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*05*

 『誕生日だしな』

 そう言って、突然私にキスをした。

 ファーストキスだった。

 驚いて私は少年を見上げた。

 出会ったときは同じ視線の高さだった。けれどその時はもう、彼の視線は私のものよりもずっと上になっていた。

 『なんて顔してんだよ』

 そう言って、彼は甘いキスの雨を私に降らせた。

 『あまりプレゼントっていうのは考えてなかったけどな……』

 少年はそう笑って、私を好きだといってくれた。

 淡い……薄いセピア色の思い出……。




*05*




 「でっきたー!」

 私は顔の横に両手を上げて万歳をした。

 後はプリントアウトするだけだ。

 私はデータを保存してそのデータをプリントアウトした。

 いろいろ訂正かけてたら全て修正することになって図面は最初と別物になってしまった。

 時計を見ると夜の8時半。

 早かったのか、遅かったのかわからない。

 今から皆のところに行ってももう帰るだけの状態だろう。

 やっぱりまっすぐ帰って今夜は1人で寂しく晩御飯としようか。

 コンビニ寄って何か買ってかえろっと……。

 そう思っていたら。

 「できたのか」

 彼がやってきた。

 「はい。出力してみました。確認をお願いします」

 私は最終チェックを受けるべくプリントアウトした図面を彼に渡した。

 この段階で今この部署に残っているのは私と彼だけになっていた。

 皆いつのまに帰っちゃったんだろう?

 あー、そういやお疲れ様ですって口だけでは言った覚えがある。上の空で返事していたから記憶に残らなかったのだろう。

 彼は4枚の図面を並べて真剣にチェックしていた。

 ……あー、ドキドキする……。

 この場合のどきどきはときめきなんかじゃない。テスト結果発表を待つあのどきどきだ。

 どうかミスしてませんように!

 そう祈るように審判の時を待っていたら、彼の口元がふっと緩んだ。

 「よし、いいだろう。お疲れさん」

 O.K.が出て、私は心底安堵した。

 よっしゃ!! これで本当に終わったよ!!

 おなかすいたよ、待ってて私の晩御飯!

 そう思っていると

 「おい」

 彼が笑ったまま私を見ていた。

 「はい?」

 振り返ると

 「晩飯、どうするんだ?」

 尋ねられて私は彼を見つめ返してしまった。

 「……適当に……済ませようかと……」

 私が呆然としながら言うと、彼は唇の端っこ少しだけ持ち上げて、あの頃と同じ笑い方で笑った。

 「なら俺に付き合え。1人で食っても不味いしな。今日食いっぱぐらせた侘びにおごってやるよ」

 そう言って彼は5分後に下の玄関で待ち合わせだと言って、図面を他の部屋に持っていってしまった。

 えええっ!?

 な、何が起こってるの?

 私は呆然としながらも、その5分という時間の短さの間に慌てて身支度を整えた。

 下に下りている途中で携帯が鳴った。

 見ると、実家からで通話ボタンを押すと、お母さんの優しい声がした。

 『誕生日おめでとう。今日はお仕事終わった?』

 「うん、今終わって帰るトコ」

 私は階段を下りながらお母さんと話をした。

 『そう。晩御飯はどうするの?』

 「え、そ、それは……」

 思わず口ごもった。彼に誘われているとは言いづらかった。あの頃を知る母だ、当然名を出したらそれだけで思い出すだろう。

 再会していることも実はまだ言えていない。言うのもはばかれる気がした。

 でも母は何か察したらしい。

 『なぁに? イイヒトできたの?』

 くすくす笑いながら言われて思わず違うよと頭を振った。会社のエントランスホールでは彼がすでに座っていた。廊下に響く声で私と気付いたのだろう、こちらを見てすっと立ち上がる。相変わらず格好いいしぐさにどきりとしてしまった。

 「そんなんじゃなくて、会社の人と今からご飯に行くんです。またね」

 私はそういって通話を切った。

 「家からか?」

 聞かれて頷いた。

 「そう。お母さんから。まったく、いつまでも子ども扱いだから」

 「ああ。あの人ならな」

 彼はくつくつ笑いながら言いかけて、それではっとしたようにやめた。私も一瞬ぎくりとした。

 互いに気まずい空気が一瞬流れたけれど

 「メシ、行くか。ハラへったし」

 彼はそういってすたすたと何事もなかったように歩き始めた。私もそのすぐ後を追いかける。

 外はあいにくの雨だった。

 会社のすぐ外まで呼んでいたらしいタクシーに乗せられてどこにやら連れて行かれる。

 ガラスを叩く大きな雨粒に傘を持ってないことを悔やんだ。

 帰りどうしようかな……。

 食事が終わるまでに、止むだろうか?

 私は窓の外を見やった。

 でも。

 実際に見ていたのはガラスに映った、彼の整った横顔だった。


 彼が連れてきてくれたお店はお高そうなレストランで、入り口付近にかけられた木製の看板に月のウサギ亭と彫られてあった。

 フレンチを主体とした創作料理のお店らしい。

 中に入ると、老年のおじ様が慌ててタオルを持ってきてくれた。

 執事のように真っ黒のタキシードを着こなしたロマンスグレイに心がときめく。

 「足元が悪い中お越しくださりありがとうございます。国立様、こちらにお席をご用意しております」

 きっと、彼は来慣れているのだろう。名乗りもしない彼を慣れたように案内する。

 よく磨き上げられた店内は、薄暗いけれどガラスランプの光に艶めいた光をはじき返していた。

 なかなかいいお店だ。

 きっとお値段もいい店だろう。

 ……もしかして彼女とよく来る店だったりするのだろうか?

 そう思うと、胸がじくじくした。

 ソムリエがワインを、たっぷりと空気に触れさせながらグラスに注いでくれる。 

 「とりあえず乾杯するか」

 彼が甘い匂いを放つ白が入ったグラスを揺らした。

 「……うん」

 私もグラスを取って「お疲れ様でした」

 そう微笑んだ。

 彼がそんな私を見つめて一拍おいた後

 「誕生日だろうが。どうせならそっちだろ」

 そう言ってグラスを掲げる。

 思わず、私は彼を見つめた。

 『誕生日だしな』

 あの日の少年の声がリフレインする。

 ……何を思い出しているのか……。

 「ありがとう」

 私は苦笑いすると、ワイングラスを掲げて口に運んだ。

 甘くて芳醇な匂いが口いっぱいに広がる。

 「おいし」

 私がそっと笑うと彼はまた唇の端っこ上げて笑った。

 1皿目はタイのカルパッチョしその葉サラダ仕立て。2皿目は海老とポテトのグラタン。3皿目は鶏肉のフリカッセ。デザートはりんごのクレープ梨のシャーベット寄せ。

 次々に運ばれてくるものは私の好きな素材ばかりで、つい嬉しくなった。

 それにしてもいつのまに予約を入れてあったのだろう?

 少し不思議だ。あの乱暴な彼女とのやり取りを思い出す限り、とりあえず彼女との予定はなかっただろうと思うのだが。

 私達は大した会話もしないまま、静かに料理を堪能した。特に会話のない静かな空間でも、まったく苦痛もなく十分に堪能できた気がする。

 「ありがとう。ご馳走様でした。すごく美味しかったです。でも、本当におごってもらっても良かったの?」

 レストランを出たところで、満足げに財布をしまう彼にお礼を言いつつ尋ねた。

 ちょっとでも出そうかと言う気遣いは一笑で一蹴されたので、仕方なしにそのままお店を先に出て待っていたのだ。

 「あぁ? 別にかまわねーよ。一人で食ってもまずいし、そもそも……」

 彼は何かを言いかけて、そこで言うのをやめた。そもそも? 続きが気になったけれど彼は迎えに来ていたタクシーに私ごと押し込んだ。

 「でもよかったの? いつもは彼女ときてるんでしょ」

 私が自虐的だなと思いつつ笑いながら言うと彼は黙って前を見つめたまま

 「いや。あそこは家族としか行かない店だ」

 小さく呟く。

 「え? じゃ、私が来たせいでご家族の誰かが食べ損ねちゃった!?」

 思わず尋ねると彼がきょとんと私を見て爆笑した。

 「……相変わらず突拍子な奴だな」

 「悪かったわね」

 私はぷいと窓の外に顔を向けた。

 しかしやっぱりガラスに映った彼の顔を観察してしまう。

 くくっと彼は喉で笑うと

 「別に、誰も食いっぱぐれてないし、捨てられるかもしれなかった食材が収まるべき場所に収まったんだ。良かったじゃないか」

 そう笑いながらいった。

 まぁ、もし食材が捨てられちゃったら悲しいし、私がおいしくそれを消費する協力につながったのならありがたいことだけど、……うん?

 彼の言葉の真意をはかりかねて私はかばんのもち手をぎゅっと握り締めた。

 どれくらい静かな空気が流れただろう。しばらくして彼が私にぽつりと言った。

 「春に大田さんが派遣してくる候補のリストの中に『新人がいる』って言った時はうちの部長は驚いてたな。今までうちに、ペーペーの新人を派遣してきたことなかったからな、あの人は。で、それがお前でもっと驚いた」

 私はつい彼を見上げた。

 「大田さんの期待を裏切らないように頑張れよ」

 ちょうどタクシーは私の住む部屋の入り口の前に止まった。

 そういや、私が住んでる場所って確か言ったことなかったはずなんだけれど?

 でも、彼ならこういうこと知る手段はいっぱいありそうだな。会社のデータベースを見れば一発だろうし(個人情報は閲覧できないよう管理されているけれど、幹部には閲覧・修正用のパスワードが教えられていると言う)。

 「ありがとう。ごちそうさまでした」

 私はタクシーから降りてお礼をいった。

 「ああ。おやすみ」

 彼はまたなと言って、扉を閉じた。ゆっくりとタクシーが走り始める。

 そのタクシーを見えなくなるまで見送って、部屋に入ろうとしたとき、カバンにしまいこんでいた携帯がなった。

 ……高田君だった。

 「もしもし?」

 私が出ると、彼は安堵したように息を吐いた。

 『おつかれ。もう、仕事終わった?』

 「うん。今帰ってきたところ。今日は本当にごめんね」

 私が謝ると、彼は

 『おそくまでお疲れさま。せっかくの自分の誕生日だったのに、残念だったね』

 と、私に慰めの言葉をかけてくれた。

 彼なりの気遣いだったのだろう。

 でも、どうしてかな……。

 私、本当は。

 本当は今日の突然の残業、嬉しかった。

 彼らとご飯ができなかったことは、それはそれで残念だった。でも。

 『今日本当は直接会って、おめでとうを言いたかったな』

 高田君が電話の向こうで口惜しそうに言った。

 「ごめんね」

 私は高田君に謝罪する。

 同時に彼に対して申し訳ない気持ちも広がった。

 だって私はそれ以上に今日の残業が、嬉しかった。

 『あ、晩御飯、どうしたの? もしかして、せっかくの誕生日なのに1人?』

 彼が謝らないでよといいながら、思い出したように尋ねる。

 「あ、ううん、一緒に残業してたK-ユニットの子と食べた……」

 私が正直に言うと、一拍間があった。

 『K-ユニットの新人っていう彼かい? 確か市川君といったかな?』

 「……うん」

 別に、いかがわしいことがあったわけじゃない。そもそも私は誰ともそんな間柄じゃない。私が頷くと、高田君は、小さくそうって頷いた。

 『彼、彼女いるよね』

 少し低い声で高田君が言う。

 彼自身への確認かもしれないけれど、私への牽制にも思えた。

 「いるね。別に彼も今年の国立の新入社員で、私にしたらやっぱり同期だから……」

 私が言うと高田君が苦笑いした。

 『ごめん、わかってはいるんだけどね。やきもちやくよ。あまり持田ちゃんから他の男の子の名前を聞くのはやっぱり気分いい話じゃないな』

 言葉の調子は戻ったけれど、そういわれて、私は言葉を詰まらせた。

 結局のところ……私は彼を待たせているのだろうか?

 私は好きな人としか付き合わない、それは高田君に最初から伝えている。

 しかし、今は保留の状態だ。

 どうしよう……。

 どうしよう……。

 答えが出せない。

 答えが出せないまま話題が別のほうに流れ、しばらく当たり障りのない話をしてから電話を切った。

 優しい人だと思う。

 高田君を好きになれたらいいのに。

 どう思っても彼は、とても素敵な人だ。

 でも。

 気付いてしまった。思い知らされてしまった。

 高田君と話せば話すほど、思い知らされる。

 突きつけられてしまう。

 あの人が私のものにはならないとわかっていても、私はあの人が好きなのだ。

 もう、誤魔化せない……。

 私の心はあの頃から変わってない。

 私は国立雅隆が、好きなのだ。

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