ダイヤモンドダスト(桜葵さんへのクリスマスプレゼント)
一瞬の風でゲレンデの雪が舞いあがる。そして、朝日に照らされた雪はダイヤモンドのようにキラキラと光り輝く。
「よしっ…。って、行けるか、こんなとこ」
そう、そこは上級者向けの急斜面。私なんかがまともに滑れるところではない。
友達の彼がこのスキー場の近くにリゾートマンションを持っているのだと聞いた。そんなの私には何の関係もない。ところが、彼女に誘われて、一緒にスキーに行くことになった。
「大丈夫なの?」
「平気よ!本当は彼もいっしょに行く予定だったんだけど、急に仕事が入っちゃって」
彼女はスキーが得意。今の彼ともスキー場で知り合ったらしい。そんな彼女に連れられてリフトに乗った。どこへ行くのかも判らずに。
「お先に!」
彼女はそう言って一人で先に滑って行った。取り残された私も気合を入れた。ところがそこは断崖絶壁に近い急斜面。
「よしっ…。って、行けるか、こんなとこ」
「どうしたの?」
そんな私に声をかけてくれたのは、ちょっと素敵な感じの殿方。ゴーグルで顔は判らないけれど、“素敵感”がにじみ出ていた。
「友達に連れてこられたのだけれど、私にはちょっと無理みたいで」
「なるほど。どれくらい滑れるの?」
「滑れるも何も小学校のころ一度だけスキー教室で習っただけで…」
「じゃあ、ボーゲンくらいなら出来るね」
「うん、まあ、一応…」
すると、彼は後ろ向きになって斜面に飛び出した。少し行ったところで止まると、ゴーグルを外して私に向かってウインクをした。
「ん?」
ちょっと想像していたのと違った。それに、意外と年食ってるぞ。
「私が止めてあげるから、取り敢えずここまで来てごらん」
そう言って彼は両手を広げて見せた。俺の胸に飛び込んで来いってか?もしかして、私、ナンパされてるのかしら…。そんなわきゃないか。この人だって、オジサンだし。それじゃあ、行ってやろうじゃないの。私は思い切って斜面に飛び出した。思いっきりのボーゲンで。それでも予想以上に体がつんのめる。思わず、両手をばたつかせる。でも、たぶん大丈夫。彼がきっと受け止めてくれる…。って、どういうこと?私の手が彼の手に触れそうになった瞬間、彼が後ろへ下がって行った。しかも、今度は緩やかにカーブを切った。まっすぐに落下する私を彼は見捨てる気だ。と、思った瞬間、彼が私に指示を出してくれた。彼の言う通りにすると、自然にスキーがカーブした。
「おお!やったじゃん」
「あなたは筋がいいから、今の要領でやればすぐに上達するよ。但し、最初は初心者コースでやった方がいい」
そう言うと彼は颯爽と滑り去った。
「な、なんかカッコいい…」
私が彼の後姿に見惚れていると、シューッという滑降音と共に雪のしぶきが舞った。
「あら、一人で降りて来られたのね」
「ねえ、誰?友達?」
そう尋ねたのは彼女の後から滑って来た見知らぬ男。
「二人で来てたの?だったらちょうどいいじゃん」
更にもう一人男が滑って来て、私たちの前に雪のしぶきを舞いあげた。
「ねえ、この人たちなあに?」
私は彼女に聞いた。
「一人で滑ってたらナンパされちゃった」
「あなた、彼氏が居るのに」
「えっ?彼氏が居るの?どこ?」
「今日は来てないの」
「だったら、今日は俺たちと遊ぼうよ」
なんだか、いかにも軽い奴らだ。私はこんなやつらと遊ぶのはご免だ。
「私はいいよ。あなたは適当に楽しんでくれば。もう少し一人で練習したら、先に部屋に帰ってるから」
「じゃあ、俺が教えてろうか?」
軽そうな男二人の更に軽そうな方がそう言った。
「結構です」
「なんだ、ノリの悪い女だなあ」
そんな捨て台詞を吐いて男たちは彼女と一緒に行ってしまった。
初心者コースを何度か滑ってそこそこ思い通りの滑りが出来るようになった。けれど、脚が痙攣してスキーを履いて歩くのも辛くなってきたので、部屋へ引き上げた。温泉にゆっくり浸かって部屋に戻った時、彼女が帰って来た。私は唖然とした。例の二人連れも一緒だったからだ。よりによって彼氏のリゾートマンションにどこの馬の骨とも知れない男を連れ込むなんて、どういう神経をしているのか。私は彼女の彼氏が可哀そうになってきた。と、そこへ部屋のインターホンが鳴った。受話器がそばにあったので私が出た。モニターの画面を見て私は心臓が止まりそうになった。彼女の彼氏だ。
「やあ、葵ちゃん。鍵を持っていないから開けてくれないか?」
「は、はい。ちょっと待って下さい」
そう言って私は迷ったけれど、解錠ボタンを押した。そして、男たちの腕を掴むと、玄関のドアを開けて外へ連れ出そうとした。
「おい、いきなり何すんだよ」
「いいから、出て行って!」
「葵、何をそんなにむきになってるの」
自分の彼氏が来たというのに何を優長な事を言ってるんだ、この女は!玄関の前で格闘していると、いきなり大きな手が二人の男たちの襟元を掴んで引っ張り出してくれた。
「あっ!」
オジサンだった。
「お前ら、警察に突き出されたくなかったら、とっとと消え失せろ!」
「なんだと、このジジイが…」
振り返った二人組はオジサンの後ろに控えていた黒いスーツとサングラスの男たちを見て言葉を失った。そして、逃げるようにその場を走り去った。入れ替わるように彼女の彼氏がやってきた。
「仕事が早く片付いてね…。あっ、日下部さん、いらしてたんですか?」
彼女の彼氏はオジサンに挨拶をした。どうやら知り合いらしい。
「この人、どなたなんですか?」
「お向いさんだよ」
そう言って彼女の彼氏は部屋の向かい側を指した。
「日下部さんはうちの仕事をやってもらってる地元業者の社長さんなんだ」
「そんな話より、坊っちゃん、女性を見る目をしっかりと養った方がいいですよ」
「どういうこと?」
「今しがた、この部屋に男が二人押し掛けていたようなんですが、どうやら、お連れさんが引っ張り込んだようですよ」
「まさか!」
すると、部屋の奥で今にも泣きそうな彼女が顔を覆っていた。
「本当なの?葵ちゃん」
そんなこと私が答えられるわけないよ!
「このお嬢さんはそいつらを叩き出そうとしておられたので私がちょっと手を貸してやりました」
「葵ちゃん、ちょっと二人きりにしてもらえないかな?」
「はい…」
一人、ドアの外に立ちすくむ私に日下部さんは声を掛けてくれた。
「良かったら少し付き合ってくれませんか?」
「はい…」
日下部さんが連れて来てくれたのは誰もいないゲレンデだった。何台もの雪上車がゲレンデを整備している。日が暮れて一気に寒さが増してきた。
「ほら…」
私は日下部さんが指した方を見た。照明に照らされて無数の光が舞っている。空気中の水蒸気が昇華して出来たものだと日下部さんは教えてくれた。
「ダイヤモンドダスト」
「ダイヤモンドダスト。きれい…」
「あなたもきれいですよ。あれに負けないくらい」
部屋に戻ると、彼女の彼氏は既に帰ってしまったと言った。けれど、どうやら彼女は振られずに済んだようだ。
「あの、日下部さんってご家族は?」
「私は一人もんです」
「メアド教えてもらってもいいですか?」
「メアド?」
「携帯電話のメールアドレスですよ」
「すみません。私はそういうものは持ち歩かないので」
「じゃあ、お手紙を書くから、住所を教えてください」
「それなら」
「もう一つお願いしてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「お友達になって下さい」
「こんなオジサンでいいんですか」
「ええ、オジサン、素敵ですよ」
そう!まずは友達からだわ。