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*02*

 そもそも、その言葉は母が常に言っていたのだ。

 『人には、縁というものがあるのよ』と。

 運命の赤い糸という伝説にも似ているけれど、「赤い糸の人」と「人の縁」は決して同義語ではない。

 なぜなら赤い糸の人は生涯かけがえのないパートナーとなる相手で、人の縁と言うのは友達、知人、一期一会の出会いに至るまで自分の心を動かすようなかかわりを持った人を指すからだ。

 だから、今私が就職し知り合った仲間たちも何らかの縁があったということ。

 就職と言うきっかけであったにせよ、同じ会社に集まれたのだ、きっと何かの縁に違いない。

 でも、稀に、そういうのと違う本当に稀に強い縁を引き合う人がいる。

 惹きつけて惹きつけてやまない相手。

 決して一方通行じゃない、双方に感じあえたそのときのみ発生する不思議な相手が稀に存在する。赤い糸といえるかもしれない。

 そんな風に強い縁のある人と出会うと、もう流れは止められない。

 『本物の縁ならば……』

 涙が止まらない私の髪をなでながら母が呟いた言葉。

 私の一番強い縁の先にいる人は、いったい誰だろう?




*02*




 今日から本当の意味で私の社会人としての生活が始まるといっても過言ではないだろう。

 私は朝に、同じ会社からこの会社に派遣されている先輩社員と駅で待ち合わせて、K-ユニットに足を踏み込んだ。

 幸い、今私が1人暮らしで借りている部屋から徒歩10分という近さで、実は本社に行くよりずっと近くなるのでかなり嬉しい。

 まず最初に、私はK-ユニットの中にある小さな会議室で同じ会社から派遣されている先輩達や上司に挨拶をした。

 「はじめまして。持田巴です。よろしくお願いします」

 すると、私に辞令を渡した大田さんが改めて握手してくれた。

 「来たな。ここはミスも許されんからな。何度も何度も確認をして、わからない事があれば即私たちに聞きなさい。私たちが書く図面一つでここの全ての製品が変わるのだから、その責任は大きいぞ」

 そう厳しく言った。

 う、ドキドキする……。

 改めて思うけれど何で私だったんだろう……。

 「心して頑張ります」

 そういいながらも、心の中はバクバク言ってた。

 「持田さん、今日から貴方の職場はここだ。といってもわれわれは出向者、これから雇い主側のK-ユニットの面々に挨拶に行こう」

 大田さんに案内されて開発設計事業部という扉を開いた。

 そこは広いオフィスで、さすがCAD部門というべきかたくさんのパソコンと、後壁側に数台の製図用デスクがあった。

 うわ、製図デスクって懐かしい……。

 「持田さん、製図道具持ってる?」

 尋ねられて頷いた。

 「はい。学生のときに購入しました」

 「なら製図盤の使い方も知っているな。たまにコンピューターだけでなくアナログで図面を引いてもらう事もあるかもしれないから、製図道具も持ってきておいておくといい」

 大田さんにそういわれて、私は頷いた。「今日からは、こっちの会社も新人が配属されるという話だったんだが……ああ、いたいた」

 大田さんは奥にいたK-ユニット側のチーフを見つけて手を振る。

 そこはついたてだけで隠したソファセットがあるらしく、私をそこに連れて行った。小さい声で、名刺を出しとけよといわれて、私は名刺入れから数枚……この春の入社式で会社が支給してくれたそれを引き出した。初めて使う名刺にちょっとどきどきした。

 「紹介します。今日からこちらでお世話になります、うちの新人の持田君です」

 ぐいっと腕を引っ張って私はそこに引き出された。

 「はじめまして。持田巴です。よろしくお願いします」

 私は頭を下げ、チーフと紹介された人に名刺を差し出した。

 「ああ、今日からよろしく。これが私の名刺です」

 結構おじいさんのようでありながら眼光鋭い眼差しを持ったその人は、目を細めて私の名刺を受け取ると、自分の名刺を私にくれた。

 肩書きには『K-ユニット開発設計部部長 佐古忠』と書かれてあった。

 うわ、いきなり部長とご対面ですか。

 私はその名刺を大事に両手で握りながら内心非常に緊張していた。ガチガチになってネクタイあたりばかり見てしまう。そんな状態だったからその人の向かい側に座っていた人なんて、まったく見えていなくて……。

 「あと、こちらが今日からここに配属されたうちの新人の市川君です」

 佐古チーフが大田さんと私にその人物を紹介してくれて、向こうがぺこりと頭を下げたようだったのでこちらもあわててお辞儀をし、そしてようやく顔を上げご尊顔を拝顔したとき心臓が口から飛び出るかと思った。

 よく声を出さずにいられたとわれながら驚きだ。

 瞬きもできなかった。

 忘れるはずがない顔がそこにあったから……。

 市川?

 さっき紹介された名前を反芻し一瞬混乱した。

 他人の空似だろうか?

 しかし

 「……市川雅隆です。よろしくお願いします」

 彼はそう大田さんに挨拶をして、名刺を交換した。私とも交換をしてくれる。

 久々に聞く声はあの頃と変わらない。

 雅隆、名刺に書かれたその名前も一緒だ。

 なのに、市川?

 私は身動き一つできないまま胸の中の嵐が大きくなるのを感じた。

 だって、私が見たその人は……どうみても、私が知っている限りでは、国立雅隆という名前の人だったはずだ。

 あの頃よりもずっと精悍に大人びた顔つきになったとはいえ、昔から変わらないそのきれいな顔も、目元のほくろも、その強い眼差しも、綺麗な唇も!!

 全部あの人なのに……。

 なぜ、国立じゃないのだろうか?

 考えられる理由としては……やはり……。

 私はごくりとつばを飲み込んだ。

 どこかの市川さんのおうちの方と結婚して『婿養子』に入ったということ?

 一瞬目の前が真っ暗になった気がした。

 さーっと血の気が引いていく。

 私は無言のまま俯いた。

 彼を見ていられなくて……。

 そして思い知った。

 あの少年は7年たちもう大人になったのだということを。

 大田さんと佐古チーフは二言三言話をすると私と『市川』君を招いて朝礼の席で他の人たちに紹介してくれた。

 表面上では笑顔を向けながらも……私は心の中でとまることのない嵐が吹きすさんでいた。

 なぜかわからないけれど、あの人と同じ職場にいる。

 同じ空気を吸ってる。

 他の人たちに挨拶をしている間、7年ぶりに再会するあの人を私は一度も見る事ができなかった。

 なのに、全身で彼の気配を感じている。

 彼の声を探そうとしている。

 そんな自分がすごくいやになった。


 当然のことながら、格別美形な彼はすぐさまいろんな綺麗なお姉さんたちの目に留まった。

 この会社の女性社員や、うちの先輩達も彼にいろんな事を聞いていた。

 「市川君、大学どこ出たの?」

 かなりの美人でうちの会社から派遣されている川本さんという独身先輩社員が彼に尋ねた。すぐ背後の会話なので私にもよく聞こえた。

 「ハーバードです」

 彼はしれっと答え、それに佐古チーフがつけたした。

 「市川君はハーバードでMBAをとってきた秀才だからな。心していかないと返り討ちにあうぞ」

 そう、からからと笑う。

 けど私は首をひねった。

 MBAって……貴方……経営修士号って、修士号なんだから大学院卒業資格って事だよね?

 私この春に大学を卒業したんですが?

 もしかして、スキップというやつをしているのだろうか?

 そうじゃないと話が合わない。

 いったい、何年分スキップしたんだろう?

 今、ここにいるということは二年半分はスキップしたということ?

 昔からすごい人だと思っていたけれど、やはり、すごい人だ……。

 私は胸の中のぐるぐるが一向にやまないまま、しかし彼のほうを絶対に見ないようにしつつ、他の先輩と会話を交わした。

 まだこの現状が理解できないでいたのかもしれない。

 幸い午前中はほぼ仕事の説明で終わり、昼休みに入った。

 最初なので皆でご飯を食べに行こうということになり、まずは最初のお約束、社員食堂に連れて行ってもらった。

 8階という割と高い場所にあるそこは社員食堂って言う名称が信じられないほど、綺麗で可愛い場所だった。

 当然のことながら景色もいい。

 品揃えは豊富で値段もかなり安いし、無料のドリンクバーもあるのでそこでお弁当を広げてもいいらしい。

 私は日替わり定食の献立表を見ながら、このぶんだとお弁当を作るのが面倒だったらそこで食べても財布にほとんどひびかないなって思って嬉しくなった。

 ……いやね、やっぱり1人暮らしって何かとお金に細かくならなきゃやっていけないじゃないですか。ケチくさいわけじゃなく、大事なこととして。

 それはおいといて、部署で大きなテーブル一つを占拠し各自適当に座る。私は大田さんが椅子を引いてくれたのでお礼を言ってそこに座ったのだけれど、彼の周りでは女性社員が遠慮がちに、でも積極的に席を奪い合っていて、水面下の骨肉の争いを見た気がした。

 とりあえず私は地味にしておこう。

 オムライスをつつきながら私は大人しく、周りの人たちのお話を聞いていた。

 もちろん、求められたら受け答えはするけど。

 でも、あまり変なことは……彼のいる目の前で言いたくはなかった。

 ご飯の後、皆さん結構メールや携帯の着信チェックをしていたので、私もこっそりと開いてみると、2通メールが来ていた。

 1通は沙耶香ちゃんで……もう1通は高田君だった。

 沙耶香ちゃんは一言がんばれよーというメールで、高田君のほうは

 『仕事、どう? やっていけそう? 愚痴りたくなったらいつでも聞くからTELしてね。昼からも頑張ろう!』

 なんだか読んでちょっと安堵したくなる文面だった。

 やっぱり私緊張してたんだなって思って……。

 指の先から少し暖かくなる気がした。

 「持田さんは彼氏からメール?」

 先輩に横から覗き込まれて私は慌てて首を振った。

 「いえいえ、同期からです」

 苦笑い気味に言ったら先輩に怪しいぞってつつかれた。

 「そういや、持田君には研修中から仲いい子がいたね。君達の班は皆特別仲良かったけど」

 大田さんが思い出したように言った。「そう言う子は大事にしたほうがいいよ。案外将来旦那になったりするんだから。ちなみにそこの佐々木君は奥さんと同期で新人研修のときに知り合ったんだ」

 そう笑いながら私の向側に座っていた男性を指した。

 佐々木さんは恥ずかしそうに頭をかいてうつむいた。それを知らなかったらしい先輩達も驚いていた。

 そう言う事もあるんだ。へぇ。

 あ、でもとりあえず、高田君は……告白してくれたけど現段階では彼氏じゃないし……。

 私はとりあえず簡単に「ありがとう! やっぱり研修とは雰囲気違うけど、頑張るよ」と返してみましたが。

 送り終わった後顔を上げたら、先輩がニマニマ笑っていた。

 「いやぁ、若いっていいね」

 「先輩もまだまだお若いでしょ」

 私が言うと先輩はふふふと笑った。

 「そう言う意味の若いじゃないの。やっぱ新人さんは初々しくていいなぁ」

 ……なんか、来年がきたら私もそう言う事を言うんでしょうか……。

 言いそうな気がしました。

 携帯をかばんにしまっているとふと視線を感じてそっちを見たら、彼がふいっと視線をそらした。

 たぶん、自意識過剰じゃなく、見られてた。

 どうしたんだろう?

 気にしつつも私は気さくな先輩たちとの会話を楽しんだ。さすがに昼休みの残りわずかになったらみんな仕事に行くべく散り散りになったけれど。

 私と彼はまだ説明があるからと残されていた。

 ドリンクサーバから紅茶を落とし、なんとなくもう一つ紅茶を注いで窓辺に立つ彼に差し出すと

 「持田」

 受け取りながら彼が初めて私を呼んだ。

 びくっと私の手が止まる。

 ……今日の中で一番の緊張度かもしれない。

 何を言われるんだろう?

 「……なんですか?」

 私が尋ねると、彼は小さく息をついて

 「俺の苗字、ばらすなよ」

 そう小さな声で言った。

 は?

 意味がわからん。

 「別に……結婚したら男性でも姓は変わる事はあるし、普通のことじゃないの?」

 私が小さな声で言うと、

 「誰が結婚してるって?」

 はるか上の頭上から思いっきりにらまれた。

 あれ? 違うの?

 「てっきり御養子に出たのかと」

 見上げると彼は面白くなさそうに椅子にでんと座った。

 「バーカ、んなもん出るわけないだろ?」

 なんだか、そう言うところ……昔と変わってない……。

 懐かしい空気に思わず笑ってしまう。

 「何笑ってんだよ」

 じろりと見られて私はあわてて背筋を伸ばした。

 でも、結婚したわけじゃないんだ?

 「ごめん。じゃ、どういうこと? てゆか、そもそもなんでここにいるの?」

 尋ねたら彼は鼻で笑った。

 「何言ってんだ? お前、今どこにいるんだよ? わかってないのか?」

 あきれたように首をかしげた。

 そんなこといわれても、わからないから聞いたのに。

 今いるのはK-ユニット(株)だ。

 でも、ハタと昨日の宮川君の言葉を思い出す。

 親会社は世界に誇るKUNITACHIグループ、つまり彼の家だ。

 「ここ、もしかして……」

 いや、うん。

 親会社かもしれないという企業の名前を聞いたときにいやな感じはあったのだ。

 「ここは俺の会社だ。そこに俺がいて何が悪い。……だいたいこっちのほうが驚いたさ。まさかお前が派遣されてくるとはな」

 彼は紅茶を噛み付くように飲みながら呟いた。

 俺の会社?

 「俺の会社って……どういうことよ……?」

 新人と紹介されたのに俺の会社というのが気になって私は彼に問うた。

 彼は私をまっすぐ見ていた。

 「ここは俺が大学のときに作った。KUNITACHIグループのテスト的な子会社だけど、まさかこんな親の七光り振りまいた青二才に雇われてるなんて思いたくないだろうから、しばらく会社の様子を社員としてみていくんだ」

 彼は誰にも聞こえないほど小さな声で言った。

 は?

 一瞬声が出そうになって、私は必死で口元を押さえて突っ伏した。

 どうにか溢れそうになる声を手で押さえつけて飲み込む。

 ようやく顔を上げて彼を見ると彼はそっぽを向いていた。

 「…………市川って言うのは?」

 そもそもの会話の発端を尋ねたら、

 「偽名だ」

 しれっと返された。

 そうか、同じ苗字だと何かと大変そうだもんね。

 私は冷めてしまった紅茶をぐびっと煽ると、空になった紙コップを二人分ゴミ箱に重ねて捨てた。そこに両社の上司が戻ってきたので何事もなかったかのように姿勢を正した。

 ただ、午前中とちがって胸の中の嵐は嘘のように収まっていた。

 7年ぶりの彼との会話は、最初こそ緊張したけれどとても心が踊るように楽しくて。

 彼が結婚していたという事実もなくて。

 自分のしたことを忘れて心が弾みそうだった。

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