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*13*


 『人には『縁』ていうものがあるんですって』

 初めて顔を合わせたのは野原先生のデスクの前。

 でも、初めて言葉を交わしたのは生徒会室のデスクの前。

 『これも何かの縁かしらね。どうぞよろしくお願いします』




*13*




 火曜日、仕事の後私は高田君と待ち合わせをしていた。

 会社を出るとき、出張から戻ってきた彼とすれ違った。

 「お疲れ様でした」

 定時になったので少しにぎやかになった会社の廊下で挨拶すると、他の人の視線がある手前からか多くを言わなかったけれど、彼の視線が私を攻めるように睨んでいた。

 それを無視して会社を出る。

 いつもなら、こういうとき高田君は会社まで迎えに来てくれていた。

 しかし。

 ―――7時に、「リラ」というイタリアレストランで会いましょう。

 昨夜、高田君からメールが来ていた。

 少し、罪悪感を感じた。

 私がそこにつくと既に高田君は席に座っていた。

 「ごめんね。お待たせ」

 私が謝ると、彼は微笑んで、私にメニューを向けた。

 そこではいたって普通に食事をした。

 考えてみれば、高田君と二人きりで食事をしたのはこれが初めてかもしれない。

 和やかに、でも前とは確実に何かが違う空気を感じながらの食事だった。

 そうして店を出て、人もまばらになった夜の街を並んで歩く。

 仕事のこととか、友達のこととか、いつもする会話をしながら歩く。

 私は彼が切り出すのを待っていた。

 しかし高田君は、普段と変わらない会話ばかりをして、本題に触れてないように思う。

 私の部屋とK-ユニットのちょうど中間にある公園まで戻ってきたとき、彼がようやく歩きを止めて私に振り返った。

 真っ白な月明かりの下、彼の顔がはっきりと見える。

 彼は言おうかどうしようか一瞬迷って、それでも振り切るように切り出した。

 「持田ちゃんと市川……あいつの事を教えてくれないか? どうも、市川というのは謎が多くて……今のままじゃ判断ができない」

 そう、高田君が呟いた。

 全てを話すと昨日決めていたから、頷くと近くのベンチに高田君を誘った。

 背もたれつきのなだらかに曲線を描く木製のベンチに腰掛けて、空に向かって息を吐いた。そのまま空を見上げたまま

 「沙耶香ちゃんにもね、言った事ないけど……私と彼は中学生の時付き合ってた。私の誕生日から夏休みの終わりぐらいまでの……短い期間だけどね」

 私はポツリポツリとあの頃の事を話した。

 中学二年の時に、担任だった野原先生に生徒会の副会長をやってみないかと言われて選挙に出て当選した事。

 そして、同じく野原先生に言われて会長選にでていた彼とそこで初めて話すようになった事……。

 彼の俺様性格は昔のほうがひどくて、私は最初はそれに辟易していたけど、でも、中学三年になって同じクラスになった頃のある日にその見方が変わってしまったこと。

 子供だった分、純粋に……そして素直に私達は恋愛をして本当に互いを大切にしあった事も。

 けれど、私が夏の終わりに急に引っ越す事になって、私が強引に彼を切り捨てるように、別れてしまった事まで全部。

 私は包み隠さず正直に高田君に話をした。

 「だからね……私は高田君が思うような綺麗な女じゃないよ。たしかに、その後はキヨラカかもしれないけど……私の身体は雅隆を忘れていない。……心もね」

 二回のあのキスで嫌というほどそれを思い知った。

 彼の力強さ、匂い、温度。

 ほんの少し思い出しただけで、この身体は熱くなる。

 また、あの頃のように触れてほしいと、もっとめちゃくちゃにして欲しいと思ってしまう。

 ぴったりと身体が吸い付くように抱き合う行為がとても自然なものに思えてしまう。

 どうにかぎりぎりの理性で抵抗しようとしたけれど、無駄なことだ。

 仕方ないじゃないか。

 だって、私は……。

 「私はまだあの人を……国立雅隆を好きなの」

 私が言うと、高田君は俯いて片手で顔を覆った。

 「そうか……」

 呟いて大きく息を吐き、ふと顔をあげた。「国立、雅隆?」

 不思議そうに私を見る。

 私は頷いた。

 「市川君……私達がそう呼んでるあの人の本当の名前は国立雅隆。今はまだ社会の厳しさを肌で知りたいといって、新入社員として働いているけど……本当はK-ユニットの社長だよ。彼がハーバードに留学しているときあの会社を作ったそうなの」

 私がそう言うと、高田君は絶句した。「K-ユニットの親会社、KUNITACHIグループの総本家、雅隆はその家の1人息子なの」

 彼の身分を言いながら私は苦笑いした。

 そうなんだよ、あの人将来は国立の総帥になるんだよ……。

 中学のときにもお母さんに言われたのに。そもそも、私、素直になっても駄目なのに。

 思わず、自嘲めいた笑いがこぼれる。

 自分の言葉で立場を再確認し、自滅して泣きそうだ。

 でも、ここで泣くのも私が思いを貫くと決めたのだからやはりルール違反。

 私はぐっと湧き上がるものをかみ締めた。

 隣を見ると高田君は小さく息を吐いた。

 「只者じゃないとは思ってたけど……そうか。持田ちゃんが……あいつに惹かれるのはしょうがないって思ってた。男の俺が見ても心惹かれるというか。カリスマ性って言うのがあるし……、正直この間の日曜日の時はすごい腹が立ったけど、でも、すぐさまああいう事ができる行動力はよっぽど相手のことを想ってないとできないって思ったし、な……」

 そう、高田君は息を吐きながらぼんやりと呟いた。

 空に向かって吐きかける吐息はどこまで届くだろう。

 その先を追いかけて再び高田君を見ると、彼はまっすぐに私を見ていた。

 「本当は、力尽くでも君が欲しかった」

 紳士のふりをしてたけれど、本当はそんな余裕どこにもなかった、彼が苦く呟く。

 私は小さく頷いた。

 優しい、優しい高田君。

 「私も……高田君の事、好きになりたかったよ」

 あの時……彼に会わなければ、私はきっと貴方と付き合ってたと思う。

 「君がお兄さんのこといわないで同じ中学に入学してくれてたら良かったのに。そうしたら僕は絶対誰より先に君を見つけて付き合ったのにな」

 高田君がぼやくので私は少し笑った。

 「……やー、だから兄もそうだけど従兄弟が同い年にいたからいやだったんだよ。たぶん知ってると思うよ? 綾瀬晴樹っていうの」

 私は苦笑いしながら従兄弟の名前を出した。

 他校の雅隆ですらこの名前に眉をひそめて視線をそらせさせる人物だ。

 やはりというか高田君も目を丸めて私を見つめた。

 「……は? あの、綾瀬? 今年東大からメジャーリーグ行って、今ベビーリーフで4番打ってる……?」

 そう、現在向こうのトップリーグで早々に勝ち星を重ね、すでに優勝確実と言われる野球チームの勝利の立役者。

 私が頷くと彼はパンと口元を手で覆った。

 参ったと言う感じでじっと私を見る。

やがて

 「そっか……。俺と前田はサッカー部だったけど、同じグラウンドを使うから綾瀬とは何度か話したことあったんだけど……そっか、ずっと君が言ってた従兄弟は綾瀬か」

 はぁ、と重く細い息を吐く。

 「はっきり言っていやでしょう? 同じ学校で比べ続けられるのだなんて」

 兄もそうだが従兄弟もまるで似たタイプだ。

 品行方正、成績優秀、文武両道、しかも人当たりも良くて誰にでも好かれ、また頼られても全部軽々こなす天才肌。

 おまけに幼い頃からキッズモデルのスカウトが絶えず、中学時代も各芸能事務所から熱烈なオファーを受け続けるほどの美男子だ。

 今や日本を代表するメジャーリーガー。打ってよし、守ってよしの名プレイヤーになっている。

 そんな派手な身内がそばにいて、どれだけ苦労したことか。

 私が言うと、高田君は苦く笑って何度か頷いた。

 「気持ちはわからなくもないね」

 でも、と小さく首をかしげる。「それで僕らがあの時会えなかったのは、やっぱり縁がずれてたってことなのかな?」

 尋ねられて私も首をかしげた。

 「でも、きっと意味のない出会いはないよ。高田君に会えて、私はうれしかったし、確かにやさしい気持ちをたくさんもらったもの」

 私が言うと彼は少し目元を緩めて微笑んだ。

 本当に、高田君はなんていい人なんだと思う。

 まったく、なんで、私はあの人じゃなきゃだめなんだろう。あんな人でなしみたいな部分がある俺様なのに。

 きっと高田君と一緒にいたほうが数百倍心穏やかにあれる気がする。

 たとえ同じ中学じゃなかったとしても、もし私が他の会社に派遣されていたのだとしたら、ゆっくりと傷が癒えて治るように、きっと、この人を好きになっていただろう。

 でも、ごめんなさい。本当にごめんなさい。

 現実は私はあの人と再会してしまった。そして再認識してしまった。

 私が好きだと思うのは、特別なのは彼だけなのだと。

 あの時も、今も。

 俯いていると頬に暖かな手のぬくもりを感じた。

 その手をたどって顔をあげれば、高田君の姿がにじんで見えた。

 「一度だけ、……キスしていい?」

 私の目尻にたまった涙を優しいしぐさでぬぐう。

 私が小さく頷くと、彼は優しく微笑んでそっと短く軽く触れるだけのキスをした。

 ただの同期に戻ろう。

 これからも遊ぼう。

 飲みに行こう。

 皆で……。

 これはそのための儀式。

 最初で、最後の儀式。

 私を、好きになってくれて、ありがとう……。



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