*08*
確実に 共有した時間が残っているから
確実に 共に想いを抱いた記憶があるから
過去から抜け出したくない 時もある
*08*
「どう? 楽しい?」
高田君が尋ねた。
「うん、楽しいよ」
私は頷いて高田君を見上げた。
宮川君と前田君、それから沙耶香ちゃんまでもが日光東照宮の階段を一気上りするべく駆け上がっていく。
「元気だな」
高田君は苦笑いした。
「ほんとうに。若さがほしいよ、私も」
私が言うと浅利ちゃんが噴出した。
「まだ23になったばかりで何を言うの。おかしいなぁ」
そうは言うけど、もう体力ないよ。
「じゃぁ、浅利ちゃん、私たちも駆け登る?」
尋ねたら浅利ちゃんはぶんぶんと首を振った。
「謹んでご遠慮させていただきます」
そんな浅利ちゃんの様子に高田君も噴出した。
「しかし、市川君ってガタイもいいよね。何か運動してるの?」
高田君が彼に尋ねた。
「ああ。少しはな」
彼が頷く。
「何やってるんだい?」
「テニス」
彼はそっけなく答えた。
そっか。テニス続けてるんだ。
私はどことなく安心した。
彼は中学時代からテニス部に所属していた。私たちが過ごした帝都学園はさっきも前田君が言ったようにお金持ちの令息、令嬢が集まる。……稀に私みたいな例外もいるけれど、基本的に企業の社長令息令嬢が多い。
そして高貴な方もたしなまれるスポーツと言うことで、学校としてはテニス部に本当に力を注いでいて全国でもトップクラスの成績をおさめていた。
部員も200人近くいる。彼はそのテニス部をまとめる部長までしていた。
もちろん、実力で頂点に立った。その努力も間近で見ていた。
そこまでの実力と努力を持っていたから、まだ続けていると言うことに安堵した。
「へぇ、マメにやってるの?」
高田君がさらに尋ねた。
彼は少しだけ笑って頷いた。
「時間があるときはな。あと土日はたまに母校の中学のコーチに行ってる」
ぶはっ!
私は噴出しそうになったそれを手で押さえて必死で飲み込んだ。
「中学生の、コーチ?」
他の面々も意外に思ったのだろう。目を丸めて彼に問い返した。
「ああ。アメリカから戻って、昔世話になった顧問に挨拶に行ったら、『日本に戻ってきたならたまには顔を出せ』って言われてな、以来……」
ちょ、ちょっと、それ……。
国立さん本当ですか!?
テニス部の顧問の野原先生……何気に私、中学二年、三年と担任だったんですけど、久々に名前聞くとすごく懐かしいけど、そんな。
なんかどうにもこうにもなにがなんだかすごすぎる。
しかも、彼に中学生のコーチを頼むなんてさすが、さすがだよ! 野原先生!
彼が誰かに頼みごとをされるなんて! いや命令をしても、誰かに使われるっていうのが(しかも卒業して)なんともツボだ。野原先生ならではだろう。
さすがテニスLove男。
私が顔を背けて一生懸命笑いをこらえてるのを見て、彼が舌打ちした。
あ、駄目だ。
本当に笑ってしまいそう。
しかもこの面々の前で。
それはいくらなんでもやばい。
私は口元を押さえたまま走り出した。
とはいえ面白すぎる!!
面白すぎるぞ、国立雅隆!!
そしてそれで引き受けちゃうんだからやはり何気に面倒見がいいぞ、国立雅隆!!!
昔の姿を思い出して、私はついつい笑ってしまう。鬼部長がきっと復活しているんだろうなぁとか、面倒くさがりぶってるけれど押し付けられると断ることできなくて、何気に世話やいてるんだろうなぁとか。
想像したらたまらなかった。
しかしそれにしても、野原先生まだ教鞭とってるんだ?
いくつになってるんだろう。 あれから7年たってるわけだし40半ばかなぁ。
私はダンディな当時の野原先生を思い出したけれど、今の姿はまったく想像もつかなかった。
あのお金持ち学園といわれる帝都学園の理事も務め、もともとは学園創始者の孫だという先生。
当時30半ばの気のいいおじ様だった。その7年後。さらに渋みは増しただろうか?
見てみたい!
でも見たくないきもする、ああでもやっぱり見たい。
そしていまだその先生にあごで使われてるんだ、国立雅隆!
うけけけけ。
だめだ、面白すぎる。
ちょっと、ヒットです。
完全にツボに入ってしまいました。
私は笑いが止まらずにお腹を抱えて蹲ってると何か勘違いしたらしい高田君が血相を変えて飛んできた。
「大丈夫!? 持田ちゃん」
心配そうにしゃがみこむ。
私は震える手でなんでもないと振った。
「心配しなくても、大丈夫だよ。笑ってるだけだから」
沙耶香ちゃんが苦笑いして高田君の肩に手を置く。「しかし何がそんなにツボだったんだろう?」
そして首を傾げた。
後からやってきた彼は舌打ちしながら
「いつまでも笑ってんじゃねぇよ。この笑い上戸」
ちょっと拗ねた声で言う。
それすら久々でおかしくて私の横隔膜をくすぐった。
「いやぁ、ごめん。大変失礼……ッく!! ……!!」
私はどうにもこうにも笑いが止まらなくなった。何でこんなにおかしいのかもわからない。
今なら箸が転がっただけで笑えるだろう。
「うわぁ、こんなに笑ったの久しぶりだよ」
私は目尻にたまった涙を拭った。
でもまだなんか笑える。
「そうだねぇ。私も見たの久々だよ。なにげに巴ちゃん、笑い上戸なんだよ?」
沙耶香ちゃんがやれやれと高田君に肩をすくめてみせた。「しかも、そのツボがずれてるから私にはわかんないんだけど」
そうだね、今の話だけじゃわかんないだろう。きっとそれは私が彼の過去を知るからだ。彼の過去を知らない面々は不思議そうに首を傾げるばかり。
「や、だってね? うちの会社でこの人、陰で鬼ってボヤかれてるんだよ? 言っておくけど先輩方によ? まぁいい意味での鬼だから、ぼやきだけなんだけど、それが中学生にテニス教えてるなんて、ギャップがおかしくて……いやいや、らしいっちゃらしいよね」
私は慌てて、彼を見上げて訂正した。「笑ってごめん、な……さ……」
ああ、見たら駄目だ……。
中学生のコーチだというのに、なぜか保父さんを想像してしまい、エプロン姿の彼まで想像して自滅した。
おかしいでしょう、この妄想……。
「お前、それ謝罪になってないぞ」
言うなり軽く拳骨が飛んでくる。何気に手が早いのは昔からだった。
おっと、私はいつものタイミングをすんででかわして沙耶香ちゃんの隣に駆け寄った。
それから振り返って
「ごめん。笑ってごめんね。でもそうか。名門テニス部のコーチか。すごいね。さすが……いや、なんでもありません」
私はつい口が滑りそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。
さすが、テニス部総勢200人の部員の頂点に立った男……。
私は打ち消すように頭を横に振った。
そんな私を、高田君が少し怪訝そうに見ていた。
東照宮をお参りして、また前田君と宮川君は元気な事に駐車場までダッシュ競争をして、……どうやらジュースをかけていたらしい。
宮川君が悔しそうに前田君にジュースを奢っていた。
その、前田君……。
どうやらそのダッシュで疲れていたのだろう。
帰りの車の中ですやすやと寝息を立ててしまった。
「寝ちゃったよ」
私は後ろを振り向きながら呟いた。
後部座席で、クッションに顔を埋めて、それはそれは気持ちよさそうに寝息をたてていた。
確かにこの振動は、眠る事ができたらいい具合の揺れだろう。
彼は軽快にステアリングを切りながら東北自動車道を目指していた。
「疲れたら代わるから言ってね」
「ああ」
私はそのまま静かにカーステレオから流れる音楽に耳を傾けていた。
前田君の趣味なのか、ものすごく懐かしい曲がかかっていた。
だいたい中学生時代に聞いていた曲が中心だった。
あの夏に少年と聞いた曲とか……そう言うのがかかるから……。
つい、懐かしくなる。
「懐かしいね」
呟くと、そうだなって返事があった。
「さっき……」
彼が静かに言った。
けど、その後を言わない。
さっき?
私は首をかしげた。彼はルームミラーで後部座席を見た。
もう一度寝入り具合を確認したのだろう。
「よくも笑ったな」
苦く笑いながら続けた。ああ。
「うん、笑ってごめんね。でも……意外だったな」
いろんなことが懐かしい。懐かしくて、夢物語のように思えてたから余計におかしかった。
私が言うと、彼は苦笑いした。
「俺も自分でもそう思う。でも中学生の相手も悪くはない」
でしょうね……。
「つくづく……部長気質だね」
昔から変わらないね、そういう面倒見のいいところ。
人を寄せ付けないくせに、テリトリー内に入った人間への面倒見のよさは格別だ。
私が言うと彼が小さく笑った。
「人間……年取るよね」
私が小さくボソッと言ったら……彼はわかってくれたのだろう。
「そうだな。でも、年取ってもかわらんだろ、あれは……」
その言葉に私は嬉しくなった。
そか。野原先生は年を取っただけなのか……。
うーん。
「それはそれで恐ろしいし想像もつかないね」
「でも、年は取る。人間だからな」
彼はそう言って……私達はそれ以上過去の話をするのをやめた。
ここで、これ以上過去の事を思い出しても、仕方がないのだから。
私達は年を取ってしまったし。
どうあがいてもあの日には帰れないのだから。
「で? お前をこのまま部屋に下ろしたらいいのか?」
結局最後まで彼が運転していた。後ろでは前田君が完全に落ちてる……。
前田君、本当に大丈夫でしょうか?
「いや、いいよ。皆どこまで行くんだろう? また朝の待ち合わせ場所だったらそこまで行ってくれていいよ」
次の交差点……曲がると私の部屋のほうに行く。でもせっかくだし最後まで一緒にいてみんなでバイバイしたかった。
私が言うと彼はそのまま前の車についていった。
「そろそろ起こせ」
彼に言われて私は後ろに振り返った。
前田君の鼻をつまんで数を数える。
1、2、3、4、5、6、7、8、9、10……
「うぁ!?」
彼が飛び起きた。
「おはよう。もうすぐつくよ」
私が笑いながら言うと、運転席から
「お前は息の根も止める気か?」
苦笑い気味の声が上がった。
「うわ。もう帰ってきたんだ。ごめん、結局ずっと運転させちゃったんだ? 申し訳ない」
前田君が恐縮そうに謝った。
「別に気にするな。乗りやすい車だったしな」
彼は朗らかに言った。
「そう? よかった」
前田君は嬉しそうに頷く。
この車を運転しやすいというには無理があるような気がするけれど、でも思ったよりかは癖がない車だった。
最終的に朝待ち合わせした駅で止まって、みんなで軽く集まった。
「また月曜から仕事だな」
「面倒だなー」
「でも、金のため!」
宮川君がふんっと意気込むとみんな小さく笑った。確かに金のためだね。
皆でまた頑張りましょーって別れようとしたときだった。
「あれ!? 雅隆?」
突然声がした。
彼の反射神経はさすがというべきか
「久しぶり! こんなところでどう……ふがっ!?」
有無を言わさず突然の乱入者の口をすばやい動きで駆け寄って両手でふさいだ。
「離せって! 殺す気か!? ってあれ?」
どうにか彼の手を解いた人物は辺りを見回してそして私と目が合った。
同じく7年ぶりに会う人。忘れるはずがない、彼の親友だった藤堂君だ。
藤堂君は私を見て、驚いたように固まる。
ヤバイ……。
私はすっと沙耶香ちゃんの背後に隠れた。
「なぁ、あの子……ウガッ!?」
再び彼が口をふさいだ。
私を指差そうとした手も、彼が握りつぶす。
「わかったわかった。久々だな、藤堂。とりあえず飲みに付き合えよ」
そう言って私たちに顔だけで挨拶すると、彼は夜の街に溶け込んでいってしまった。
し、心臓に悪すぎる……。
私はバクバクする胸を押さえて長く息を吐いた。
「今からのみにいくだなんて、元気だねぇ」
浅利ちゃんがいってしまった彼を見て小さく笑う。
「本当にタフだねぇ」
もう、私はどこかに行こうという気力もないよ。私がしみじみ言うと
「本当」
沙耶香ちゃんも頷いた。
「とりあえず、解散だね」
私たちはもう一度仕切りなおして手を振った。
パトカーが止まってる車をチェックしだしたので前田君と高田君が慌てて車に戻っていく。
「持田さん、おやすみ!」
高田君が振り返って手を振った。
「うん、おやすみなさい」
私も手を振り替えした。そして最後に彼が消えていった街角を見た。
なんか変な感じがした。
明日はゆっくり休もうっと。
私は空に向かって大きく伸びをした。