別にと鼻で笑った。

 それにしてもやっぱり多いな。

 私はスポンジに洗剤をつけて軽く泡立てて食器を洗いはじめたのだけど、でも、ふと違和感を感じて背後を振り返った。

 何で、まだいるんですか?

 給湯室の扉に背を凭れかけさせて、彼が私を見つめる。

 な、何……?

 見られていると気付いたらとたんに緊張した。

 私は恥ずかしさをかみ殺しながらコップを洗う。

 「仕事、いいの?」

 尋ねたら彼はまた別に、って笑った。

 別に、別にって……貴方、どこの女優ですか。

 「時間あるのなら、コップ拭いてくださいな」

 私が引き出しの中から清潔な布巾を示すと彼は笑って頷いて、コップを拭き始めた。

 「こういうの初めてする」

 しみじみといいながら。

 ……そうでしょうねぇ。あなたはかなりのお坊ちゃまですもの。

 自分の部屋の掃除すらしたことないのだろう、いまだに。

 普通に家にメイドさんがいる家って、彼の家ではじめて見たし。

 「よかったね。これもなかなか大事なことですよ」

 私が言うとそうかもなって彼は笑った。

 食器が洗い終わって、隣を見ればコップも拭き終わったようだったのでそれを高いところにあげようとしたら、後ろから彼がひょいっと持上げて棚に戻してくれた。

 「あ、ありがとう」

 私はお礼を言って今度食器を拭こうとしたら……。

 後ろから私の身体を覆うように、彼が私の両脇を通って調理台に手を突いた。何だ、この体勢?

 「ちょっと、……何やってるんですか」

 私は驚きのあまり身体をこわばらせた。

 彼の顔が私の肩に乗る……。

 ひー……。

 耳元に彼の吐息を感じて私は背をぎゅっと縮めた。

 そのままそっと抱きしめられて、私は両手で口を覆った。

 「や……はなし、て……」

 私が身じろぎすると余計に抱きしめられてしまう。

 「巴……」

 耳元で溶けそうなほどあまい囁き声で名前を呼ばれた。ぞくっとからだが粟立つように震える。

 な、に?

 何なのよ。

 何でいまさら……。

 戸惑っていると彼の手が私の向きを変えた。この距離で相対すると改めて思い知る。

 ずいぶん体が大きくなったんだなと。最初は同じ視線の高さだったのに。初めて唇を交わしたときには12センチと少しの差ができていたのに、今はもっとそこに開きができた。

 「ちょっ」

 ちょっと、と言いたかったのに今度は正面から、もう一度抱きしめられてしまって、驚いて声が出なかった。……下から伺うように覗き込まれた彼のラピスラズリのような蒼い目をつい見たら、そのままキスされた。

 じんとした疼きが身体に浸透する。

 懐かしい甘さに、身体がもっと欲しがる。

 懐かしい匂いに体の緊張がほぐれてしまう。

 髪を撫でられ……さらに強く抱き寄せられて……一段と深く口付けされて……。

 私はたまらずに彼に手をまわそうとした。

 けど……。

 流されるな、私……!!

 彼を抱きしめようとした手を空でぎゅっと強く握る。

 違う。

 もうあの頃とは違う!

 「やめて!!」

 私は彼を突き飛ばした。

 何で、こんなことしたの。

 私は今彼が触れた唇を両手で押さえた。

 心臓の、ドクン、ドクンと1回1回の鼓動がやけに大きく体を震わせる。

 「……なんで……」

 私が震える声で言うと、彼は苦笑いした。

 「確認しただけだ」

 そう言うと、彼は何事もなかったかのように出て行った。

 確認?

 何の、確認よ……。

 今更。

 彼女、いるくせに……。

 綺麗な彼女がいるくせに。

 こんなの、ひどいよ。

 私はシンクに手を突いた。深く呼吸を何度も繰り返す。

 彼に触れられた唇を片手でぎゅっと押さえた。

 私の中の貴方を……もうこれ以上膨らませないで。

 お願いだから。


 夜、私は部屋で1人でボーっとしていた。

 ベッドの脇で、クッション抱えて。

 なんで、キスなんてしたの……。

 真っ白になるほど、その事ばかりが回る。

 久々に感じた彼の匂いと力強さにクラクラする。

 私にあんなことをしでかした人間はそのくせ今日も定時に上がり、私の目の前で迎えにきていた彼女の車に乗り込んで帰っていった。

 あなた、本気で最悪です……。

 私がまたため息を吐くと、携帯がなった。

 ディスプレイを見ると、高田君だった。

 彼から連絡が来るのはあの日光の後初めてだった。

 「もしもし?」

 私が出ると、彼は少し安堵したように息を吐いた。

 『こんばんは。今大丈夫?』

 優しい彼の声に私も少し緊張がほぐれた。

 「うん。どうしたの?」

 尋ねると、彼は今度の日曜に、前田君と沙耶香ちゃんと4人で遊ばないかって私を誘ってくれた。

 『前田と沙耶香ちゃんがこの間ものすごく美味しいパフェを見つけたんだって。で、今度の日曜から少しメニューが変わるからまた行きたいらしいよ』

 高田君が苦笑い気味に言った。

 なるほど。

 パフェか……。

 沙耶香ちゃんらしいね。

 落ち込んでても仕方ないしね……。

 「わかった。一緒に行くよ。誘ってくれてありがとう」

 私がお礼を言うと高田君はどういたしましてって笑った。

 そうして一拍後……。

 非常に神妙な声で。

 『ねぇ、持田ちゃんと市川って……もしかして知り合い?』

 そう尋ねられた。

 背筋がぴきっとなった気がした。

 知り合いって?

 「同じ職場だからね」

 そう言ったら、高田君にそうじゃないって言われた。

 『そうじゃなくて、なんとなく、古い付き合いじゃないかなって……前田とも話したんだけど』

 私は息をついた。

 隠しておいても仕方ないだろう。どうせそのうちぼろが出るに違いないのだから。

 「ああ……うん、同級生だったよ。中学、私こっちにいたって、言ったよね。それが帝都だったんだ。3年のときに転校するまでクラスメイトだったこともある」

 私が言うと、彼は安堵したような息をついた。

 『そっか。だからなんだ? でも、なんでそれをもっと早く教えてくれなかったの?』

 尋ねられて、私は苦笑いをした。

 彼が普通に苗字を名乗っていたらこうはならなかったと思う。

 「いろいろね。事情があって……とりあえず誰にもそう言う事は一切話をしてないよ」

 『会社でも?』

 高田君がさらに尋ねた。

 「会社でも。別に中学のときのことなんて言う必要がないよね」

 私が珍しく突き放した言い方をしたせいか、高田君が無言になった。

 自分でもきつい言い方をしたとは思う。

 でもそもそもね、もう、終わった事なんだ。だから言う必要ないよ。

 その割には、かなり馬鹿だよね……。

 だって、私の中じゃ、まったく終わってないもの。

 高田君の電話を切って私は深くため息をついた。

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