*01*
ずっと ずっと
心に住んでいる男の子がいます
一生忘れる事なんてできない男の子がいます
自分のしでかしたことや 今の立場を思えば
もう 会う事はないだろうけど
もう 会えないだろうけど
それでも 彼は一生 私の心に住み続けるでしょう
今までのように これからも。
*01*
最近、よく中学の頃の夢を見るようになった。
なぜ今頃? とも思うけれど、時が経った今だからなのか、それとも何かの予感か。
もしかすると、私が再びその土地に戻ってきたせいかもしれない。
とにもかくにもあの夏の夢を、最近とてもよく見る。
それが悲しいことのか、嬉しいことなのか。
わかるのは、朝起きたときの胸の苦しさ。
最後に見たあの、人をひきつけてやまない力のある瞳の色。
懐かしいという想いを払拭するようにリアルな感情がすぐそこにあって、いまだ忘れられないということなのだろうかと濡れた目元をぬぐう。
もう泣きながら起きる朝というのも珍しくなかった。
春、大学を卒業し就職するにあたって、私は約7年ぶりに東京に上京した。
そこは以前……私が中学三年生まで住んでいた土地だった。
中学三年のとき、私は親の転職にあたって東京から四国の某地に移り住んだ。
父の里がそこにあったので。
その後高校、大学とをのびのびと田舎で過ごした。
しかし、さすがに就職は田舎だけで探すには少なく、田舎に引っ越してできた一番の親友の誘いや、「広い視野で自分の心惹かれる会社を受験なさい」という、理解ある母の勧めで私は東京にあるコンピュータ会社のCAD事業部に就職を決めた。
その会社は規模は決して大きいわけではないけれど、アウトソーシングを中心に事業を広げようと努力をしていた。私は新人研修の間こそ本社で機械CADをみっちりとやらされているけれど、その後は得意先に派遣されて、そこで出向社員として図面屋さんになる事が確定していた。
この街はまったく知らない場所ではないけれど、心に覚えがある町並みも確かに残っているけれど、親類縁者もいることはいるけれど、でも確実にあの頃と同じでないことを私に突きつけた。
東京は狭いようで、広い。
人も溢れるほどたくさんいる。
それが幸運してか私は昔の知り合いに再会する事もなく、田舎から同じく東京に就職した親友や大学時代の先輩、あと会社で同期になった人たちに囲まれて、家族から離れて上京した寂しさをやり過ごしていた。
どうにかこうにかこなしていた新人研修も終わりに近づいた、5月のゴールデンウィーク明けのこと。
本社の研修室で出された課題に頭をひねっていると、私だけが上司に呼ばれた。ともに研修を受けていた仲間たちが一斉にこちらを見る。
みんなこういう光景を既に2度経験していた。最初の2回は、CADトレースの腕に覚えがある専門学校卒の二人だった。二人はこのように呼び出しを受けてすぐさま会社が契約を結んでいる取引先に出向することが決まった。
そして今日が3回目。
案の定、上司の用件はまさしくそれで私の配属先が決まったという辞令交付だった。
「Kーユニット(株)」という会社。
一緒に研修を受けていた仲間たちから「ええっ」と言う驚きの声が上がった。
私も目を丸めながらその辞令を受け取った。
まだ会社の歴史としてはとても新しい部類に入るけれど、背後に何か媒体があるのか、医療器具の設計、製造を手がけている新進の会社としてはかなりやり手で大きな会社だという。
そして当社の中ではかなりの上客であり、仕事も大変だということから新人はまず派遣されることはないだろうといわれていた会社でもあった。
「けれどどうしても人手をまわさなくちゃいけなくてね、社員全員の実力と現在の仕事の配分から君に頼みたい。なぁに、心配することはないよ。私も来週からそっちの会社に戻るからね」
新人研修の間教官としてお世話をしてくれた大田さんがにこやかに私の肩を叩く。
不安はあるけれど、私を見込んでくれたのならその期待にもこたえたいと思った。
こうして来週から私はK-ユニットの開発設計事業部内CAD部に席が設けられる事になった。
「やったな!」
「よかったね!」
「すごいじゃないか!」
一緒に研修を受けている仲間たちからわしゃわしゃと頭をなでられて祝ってくれる。
私は驚きつつも頷いた。
「じゃぁ早速お祝いしなきゃ!」
優しい仲間たちはわぁわぁと話を始めるとその日の夕方にはその席を設けてくれた。こうして同期で集まるのは何度目だろう?
仲のよい同期たちは同性異性を問わず、上京して心細い子をサポートするように、たとえば会社の寮であったり、会社の食堂だったり、研修の合間合間を仲良く行動していた。
みんな本当に仲がよかった。
その中で高田君という男の子とは研修が最初から同じ班だったことも手伝って一番よく話をした。とても優しくて格好いい、面倒見のいい男の子だった。きっととても女の子にもてるだろう事が容易に想像つく。
その彼とは面白いことに、他にも接点があった。彼の親友である前田君と、私が田舎から一緒に上京した親友の沙耶香ちゃんが同じ会社に勤め、同じように仲良く新人研修を受けているのだ。なにやら縁があるねって笑って、その後親友同士も交えて会社に分け隔てなく一緒くたに遊ぶようになっていた。
なので今日のお祝いにもその親友たちが招かれている。
「巴ちゃん! こっちこっち!」
待ち合わせの店で、既に来ていた沙耶香ちゃんがお座敷に私を招いた。
そのとなりでは前田君が胡坐を組んで座っていた。二人の会社は私たちの会社よりもこの店に近いらしい。
親友を見つけて高田君がうれしそうにそちらに向かった。
私は一緒にやってきた浅利ちゃんや宮川君、他にも数人の同期の面々と一緒に店に入り、みんなに『主役なんだから行け!』と押し込まれた上座でちょんと座った。
「持田ちゃん、K-ユニットってすごいね」
飲み物を注文した後、改めて高田君が興奮したように言う。
「そうだね。自分でもびっくりだけどうれしいより何より怖いよ」
私が言うと、浅利ちゃんも羨ましいけど何だか大変だねって苦笑いしていた。
「どうして?」
K-ユニットという会社についてどういう会社なのか知らない沙耶香ちゃんが尋ねると、
「作ってる製品が精密だって言うのもあるけど、うちの会社でもかなり気を使ってできる人しか派遣させない、むこうも会社自体は新しいけれど、ものすごくノウハウもった人たちの集団らしくって、即戦力でビジネスのいろはが分かっている人しか取らない、ましてや新人なんて絶対に入れないって言われてた超難問企業なの。でもそれだけの相手だからこそみんなの憧れの企業かな。ま、大学でちゃんと機械設計を専門にしてきたの持田ちゃんだけだったからね、私達はかじったって言う程度であそこまでできないし、だから派遣先が一番に決まるのは持田ちゃんだって言うのはわかってたんだけど。……けどK-ユニットとはね。がんばれー」
浅利ちゃんはそういって、同情と喜びとを複雑にからめた笑顔で私の前に運ばれてきたピーチチューハイを置いてくれた。
そうなのだ。私としても気が重い部分がある。初めての派遣先が決まったのもドキドキだけど、その企業が研修中散々「あそこはなー」と脅されて、そのくせスキルをつんでいく目標にしろといわれた場所。
だんだん気が重く、いや胃が痛くなってきた。
「ふぅん? まぁ、巴ちゃんなら納得だよね。おばあちゃま仕込みだから礼儀作法の所作はきれいだし、頭もいいもんね。こっちの人には田舎の大学の癖にって思われるかもしれないけど、でも私、大学進学の時にてっきり巴ちゃん東京の国立行くもんだと思ってたから、地元で進学したときは先生も含めてすっごいびっくりしたんだよ」
「へぇ? ちなみにセンター何点だったか覚えてる? 俺750点くらいだった」
前田君が沙耶香ちゃんに問う。750点というのも十分によい点数だ。前田君と高田君もこっちで国立大を出ているのが頷けた。
「あーうんうん。私もそれくらいだったよ。で、巴ちゃんは820~30点以上もあったの」
瞬間みんなの目が変わった。
驚いたように私を見る。
「ちょ、本当に何でこっちの大学受けなかったわけ?」
浅利ちゃんが私に食って掛かった。
うわ、なんでそこで点数をバラすかな。
「や、だってセンターはマークシートだったからたまたまの部分もあったんだって。だいたい沙耶香ちゃんが言う大学は私の従兄弟も受けてたから絶対に行くのいやだったんです」
私はやけっぱちでチューハイをあおった。
「そんな理由なわけ?」
浅利ちゃんにあきれたように言われて私は思わず唇を尖らせた。
「そんな理由って言ったって結構大事よ? 同い年で家も近かったからずーっと比べられてさ。や、比べるのは家族じゃないよ? 先生が、だよ? だからわざわざ私、中学受験のときにかさならないように志望先変えて、で、田舎に引っ越してようやく奴の名声も聞こえなくなった場所でのびのびすくすく生活してるのに、それをわざわざまた同じ土俵に上がらなくてもいいじゃん」
そう思わんかね?
私が一息に言うと勢いに負けたのか浅利ちゃんがこくこくと頷いた。前田君や高田君もくつくつ笑う。
「今はもういいの? こっち出てきても。その従兄弟さんはこっちにいるんじゃないの?」
前田君が笑いながら問うので私は小さく肩をすくめた。
「田舎じゃ就職先の選び代が少なかったし、その従兄弟もこの春から海外に行っちゃったからね。従兄弟がいるって言うことはその親……母方の伯母もこっちにいるから、母親的には下手な地方に出すよりも安心だったみたい。それになにより沙耶香ちゃんが東京に出るって就職先見つけちゃうもんで、私もあわてて探したんだよ」
沙耶香ちゃんが『あたしゃ東京に出るべさー。だからあんたも行かんかねー』と冗談ぽくではあったけれど誘ってくれたから。だから私はこの場所に再びくることができた。
でなきゃ、自分からはたとえ旅行だけだったとしてもこれなかったと思う。
私が言うとみんなへーって頷いた。そうしたら前田君がまた沙耶香ちゃんに首をかしげた。
「なんでこっちこようって思ったわけ? 上京症候群?」
上京症候群、というのは二人の会社で流行っている造語らしい。田舎から東京に出たいよと希望を抱いて出てきた子達のことをそういっているそうだ。
「もちろんその上京症候群でもあったと思うけど、なんていうかな、なんか、こう、……」
沙耶香ちゃんはチラッと私を見て少し俯いた。「やっぱいいや。てゆか、話元に戻そう! ええとなんだっけ、ええと、そう、K-ユニット!」
沙耶香ちゃんは言葉を振り払うように話題の修正を強引に行使した。
みんなご飯を食べながらそうそうそれそれと軌道修正に便乗してくれる。
「言っちゃ悪いけどレベル高い会社って言うわりに、一般的にあまりきいたことのない会社だよね?」
沙耶香ちゃんがやっぱりいまいちピンと来ないのか首をかしげていると宮川君が思い出したようにいった。
「まぁ、まだ新しい会社だからね。一応独立した医療器メーカなんだけど、噂では超大手企業の子会社的な感じでもあるらしいよ。だから会社設立してもすごい人がすんなり集まったとかなんとか。詳しいことはあまり知らない、あくまでも噂的な話」
「大手企業って?」
思わず私は宮川君に尋ねた。
宮川君は定かじゃないけどねと前置きして話してくれた。
「背後にいるのはKUNITACHIグループらしい」
その企業名に私が反応した。
たこわさを摘んでいた箸を思わず下に戻す。
KUNITACHIグループは財閥でこそないけれど、それと同等に各種方面に大きく多大な勢力を伸ばす日本屈指の企業だった。
「あれ? KUNITACHIって医療機器、手を出してたっけ?」
浅利ちゃんが首をかしげる。
「いや? KUNITACHIでは聞いたことなかった気がするけど、だから新規で事業拡大しようとしているんじゃないかという話らしい」
宮川君が言うと他の同期たちは、そういうことか、とか、だから急に大きくなれたんだねとか、それぞれに納得したように頷くけれど、私だけは固まったように動けなくなった。
背筋がぞくっと震える。
誘発されるように私はあの少年をリアルに思い出した。
急に動きを止めてしまった私に
「大丈夫大丈夫。それはあくまで親会社だろ? K-ユニットも結局下っ端企業、あんまり関係ないよ」
高田君が私の背中を宥めるようになでてくれた。
どうやら私の顔色が変わったのを極度の緊張と捉えてくれたらしい。
私は小さく頷いた。
沙耶香ちゃんも笑って私の背を叩く。
「巴ちゃんなら、出来るよ」
彼女のその根拠のない自信はどこからくるんだろう。
しかし、心配など全くしてないという沙耶香ちゃんの能天気(失礼)な笑顔に、ちょっとだけ勇気をもらったような気がした。
そうだ、私が派遣されるのはあくまで子会社的な場所。親会社のほうにしても社員だって世界規模で見れば万単位いるはずだし。ましてや私は新人の派遣社員だ。
そもそも会うはずもない。
……だいたい会ったところで関係もない。
関係ないと思うとまた胸がずきっとしたが、それをねじ抑えて私は明るく頷いた。
「そうだね、がんばらなきゃ」
心配するよりも飛び込んだほうがいい。
「巴ちゃんの前途を祝して!」
みんなで再び乾杯をした。
明日から私は本社に出勤はしないけれど、
「これからもお願いします」
私は皆にぺこりと頭を下げた。
だって、やはり派遣されるとはいえ、この人たちは私の同期なのだから。
仲良くしてほしいよね。
「持田ちゃん」
帰りに、高田君に呼び止められた。
「なぁに?」
私はほろ酔いの足取りでくるりと振り返った。よろけそうになると、あわてて支えてくれる。
私には兄がいるけれど、彼には妹さんがいるとかで、世話焼きが板についているようだ。
だいじょうぶ? 聞かれてごめんごめんと謝りつつ姿勢を正し用件を促した。
すると
「あのさ、持田ちゃん付き合ってる人、いないって言ってたよね」
高田君が頭をかきながら私に確認した。
え……。
私は胸にもやっとしたものを感じてそれを握りつぶすようにぎゅっと手を握った。
「いない、けど……」
私が頷くと
「よかったら、俺と付き合ってくれない? 入社式のときから、実は一目惚れで……」
彼は顔を真っ赤にしながら頭をかいた。
私は驚いて彼を見つめた。ほろ酔いだった気持ちは瞬く間にさめた。
うわ……どうしよう。
まさかこんなことになるとは思わなかった。
でも。
「……ご、ごめん。私、高田君のこと、嫌いじゃないけどそんな風に見てなくて……、その……ごめん、ちゃんと好きな人じゃないと、その……」
私が俯きながらしどろもどろに言うと彼はそうだよねって苦笑いした。
「……そうだよね。うん。でも、嫌いじゃないって言ってくれるなら、どうだろう? そんな対象に変化しないかもう少し時間くれないかな? 今みたいに友達のままでいいから」
彼は優しい笑みで尋ねた。「少し、僕のことそういう目で見て、どうにもこうにもだめだと思ったらまた今の言葉を言ってくれたらいいから」
私は彼を見つめた。
とても優しい人だと思う。
すごく誠実に彼は私の目を見て真剣に言ってくれた。あまりにも彼が真摯だったから。何も知らないで断るのは確かに申し訳ないとも思ったから。
なにより……もしかしたら彼なら好きになれるとも思ったからなのかもしれない。
「うん。びっくりしたけど……そう言う事なら……」
私は頷いた。
「メールしたり、たまに夜や休みの日にどこか誘っても?」
彼が不安そうに首をかしげる。
「友達範疇なら」
私が笑って頷くと、彼は嬉しそうに頬を綻ばせた。
「よかった。沙耶香ちゃんからは君が彼女の知る限り誰とも付き合ってなかったってきいて、君みたいにきれいな人が何でって少しびっくりしたんだけど、もしかして理想が高いのかなとか不安だったりもして、言おうか言わないか迷いに迷っての告白だったんだ」
彼は安堵したように胸を押さえる。
ぷっ。
私は思わず噴出した。
「理想なんか高くないよ。たまたま好きだと思う人がいなかっただけで……その、やっぱり、そばにいて欲しいと思うのは一番好きな人がいいから」
私は言いながら心の中が鈍く痛むのを感じた。
一番好きな人……。
そうだ、付き合うなら一番好きな人とがいい。そんな人とこの痛みを取り払う、未来にいけるような恋愛がしたい。
夢を見ていると思われていても仕方ない。でも、そうじゃないと前に進めない気がした。
そもそも中学生時代の初恋を引きずっているほうが馬鹿な話。
高田君は優しい。見目だってすごくいいしし、何より気遣いがとてもうれしい。仕事だって今はまだ研修しているけれど、たぶん彼はこのあとすぐに派遣先が決まるだろう。
きっと申し分のない相手だ。
この人を好きになれたらいい、そう思う。
でもね、高田君。
ごめんね?
高田君は沙耶香ちゃんから私は誰とも付き合った事がないって聞いてそれを信じているみたいだけど……。
私、ちゃんと付き合った男の子いるよ?
確かに、そんな長く付き合ったわけじゃなくて……。
夏休みという事もあってほとんどの人が知らないけど。
ましてや、私が引っ越したあと……田舎で友達になった沙耶香ちゃんはまったく知らないだろうけど……。
ごめんね?
私、高田君が考えてるような綺麗な女じゃないんだ。
忘れようとしている過去は、この町に来て妙な感傷と共に私の胸で燻っていた。
嫌いになって別れたのだったら、きっとこんなにも引きずらなかった。
あんな夢を見て毎日泣きながら起きるなんて事もなかったはずだ。
互いに納得したはずなのに……。
『どうせ、もう会えないから連絡先は言わない』
未練は残さないよって笑った昔の自分の頬を引っ叩きたい。
あの時はどうすれば未練が残らないか、後悔が残らないか、考えたこともなかった。
こんなにも、心にあの男の子をすませたまま……。
こんな状態で、新しい恋愛って……私はできるのかな?
私は、目の前で嬉しそうに笑う高田君を見上げながら、内心とても複雑だった。