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*04*

 あの日の少年はもう大人になっていた。

 ぜんぜん、私の知らない人になっていた。

 だから、もう踏ん切りをつけて

 私も根が出そうな足を持ち上げなければ。


 私は、一歩先に進む事が、できるでしょうか?




*04*




 最初は戸惑いながら進めていた仕事も、一月もすればずいぶんなれた。だんだんと要領を得てくると先輩達も私にいろんな仕事をくれるようになった。

 「持田さん。今から送るけど、このPV(正面図)、TP(平面図)とRH(右側面図)起こしておいてもらえる?」

 「はい。期限は?」

 「できれば今日中、なるたけ早く。ごめん俺このLH(左側面図)と断面図を起こすから」

 私の教育係をしてくれている佐々木さんは苦笑いしながら私に正面図の図面とそのデータが入った添付メールをよこした。

 「はい、がんばります。またわからないことあったら聞いていいですか?」

 「ああ。こっちこそごめんよ」

 そんな風に忙しくもなだらかな日々は最初の私の戸惑いをゆっくりと上手に嚥下させようとしているようにも思えた。

 私は最初の図面屋さん。彼は、最終的な図面チェックとその上に製品として本当に製造可能かのチェックをする人で、同じ部署にいるものの特に会話をするでもなく普通に過ごしていた。

 「持田さんの図面はなかなか見やすくてしっかりしているし先方にも評判がいいよ。この調子で頑張ってね」

 普段厳しい大田さんにほめられて私はおもわず肩をすぼめた。恥ずかしいより先に恐縮してしまう。

 私はほめてもらっても言葉半分で受け止めることにしていた。祖母に口すっぱく言われてきたからだろう。

 赤ペンを握って図面を睨みながらパソコンの前で毎日カタカタと格闘する日々をすごしていた。

 彼とは話はしないけれど同じ部署で同じフロアにいるから空気でいろんな事は伝わるし様子も伺える。

 彼に恋人ができたという事実は仕方ない。それでも私は穏やかに充実した日々を送っていた。

 ところで、まったく話は変わるのだが。

会社によっては制服があるらしいけれど、ここは基本的に服装もわりと自由なので、……さすがに普段着に着るようなTシャツとジーンズは勘弁してくれと言われたけれど、男性も女性も普段から皆スーツではなく割とカジュアルな格好をしていた。

 ただ上司や部長、他にもよその方と会談があるとさすがにジャケットがいるらしく、皆ロッカーに背広一式を常備している。

 それでも、皆本当に堅苦しくない程度に砕けた格好をしていた。

 私もそれにならってきちんとした服装を心がけている。

 ただ。

 普段パンツ派の私が可愛いスカートにニットアンサンブルを重ねて行ったりすると、

 「持田さん、今日はデートかい」

 とからかわれてしまうので、注意が必要なんだけど……。

 佐々木さんにまたしてもからかわれながら

 「今日はどこ行くんだい?」

 としつこく尋ねられた。

 「今日は学生のときからの友達と同期の友達が私にご飯をおごってくれるんです」

 苦笑いしながら言うと、

 「へぇ。今日なんかの記念日? あ、もしかして誕生日?」

 見事に言い当てられてしまった。

 その声は割と大きかったのですぐに部署中に広がってしまって、

 「持田さん誕生日なの?」

 「おめでとう。いくつになったの?」

 次々に尋ねられた。

 中には

 「こら、女の子に年を聞いちゃいかん」

 と、たしなめる声もあったけど、

 「ありがとうございます。23です」

 私が言うと周りの人ははぁってため息をついた。

 「若いなぁ」

 「いいなぁ。私なんて誕生日が来ても、プレゼントだけはもらっても年はばらせないわね」

 先輩達は笑いながらおめでとうと私の腕の中にプレゼントがわりのお菓子や飴を押し付けてくれた。

 「それでおごってもらうんだ? 本当に同期のあの彼と仲いいよね」

 川本さんというショートヘアが似合う美人さんもくすくす笑いながら私の手にチョコのお菓子を乗せてくれた。

 「や、他にも友達いますから!」

 そこは念を押しつつお礼を言って受け取ったけれど、ふと気になって私は川本さんの顔を覗き込んだ。軽く触れただけだけどその手がすごく熱かったので。

 「川本さん、風邪ですか?」

 私が問うと彼女は肩をすくめた。

 「かもしれないわ」

 「大丈夫かい? 風邪流行ってるみたいだね。うちの子も今日は熱を出して学校を休んでいるんだよ」

 佐々木さんが心配そうに川本さんを見上げる。

 「あらあら。お互い様ですね。私も休もうかとも思ったんですけど、今日どうしてもあげなきゃいけない図面があって……それだけでも片しておきたいから」

 川本さんは苦笑いしてそんなことより、と私を見た。

 「あの同期の子、結構格好いいし優しそうな男の子なのに、付き合っちゃえば?」

 よく迎えに来てくれるから高田君のことはもうみんなにばればれだ。ついには高田君自身に彼氏候補に立候補中ですとか言うのまでばらされて、そこから派生しているこの手の話にちょっと正直困っている。

 「ちゃんと好きな人じゃないと付き合えませんよ」

 私が苦笑いすると川本さんは肩をすくめながら

 「正論だけど、堅いわねぇ」

 そう笑って戻っていった。佐々木さんもなぜか私の髪をわしゃわしゃかきまぜる。

 特に気合を入れた髪形ではないから、多少かき混ぜられてもへっちゃらだけれど、なんというか佐々木さんは私の接し方が上司とかそういうのじゃなく本当に年上のお兄さんというかお父さんみたいだ。

 「それにしても、すごいね」

 佐々木さんが私の机の上を見て小さく笑った。

 クッキーにキャンディにチョコレート、何気にみんなの虫押さえ必須アイテムらしいお菓子で一山築かれていた。

 今の短い間でよくこれだけのお菓子の山ができたものだ。私も言わんとすることがわかっていたのでつられて小さく笑う。

 「お菓子だけじゃ、のどが渇くよ」

 佐々木さんはそう言うとかばんからオレンジ100%のパックジュースを取り出して私の机に置いた。

 ま誕生日祝いにしちゃ安いけどねって言いながら。でも私は十分だった。

 「ありがとうございます」

 深く頭を下げると、お菓子を巾着袋に一度まとめて入れて、机の引き出しにしまい込み、仕事を再開した。

 「やぁ、今日が誕生日だって?」

 お昼、大田さんまでもがニコニコやってきて昼ごはんをおごってくれると言ってくれた。非常にラッキー。

 日替わり定食(今日はエビフライ)150円という格安ランチをお言葉に甘えておいしくいただき、K-ユニットの佐古チーフからは大好きなフルーツティーのペットボトルをご馳走していただき、これだけついてたら逆になんか起こりそうだと思っていたら、案の定、それは夕方になってやってきた。

 定時になって、皆ごそごそと帰りはじめる。もちろん残業を抱えている人もごく一部にいたけれど、今はそう忙しくもないせいか、8割以上の人がいそいそと片づけを始めた。

 私も一緒。佐々木さんもカバンに荷物を詰めながら、気が重そうに短く息を吐いた。

 「今日はカミさんに早く帰ってこいって言われてるから寄り道もできないんだ」

 「ああ、お子さんが熱が出てるっておっしゃってましたもんね」

 私達は最後に明日の仕事の確認を軽くしてさようならをするのだけれど、そのとき佐々木さんの携帯がなって、

 「ほらきた」

 佐々木さんは苦笑いしながら、それでも嬉しそうに携帯を通話状態にした。

 『あなた! 仕事終わった!? 早く帰ってきてね。渉だけじゃなく隆まで熱が出たの』

 受話器からこちらまであわてた声が響く。

 「ええっ、隆もか!?」

 佐々木さんは二人のお子さんのパパだ。以前は同じ会社に勤めてたという奥様は今は会社を退職し、家の近くの会社でパートをしているとおっしゃっていたけれど、さすがに今日は休まれていたらしい。

 しかも会話から察するにとても大変そうだ。

 「わかった、すぐ帰るからな」

 そう電話に向かって約束しているマイホームパパな先輩に私は目を細めた。

 羨ましいなって思う。

 機械CADの面々がほぼ帰りつくしたところで私と佐々木さんも並んで部署を出ようとしたときだった。

 「川本さん残ってるか?」

 彼が荒っぽい足取りで図面を掴んでやってきた。

 しかもその表情は少し怒っているようで険しい。

 「川本さんは今日、熱があったから早退して帰ったよ。市川君、どうしたんだい?」

 佐々木さんが彼に尋ねた。

 「そうですか……。川本さんに今日提出してもらった図面、これ、牡ねじと雌ねじの規格が違うんです」

 彼がぴんと図面を指で弾いた。

 ああ、今日川本さんが仕上げなきゃと言っていた図面だ。

 先輩がその図面を覗き込む。

 「本当だ。0.2ミリ……これじゃ、ねじがかみ合わないぞ。……TPもPVも、RH、LH4枚全滅だな……これ、いつまで?」

 佐々木さんが尋ねると彼は言いにくそうに、

 「明日の朝一番で客先に提出です」

 そう告げた。

 「しかたないな」

 佐々木さんが頭をかきながらまた中に戻ろうとしたので、私が止めた。

 「佐々木さんは帰らなきゃ駄目でしょ。お子さん大変なんだから……。私、します。この規格を全て訂正したらいいんですよね」

 私が言うと、佐々木さんが驚いたような顔をした。

 「でも、君も約束あるんだろ?」

 「それはそれ。健康な人間はまた後日集まれますよ。大丈夫です。とにかくお子さんをお大事に。こういうときにパパの愛を注いでおかないと嫌われちゃいますよ?」

 そう言うと佐々木さんは苦笑い気味に笑って、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

 「ありがとう。わからなかったらすぐ電話して。このお礼はまた子供の熱が下がったらお返しするから」

 そう笑って佐々木さんは急いで家路についた。

 やはり家庭のある人は大変だ。

 私はその背を見送ってから、もう一度その図面に目を落とした。

 「すまないな」

 彼が言う。

 「いいえ。気にしないでください。さてと。川本さんデータ残してくれてるかな」

 私はその4枚の図面を持って川本さんが普段使っている端末のところに歩いていった。

 その後ろから彼もついてくる。

 「2枚よこせ」

 私がデータを引き出していると、彼が私の手から左右の側面図を抜き取った。

 「さすがに精密なTPとPVは任せる」

 どうやら手伝ってくれるらしい。

 「ありがとう」

 私はお礼を言って、彼にもデータの添付メールを送った。

 並んで端末を叩いていると

 「お前、みんなが言ってたけど、相手にはいいのか?」

 隣で彼が小さく呟いた。

 は、として私は時計を見る。

 あ、……待ち合わせの時間……。

 私は断って携帯を出した。

 コール二回。

 沙耶香ちゃんが出た。

 「もしもし? 沙耶香ちゃん?」

 『巴ちゃん、もう終わった? もうすぐ来れそう?』

 沙耶香ちゃんは移動中なのだろう。

 背後から車のエンジン音や雑踏のざわめきが聞こえる。

 「いや、今、まだ会社なんだ。ごめん、ちょっと仕事で……いつ終わるかわからないから、今日の集まり私パスする」

 『はぁ!? 主役が何言ってんの? まさか、残業なの?』

 「そそそ。ごめん、この埋め合わせは後日」

 私が謝ると沙耶香ちゃんは非常に疲れたように息を吐いた。

 『いいけどね。私達は食べて帰るよ? 巴ちゃんの分も食べちゃうもんね。でも、高田君には自分で電話しときなよ』

 沙耶香ちゃんに言われてしまって、私は小さくわかったと返事をした。

 高田君に電話をするのはいいんだけど……。

 今、電話するのはやだな……。

 私はちらりと背後を盗み見た。

 まっすぐに画面に向かいながら、マウスでカチカチ叩く姿が目に入る。

 でも、しなきゃな……。

 『ちゃんと自分でするんだよ!?』

 携帯のむこうで沙耶香ちゃんに再度念を押されて私はしぶしぶ頷いた。

 私は沙耶香ちゃんとの通話を切ると、そのままの勢いで高田君に電話した。

 もう、ついでだ、かけちゃえ、みたいなノリ。

 コール3回。留守番電話になった。

 電車で移動中なのかな?

 一番遠くに派遣されちゃったからね。

 私は発信音がなるのを待った。

 「持田です。すみません、今日残業のため参加を見合わせます。では」

 そう告げると携帯をきった。

 マウスに手をのせると聞こえていたのだろう。

 「よそよそしいんだな」

 彼が端末を叩きながら小さく呟いた。

 私は小さく笑って苦笑いした。

 「そう、かな」

 ああ、うん。確かに、よそよそしいかもしれないね。

 優しくされればされるほど……私は高田君と距離をとろうとしているかもしれない。

 ……私の目の前に彼が現れた日から。

 つい隣の席の人を見てしまう。あの頃の少年ではない。わかっているはずなのに。

 「とりあえず、やるか」

 彼が小さく笑う。私は頷いてねじの規格の本を開いた。

 後はもう、無言だった。

 ひたすら入力を続ける。

 辺りは静かだった。

 マウスをカチカチ鳴らす音と、キーボードを叩く音。

 図面がすべる音。

 それが静かな部屋にやたらと大きく響いた。

 マウスでパーツを当てはめながら作業していくうちに、細かいミスも見つかって私は図面に赤いペンで修正箇所のチェックを入れた。

 そこに、携帯がなる。

 どうやら、彼の携帯のようだ。彼は画面をにらんで一瞬険しい顔をした。携帯をつまむように開き通話を始める。

 「あぁ?」

 一言目がそれだった。

 ……まったく、この人は……。

 相変わらずの態度に小さく笑いそうになった。こういう態度で出る電話はたいてい友達からだ。

 少なくとも私はあの頃はこんな態度で話されたことはなかった。

 だから、誰かな? そう思っていたら。

 「は? そもそも誰が今日お前と約束した……知るかよ。……今日は無理だ。……知るか。まだ会社だ……ああ、じゃぁな」

 彼はぶすっとしながら携帯を切って、机の上に携帯を放りだした。

 何と言うか……。

 漏れ聞こえてきた声はあの美人の彼女のものですよね?

 その彼女にこの扱い。それが驚きだった。

 「もっと優しくしないとふられちゃうぞー」

 私が苦笑い気味に言うと、

 「優しくしてもふられるときはふられんだよ」

 彼はつっけんどんに言った。

 ぎくりと背中が固まる。

 ……その言葉はどういう意味ですか?

 思わず隣を見てしまい、彼も私をにらむように見ていた。

 そのとき今度は私の携帯がなった。メール着信音だった。

 きっと高田君からだろう。

 「いいのか?」

 聞かれて私は携帯に手を伸ばした。

 メッセージを開く。やはり高田君からだった。

 『誕生日おめでとう。なのに残業だなんてついてないね。お疲れ様。遅くなってもいいから、仕事終わったらメールくれるかい?』

 ……優しい人だな。

 さっきの隣で繰り広げられた会話とは違う、優しさあふれる文章だった。

 そう思う。

 けれど、それだけだ。

 違うのだ。何かが。

 私はそのメールを閉じると、まずはなにより越えなければならない図面に向かった。

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