*06*
今日はどこに行こうか
ちょっと遠回りして帰ろうか
帰りたくないな……
そばにいたいな
もっとはやくおとなになれたらいいのにな
どうかこの繋いだ手を 離さないで
*06*
「持田さん、昨日は大丈夫だった?」
佐々木さんが朝一で私に尋ねた。
「はい。大丈夫でしたよ。先輩こそ、お子様は大丈夫でしたか?」
私が笑うと佐々木さんは安堵したように息を吐いた。
「そう。うん、うちの子も今日は元気に飛び回ってるよ。ごめんね、昨日はせっかくの誕生日だったのにな。昨日帰ってかみさんにその話をしたら、今日これ持ってけって渡されたんだけど」
佐々木さんは私に小さな袋をくれた。
甘いにおいがする。
「クッキーだよ。塩と砂糖は間違ってないと思うけど、味は保障しかねるね」
そう言って佐々木さんは朗らかに笑った。
「わぁ! ありがとうございます! 奥様にもありがとうございましたってお伝えください」
私はそのクッキーを抱きしめた。
別に佐々木さんが気に病むことじゃないはずだし、奥様も気を使わなくてもいいと思うのだけれど、でも奥様のその素敵な気遣いがうれしかった。
1枚とってかじると、とろけるようにほろほろと崩れて美味しさが口に広がる。
「おいしい!」
私が佐々木さんに言うと佐々木さんはうれしそうに頬を綻ばせた。
残りは割れないように、硬いケースに入れてカバンにしまう。
これはうれしいご褒美だと思った。
次に、出勤してきた川本さんが私を見つけるなり駆け寄ってきた。
「持田さん、昨日は本当にごめんね!!!」
そう言って非常に恐縮そうに頭を下げられてしまった。
「いえ、大丈夫ですよ。それより川本さんこそ風邪大丈夫ですか?」
私が尋ねると、川本さんは苦笑いをして、
「ええ、昨日帰りに病院で大きな点滴されちゃったけど、おかげで今日はすっかりいいわ。持田さん、今日のお昼、昨日のお詫びにご馳走させて? 本当にごめんなさい」
そう、私に約束をして、今度はK-ユニット側の佐古チーフと市川君の下に赴き二人にも頭を下げていた。
会社って……本当に大変なところなんだな……。
私はぼんやりと思って、今日の仕事についた。
お昼は約束どおりに川本さんにK-ユニットの近くにある美味しいイタメシ屋さんでパスタランチを食後のデザートまでしっかりと奢っていただき、私はもうそれだけで幸せだった。
ご飯でだまされたら駄目だって言われても、それでも就職して間もなしの上に1人暮らしの身。誰かと食べるご飯は美味しいし、お金もないからこういうお誘いは本当に嬉しいものなのです。
それに、大学のときの先輩がよく電話で言っていた。
『今は奢られておけ。で、来年になって新人が入ったらお前がその新人に奢ってやったらいい。皆そういうふうにしていったらいいんだ』
そう、教えてもらったから。
来年私が誰かに奢ってあげられるように、今は頑張らなきゃ。
昼からの仕事も終わって、特に問題もなく、今日は私も、彼も、定時で帰宅準備をしていた。
エントランスまで皆で帰っていると、そこに高田君が立っていた。
「持田ちゃん。昨日はお疲れ」
「あ、うん。こっちこそ昨日はごめんね。今日どうしたの?」
私が尋ねると、高田君は笑って、
「今日は本社に用事があってね。終わるのも早かったんだ。で、昨日の皆がさ、この週末に一緒に遊びに行かないかって」
そう言って、私の後からやってきた彼にも視線を向けた。
「よかったら、……市川君、君も一緒にどう? 忙しそうだけれど週末まで仕事はしないだろ? 皆今年社会人になったばかりの新人ばかり、他の会社の子もいるんだ」
彼は一瞬驚いたように高田君を見やった。
高田君は私を見ると
「持田ちゃんはどうする?」
尋ねられて、
「あ、うん。大丈夫だと思う。いつ、どこにいくの?」
私が尋ね返すと高田君は嬉しそうに目を細めた。
「土曜日。俺と前田とで車を出すから、日光のほうにでも行かないかって言ってるんだ。朝の八時に出たら結構いろいろまわれると思わない?」
ふーん。
日光か……。
中学の遠足で行ったっきりだな。
「どうする?」
私は彼を見上げた。
「わかった。あけておく。どうも」
彼は高田君にぶっきらぼうに頷いて、参加する事を約束した。
……なんだか、珍しい。
てゆか、私、よく考えたら彼がこの会社の同期といるところって見た事がないんだよね。あの部署には他の新人はいないけれど他の部署には新人さんいるもの。
でも。一度他の部署の女の子につかまって話をしたことがあるのだけれど、チラッと聞いた話では新人研修時から彼は浮いていたのだそうだ。ハーバード大をスキップして卒業、部長クラスまでひそかに彼を気使うから、同期としては高嶺の花に思えて近寄りがたいらしい。
とはいいつつ、いろいろ気にはなってしまって私を捕まえて話を聞きだそうとしているようだけれど、そもそも彼女が迎えに来ているんだから私に聞くまでもないと思うんだが?
しかしそれにしても、また高嶺の花扱いされていることに、あの頃の少年のことを思い出してしまった。子供の頃から高嶺の花だといわれ、大人になっても高嶺の花のまま、その高嶺はさらに高さを増したのかしら。
そんな彼だからこそ、もしかして、案外こういう同期の面々がそろう場に誘ってもらったのは嬉しかったのかもしれない。
私はタクシーを拾う彼を見送りながらそう思った。
「で、持田ちゃんはこの後お暇?」
高田君に笑顔で尋ねられて、私は頷いた。
「うん。とりあえずは」
「じゃ、晩飯でもどう? 前田も今日は早く終わるって言ってたし、沙耶香ちゃんも仕切りなおししようって」
私は笑って頷いた。
別に一対一でもかまわないと思うけれど、彼は私を安心させるためか必ず人を呼んでくれている。その心遣いもうれしかった。
「ありがとう」
私が言うと、彼は嬉しそうに笑った。
本当、高田君は優しい人だね。
貴方を好きになれたら……本当に良かったのに……。
私は高田君の優しさに甘えたまま
心の中で、週末あの人と過ごせると
あの人に普通の遊びを味合わせてあげられると
その事を喜んでいた。
なんて……最悪な私……。